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  • 執筆者の写真岩波新書編集部

末近浩太さん『イスラーム主義――もう一つの近代を構想する』

更新日:2018年1月18日

イスラーム主義って何? タイトルを見て、そう思った方もいるかもしれません。あえて一言でいうと、「イスラームの教えを政治に反映させよう」という考え方のことです。


中東の歴史において常に大きな役割を果たし続けてきたイスラーム主義。そして中東情勢は、いまや世界を動かす最も重要な要素です。つまり、イスラーム主義は世界を読み解く重要なカギだと言えるでしょう。


この複雑な構図を読み解くのは、中東地域を専門とする研究者で、立命館大学国際関係学部教授の末近浩太さん。これまで専門書や教科書を執筆してきた末近さんの初めての新書です。





――イスラームに興味をもったきっかけは何ですか?


最初は、イスラームというよりも、中東に興味をもちました。私が小学生から中学生だったころですが、イラン・イラク戦争(1980〜88年)やレバノン内戦(1975〜90年)の報道をよく目や耳にしたのがきっかけでした。両方とも冷戦の東西対立の図式からはみ出ていた地域紛争でしたので、「いったい何が原因なんだろう」と。


その後、1989年にはいわゆる「悪魔の詩」事件(※)があり、イスラームという宗教が独自のロジックを持って国際社会に作用していることがわかると、興味は一気にそちらに向かいました。宗教は単なる心の問題ではなく、現実の政治や外交を左右する問題でもある――それが新鮮で、不思議でした。


※編集部注

サルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』の内容が「冒涜的」であるとして、イランの最高指導者ホメイニ―によって、ラシュディ本人や出版に関わった者たちへ死刑の宣告が行われた。日本でも翻訳者が何者かに殺害された。


ちなみに、そのとき最初に手に取った「イスラーム本」は、岩波新書の蒲生礼一『イスラーム(回教)』(青版333、1957年)でした。中学校の図書室でしたが、古い本にもかかわらず、私の前に誰も借りた形跡がなかったことを覚えています(笑)。


こうやって振り返ってみると、私自身の関心は、最初から今回の岩波新書のテーマである「政治と宗教の関係」にあったのかもしれません。


――末近さんは1月の新刊8人のなかで最年少の1973年生まれです。1980年生まれの私には「悪魔の詩」事件の記憶はほとんどなく、「政治と宗教」といえば、なんといっても2001年の9.11が衝撃的でした。その頃、末近さんはもう研究者として歩み始めていますね。最初から研究者志望だったのでしょうか。


幼い頃から何らかの専門性を身につけたいと思っていました。研究者になりたいとぼんやり考えながらも、受験勉強がとにかく嫌いで、スポーツの部活動ばかりしていました。志望校もできるだけ受験科目数が少ないところを選んだという……。


とはいえ、中東政治には関心を持ち続けていました。問題は、当時の日本には中東政治を学ぶための「知のインフラ」が整っていなかったことでした。専門家がいない、学科・コースがない、本がない、という三重の困難です。なので、基本は自学自習で、とりあえず片っ端から中東やイスラーム関係の本を読みました。


当時は、私が通っていた大学だけでなく、他の大学にも中東政治を教えられる先生は数えるほどしかいませんでした。中東やイスラームを研究対象にされていた先生方のほとんどは、歴史学、人類学、宗教学、思想研究をバックグラウンドとしていました。そのため、中東政治についての学術書と言えば、アジア経済研究所の「研究叢書」シリーズ(※)くらいだったでしょうか。少なくとも、今よりも体系的に中東政治を学ぶことが難しい時代でした。


※編集部注

2009年には、末近さんの共著『現代シリア・レバノンの政治構造』もシリーズの一冊に加わりました。


なので、学部卒業後は、英国のダラム大学という、中東政治研究で有名な大学の修士課程に進みました。そこでは、「政治学と国際関係論の見地から中東政治を見ていこう」といった教育がなされていました。今考えてみれば、その教育は社会科学というよりは地域研究に近いものだったのですが、それでも日本ではなかなかできない貴重な知見を得ることができたと思っています。


英国から帰国した年に、先に述べた「知のインフラ」に大きな変化が起こりました。京都大学にアジア・アフリカ地域研究研究科(ASAFAS)が設置され、中東を含む現代のイスラーム世界全体を研究対象とする講座ができました。それは、私にとっては二重の幸運でした。


1つは、英国での修士課程を終えて帰国のタイミングと重なったこと、もう1つは、小杉泰先生に師事できたこと。小杉先生は、他ならぬ、中東における「政治と宗教の関係」の解明に取り組んでいた気鋭の研究者でした。ちなみに、「知のインフラ」というのは先生の言葉です。


京都大学では、アラビア語の原典解析やフィールドワーク――シリアのダマスカスに1年間住んでいました――を通して、シリアにおけるイスラーム主義思想と運動の実証研究に取り組みました。ダラム大学のときとはうってかわって、ひたすら地域の内在的な論理の実態解明を目指す日々でした。地道な作業でしたが、特定の地域の専門家を目指す上では大事なことでした。


私自身は、ダラム大学で政治を学び、それが京都大学で宗教と交差した、という感覚を抱いています。


―― その「交差」という点こそ、末近さんに新書を書いてもらいたかった理由でもあります。さて、中東政治を学びたいという人は増えているように思います。末近さんが学生だったころに加えると「知のインフラ」も整ってきているのでは?


研究と教育の両面において、劇的とは言えないまでも、かなりの規模で変わってきていると思います。私のような若手・中堅の教員が、いろんな大学や大学院で中東政治を教えるようになっています。それは、結局のところ昔に比べてポストが増えたということなのですが、その背景には、9.11事件以降の中東やイスラームへの社会的な関心の高まりに答えようとする大学側の変化もありますし、「国際化」の波、特に「国際系」学部の増加もあるでしょう。


本も確実に増えており、辞典・工具類や原典翻訳もいくつも刊行されています。そして、インターネットの普及が、ある意味で中東を「ブラックボックス」の外に出しました。中東で何が起きているのか、実に簡単に知ることができる情報環境が生まれたからです。


なので、ある人が「中東政治を学びたい」と思ったとして、ある程度は自力で勉強や研究を進めていけるようになっているのではないでしょうか。


――新書でも中東やイスラームについての本は多いです。何か「事件」が起きるたびに書店の棚が関連本で溢れかえります。けれども、そのうちどれだけの本が残っていくのだろうかと、本を作りながら疑問を感じるときもあります。その点で、今回の新書に込めた思いをお聞かせください。


「知のインフラ」は、研究者や専門家を目指す人たちのためだけのものではありません。大学だけでなく日本全体が「国際化」に向かっているのだとすれば、教養として中東やイスラームについて学ぶことは、誰にとっても大事なことのはずです。


確かに「事件」のたびに多くの本が出るようになりました。そこには、中東やイスラームへの関心の高まりという社会的なニーズに即応する日本の出版文化の底力を見ることができるのですが、その半面、長く読み継がれるような本、基礎知識を体系的に学ぶことができる手軽な本は相対的に少なくなっているように感じます。


他方、中東やイスラームに関する研究の発展や研究者の裾野の広がりから、重厚な学術書や論文集も徐々に増えてきていますが、それらは研究者や専門家を対象としており、また、それゆえに、当然ながら、個別の事例を深く理解することに主眼が置かれています。


つまり、一般の読者の目線で見たときに、「ソフトすぎる概説書」と「ハードすぎる専門書」の二者択一になっているのではないか、と。


なので、今回の新書にかんしては、担当編集者の中山永基さんとも相談して、長く読んでもらえるものをつくりたいと考えていました。中東やイスラームについて確かな教養を身につけることができる本、別の言い方をすれば、学界での通説や共通認識のようなものが盛り込まれた「ソフトな専門書」ないしは「ハードな概説書」をつくることができればいいな、と。


そのため、内容の硬軟のバランスには気をつけました――硬すぎず、軟らかすぎず。また、読み物としての読みやすさについても試行錯誤しました。


イスラーム主義に対しては、人によっていろいろな捉え方があるかと思いますが、是非の評価や好悪の感情をひとまず横に置いておいて、それが歴史的に中東政治の一部を構成してきたという事実をまずは踏まえておく必要があります。


私たちの新書が、中東政治やイスラーム主義への興味や好奇心や教養を深めたいという思いをもつ一般の読者だけでなく、将来その道に進みたい、例えば、研究者、ジャーナリスト、外交官、国際機関やNGOの職員、さらには、中東や世界を舞台に活躍するビジネスマンを目指す人たちに届けば嬉しく思います。


――実際、間口の広い一冊になったと思います。最後に、オススメの新書があれば教えてください。


これは難しい。よい新書の条件、いや、そもそも新書とは何なのか……。


――それについては、私たちも悩んでいます(笑)。


2000年代以降に新しい新書シリーズが次々と刊行され、今ではよく玉石混淆と言われますが、そもそもシリーズごとに想定されている読者もニーズもまったく違っているため、玉と石を簡単に分けることはできません。それが十把一絡げに「新書(新書版の大きさのノンフィクション?)」として書店の1つの棚に置かれているのが実情でしょう。


なので、読者が新書に求めているのは何なのか。その期待もイメージもおそらく多様化しているはずです。これについては、今回の新書を書いているときにも頭を悩ませました。


中東やイスラームに関する「知のインフラ」を担う新書という意味では、学生のときに何度も読んだ講談社現代新書の「新書イスラームの世界史」全3巻(1993年)を挙げておきたいと思います。歴史的な出来事だけでなく、基本的な用語や概念などを網羅的に学ぶことのできるシリーズでした。自分の知識が底上げされる感覚というか、これを読んでおけば大丈夫という安心感がありました。


「あとがき」でも触れましたが、岩波新書には故・大塚和夫先生の『イスラーム主義とは何か』(赤版885、2004年)があります。こちらも品切れになって久しいですが、今でも読み継がれている名著です。


今回の新書がそんな「知のインフラ」を支えてきた本の仲間になれれば、望外の幸せです。



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