• 岩波新書編集部

「大学」をめぐる夢の残滓(武田徹)

更新日:7月19日

※ジャーナリストであり、大学教員でもある武田徹さんに吉見俊哉『大学は何処へ 未来への設計』の書評をご寄稿いただきました。

本書に収められていた図が眼を引いた。「学内政治指向」か、否か、「秩序変革指向」か、否かを示す2つの軸を垂直に交差させて4つの象限を作り、大学教授を4パターンに分類している。



学内政治指向、つまり大学のあり方を決める作業に時間を割くことを厭わないのが「大学構造改革派」と「既成秩序維持派」のふたつだ。前者は「このままでは大学はダメになる」とひたすら秩序変革の必要を訴える。後者はその名のごとく現状維持を求めるタイプで自らの既得権を守るべく大学改革など秩序変更の要請に対して反対することに労力をかける。


一方、学内政治に関わるのは最低限に留め、学外での活動に勤しもうとするのが「専門的学術派」と「越境的言論派」のふたつ。前者は研究者の伝統に忠実にならって、学会活動を通じた専門領域での業績作りに熱心に関わり、同業専門家内での評価こそ自分の存在価値とみなす。後者は大学の枠を超えることを厭わず、マスメディア・ジャーナリズムでの活動によって社会的評価を得ることに価値を見出す。


なるほど、こうして分類してみると大学教員の生きざま=ハビトゥスがよく分かるーー。そう感心しつつ、自分自身の大学教員経験を振り返ってみた。


筆者が大学で常勤職の身分を初めて得たのは2000年代後半、キリスト教主義教育を標榜する東京郊外の小さな女子大においてだった。キリスト教系学校の世界は案外狭く、筆者の母校である国際基督教大学の卒業生がその大学でも多く教えていて、声を掛けてもらったという経緯による。

とはいえ個人的には大学教員になったという自意識は乏しかった。その頃、ジャーナリズムの世界で取材、執筆してきた経験や、記事を書くために勉強してきたことを生かして幾つかの大学で非常勤講師としてメディア論関係の授業を教えており、それと同じような気持ちで授業を持ち、同じようなスタイルで教えていた。常勤なので入学式に出席したり、学内の仕事も頼まれたりするようになったが、それでも筆者のセルフイメージはそれまで通り「メディアで仕事をするジャーナリスト・評論家」であり、先の4分類によれば「越境型言論派」だった。


ただ、教え始めてみると心境の変化があった。教室には学校教育というシステムに馴染めず高校まで不登校だった学生もいたし、経済的に大変な思いをしている母子家庭の学生もいた。大学は予想していた以上に“社会の縮図”になっていると感じた。


そう気づくと、執筆した記事を通じてではなく、大学という存在を通じて社会に影響を与えることができないかと考えるようになった。生きづらさを様々に抱えている学生たちを支え、社会に送り出せてこそキリスト教主義大学は現代的な使命=ミッションが果たせるのではないかとも思った。そして筆者はにわか「大学構造改革派」に鞍替えしてゆく。


そんな経験をしたので本書の大学改革のくだりは実に興味深く読んだ。「構造改革派が最初にすることはいつも同じで現状の正確な把握と様々なエビデンスの収集である」とある。筆者も何がその大学の強みなのか探した。たとえば熱心な事務職員がいたので点訳ボランティア団体との関わりなど視覚障害者の受け入れ体制はしっかりできていた。で、障害学生の受け入れをもっと進められないかと考えた。


もちろん障害者受け入れの体制は更に充実させなければならないが、それでも障害者教育を専門とする教員やスタッフを多く抱える学校に比べれば見劣りするだろう。それを学生同士、あるいは学生と教職員間の交わりで補えないものか。というのも聖歌隊など音楽系サークルに所属した視覚障害学生は、必要に応じて助けてくれる仲間に恵まれつつ、実に楽しそうにキャンパスライフを送っていた。それは周辺の学生や教職員にとっても他では得難い経験になっていたはずだ。設備や技術の不十分さを、支え/支えられる人間関係の中で埋めて合わせてゆく方法を学ぶ。こうして同質性の高い集団内で学ぶよりも、異質性を前提としつつ他者と心を通わせ、協働してゆく経験を提供することは大学の個性になるのではないか。その延長上に身体障害以外においても生きづらさを抱えている学生を包摂するコミュニティのようなものが作れないものか、そんなことを筆者は夢想していた。



火中の栗を拾ってはみたが


ただし、悠長に夢を見ていられる状況でないことも確かだった。その理由は経営的苦戦にある。このあたりの事情については本書に先行して著者が刊行した『大学とは何か』に詳しいが、第二次大戦敗戦時にわずか48校しかなかった日本の大学は75年に400校まで増えた。ここまでは18歳人口そのものが増加し続けていたのだから理解できなくないが、18歳人口が減り始めても大学数は増え続け、2005年には726校に達している。その背景には大学進学率の上昇が人口減を上回った事情があったが、こうした高学歴化が自然な趨勢だったのはせいぜいが80年代までで、それ以降は大学側からの新需要の掘り起こしの努力によって人為的に受験者数が維持されてきた面が否めない。『大学とは何か』によれば「この頃から、広告紙面をつかった大学の広報活動が盛んになり、各大学は様々なイメージ戦略に熱心に取り組むようになった」。こうした状況の中で既に高い知名度を得ていた大学と、広報活動に熱心に取り組める経営体力のある大学が多くの受験生を獲得して偏差値上位校となり、知名度が乏しく、広報にも多くの予算を割けない小規模な新設私立大学が偏差値低位に沈む序列化が進む。


高校生は進路担当の高校教員や予備校、塾の指導を受けて偏差値順に受験する大学を組み立ててもらって受験シーズンを迎える。その組立てに従って偏差値上位校を受験した生徒が不合格になるとより下位の大学に流れるのだが、全体のパイが小さくなると不合格者が出にくくなり、上流からの流れが細くなる。2006年以降、定員割れ大学が4割に達した状況はこうした受験生の上方シフトの結果であり、下位校の苦戦は2016年以後、収容定員厳格化の方針が文科省によって立てられ、偏差値上位校が収容定員以上の入学者を受け入れられなくなって、下位の大学への流れが太くなるまで続いた。


筆者が当時勤めていた大学も逆風の中にあった。そんな中、大学が契約していた入試コンサルタントが提案してきたのはAO入試の拡大だった。一般入試で入学者確保が望みにくくなっているだとすれば、それ以外の回路を開くしかないというのが彼の主張だった。これは、もはや綺麗事では通じないとばかりに、オープンキャンパスに来た高校生にAO受験を促す、一種の「囲い込み」戦略を伴うもの。多くの教職員が反感や違和感を抱いたのは当然だった。だが、難局の中で、火中の栗をあえて拾って入試部長の役職についていた当時の筆者は彼らの説得に回る。筆者にしてみれば、一度もキャンパスを訪れず、入試パンフレットも開いたこともないままに他校が不合格だったので入学してくるセンター試験利用学生よりも、オープンキャンパスで来校し、たとえば先の障害者受け入れに対する考え方などに共感した上で入学を希望するようになった学生のほうが将来の改革の同志として期待できるだろうという思いもあった。



専門知VS臨床知


そうして突破口を開き、より本格的な改革に進むーー、はずだったが、吉見の書くように「そこから先が問題」だった。「次の段階で構造改革派は同じように大学行政資本を蓄積している既成秩序維持派と交渉を重ねなければならない。何が争点かにもよるが、秩序維持派も簡単には妥協せず、交渉には忍耐強さが要求される。とりわけ日本では、このプロセスで無数の「根回し」が要求される。公式的な会議の議論で対立する双方が納得のいく解決策に行き着くことなどまずなく、むしろ関係者は水面下の交渉に諸会議の数倍の時間を費やすはずだ」。


そうした丁寧な説得と交渉を通じて突破する忍耐力に全く欠けていた筆者はあっけなく巻き返され、入試戦略の変更は一年目こそ効果を発揮したものの翌年からは従来路線への軌道修正を強いられた。要するに突破口すら開かれず、夢の実現が遠のいたと感じた筆者は最初の勤務先大学を離れる決意をする。


それから時間が経ち、当時、何が起きていたのか、多少は冷静に振り返られるようになった。そんなタイミングで吉見本と出会えたのは幸いだった。吉見は大学教員が「授業に加え、無数の委員会出席や管理業務や評価業務への対応、各種の報告書作成、神経を使う入試業務、FD(ファカルティ・デベロップメント)関連の講習会出席やハラスメントやコンプライアンス関連の案件対応、さらには外部資金獲得のための申請書作成、その予算処理と雇用管理、成果出版、加えて日々やり取りされる細々としたメールへのきめ細かな対応で、ほとんどあっという間に一日、一週間、一学期が過ぎていく」生活を送っていることを指摘し、「大学は疲れ果てている」と表現する。要するに目先のことに追われ続け、知的に蓄積できる時間がない。それは平成時代に着手された大綱化、大学院重点化、国立大学法人化という3つの教育改革を中心とする大学政策の結果だ。大学をより高度な研究教育機関に進化されるためだと謳われて実施されてきた政策が大学を「大学ならざるもの」へと変化・劣化させている。なぜなら「大学は、基本的にはギルド型の、専任教員が平等の権利を持つことの上に成立している組織である。この各々の教員の独立性が、大学の知的訓練の根本をなす。だから大学教員は、かなり長い時間をかけて学問的に訓練されるのであり、特定の分野において「専門家」であることが要求され、それぞれの研究で継続的に成果を出し続けなければならない。だからこそ、専門知の特権的な担い手として、大学教員の身分は保証され」てきたのだから。


必要なのは疲弊した大学に大学らしさを取り戻させる改革だろう。「構造改革派」「秩序維持派」などの立場の違いを乗り越えて大学改革に協力をするためには「大学人たる教職員と学生が、どのようにして「自由な時間」を実現していくのかという設計について合意がなされていかなければならない」。その自由とは大学がルーツとする汎ヨーロッパ的な移動の自由の中で学識のある人物のもとに人々が集まって形成された学び舎が備えていたものに通じる。そうした合意に基づく設計の作業こそ「中長期的に、職員の業務についての組織を越えた標準化や、若手教員のキャリアパスについての大学を越えた流動性、それに学生の学びについても学部や大学、国を越えた流動性を実現することで、より風通しがよく創造的な学知の基盤を形成していくはずである」と書く。要するに大学は長い軌跡を描く小惑星のようにそのルーツに立ち還るべきなのであり、知的創造を実現する教師と学生の共同性と、オンラインを活用した時と場所に縛られない学習の組み合わせこそが大学が進むべき道だと示される。


筆者はこうして大学の未来像を提案する本書の内容に大いに納得する。そして同時に自分自身の失敗を噛みしめる。生きづらさを抱えた人間を支え、また自分も支えられる、そうした相補的な関係のなか育まれるのは学術的な専門知ではなく、臨床知とでもいうべきものだろう。専門知の特権的な担い手である大学教員にとって、専門知を学ぶことへの志向を自ら内面化した学生たちこそ専門知を伝える相手として大学に迎えるべき者なのだ。そして、そうした志向を強めるひとつが競争に耐える経験なのだとすれば、受験システムからの回避は避けるべき選択肢となる。そうした基本的価値観を「秩序維持派」は守ろうとするし、その点では「専門的学術派」も「越境言論派」も利害が一致する。彼らは不登校などの問題をかかえた学生が入試でふるい分けられずに入ってくることで授業や卒論指導に手間がかかるようになって専門知を生かした自分の学外活動の邪魔になることを嫌ったのだ。要するに筆者は大学という場になじまない提案をしていたのであり、前任校の皆さんにはお騒がせして申し訳なかったと思う。


しかし、そう認めた上で、いまだ消えることのない熱を当時見ていた夢の残滓が帯びていることを感じる。前任校を去る直前の大学礼拝で「存在しない神に祈る」と題した話をした。その大学ではキリスト教徒でなくても大学礼拝で話すことができたのだが、その中で新約学者・田川建三の同名の批評文の一節を引いた。


人間性をすり潰すような社会的現実があって、それに対して戦いを挑んで行く人間自身が、その非人間的な現実によってつぶされ、非人間的にされてゆく。そういう社会に生きている限り、この世は美しい神の創造物であるなどとは言えないはずだ。神がいればこんなひどいことにはならない。こんなひどいことになっていることが、神が不在である証しなのだと考えざるを得ない。


しかし現実はあまりにもひどく、闘わなければならない。その闘いの中で、苦しみというか、絶望というか、そういう気持ちが祈りという形式で現れる。どうしようもない現実の中で闘い、もはや祈るしかないぎりぎりのところで絶望を負いつつ祈るのだ。(「存在しない神に祈る」――『批判的主体の形成』洋泉社所収)。

こうした「存在しない神に祈」らざるをえないような境遇の者たちを受け入れ、互いに支え合う場所はやはり必要ではないか。そして、そこが非人間的な社会を改革してゆく拠点になるべきではないか。そうした臨床知を育む学びの場は、様々に疲弊して大学本来の姿である専門知蓄積の場でなくなりつつある現状の大学と別の方向ではあるが、専門知から離れるという意味で同じく大学本来のあり方から逸脱するものだった。大学に所属する者が専門知の特権的な担い手である限り、そうした臨床知を育むファシリテーター役や臨床知に基づいて活動するプレイヤー役を期待するのはそもそも無理だったのだろう。


だが、それを今まで通り「大学」の名と呼べるかどうかはともかくとして、生きづらさを感じる者たちが支え/支えられる関係を学んだうえで外の社会での再挑戦に臨み、更には社会そのものを変えてゆく、そのための助走の場を社会の中に用意する必要はあるのではないか。吉見本で示された移動の自由、オンラインによる時と場所の制約からの離脱といった大学をより大学らしいものたらしめるための基礎条件の確保は、そうした臨床知を育むためにも応用できるはずだ。「大学は何処へ」という問いかけに対して、従来の大学のあり方とは決然と袂を分かち、場合によっては大学という名称すら捨てる覚悟でそうした方向をあえて目指す大学があってもいいのではーー、今でも筆者はそう考えている。





武田徹(たけだ・とおる)

1958年生まれ。ジャーナリスト、評論家、専修大学文学部教授。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士課程修了。著書に『現代日本を読む――ノンフィクションの名作・問題作』『日本ノンフィクション史』(ともに中公新書)など。

最新記事

すべて表示