「はじめての」と名指されると、どうしても挙げずにはいられない一冊がある。リービ英雄『英語でよむ万葉集』(岩波新書)だ。一九八二年、リービ英雄による万葉集の英訳は全米図書賞を受賞。本書はここからリービ自身が約五十首を選び、翻訳の過程や発想についてのエッセイを付した。英語を母国語としながら日本語で「日本文学」を書き続けるリービの作品は、言語こそが日本人を日本人として規定する、といった類のロマンティシズムをいともたやすくうち砕いてしまう。同時に、日本語をいったん翻訳という鏡に映すことで、今まで気付かなかった言葉の瑞々しい力にも触れもできる。
「日本文学」の書き手となる以前、読者として触れた日本語への感動をかたちにするため、リービはその英訳から始めた。少しずつ時代を遡り、たどりついたのが『万葉集』だ。十九歳の秋、リービは『万葉集』の文庫版をリュックに詰め、京から奈良までを歩いた。十一世紀から八世紀、さらに七世紀へ、時間を「南下」していく旅─。
七世紀末、奈良盆地でささやかに立ち上がったクニでは、「天皇から乞食まで」あらゆる階層の人々が、自分たちの言葉で自分たちの感性を謳おうとした。それらの歌は、中国から学んだ文字によって初めて書き言葉として記され、共有されてゆく。はるか上古の、日本語そのものに対する、初々しい発見の驚きと歓びが横溢する詩に触れたとき、日本語を学ぶ途上にあった訳者自身の驚きと歓びが共振し、英語に置きかえられた詩が自然と「滲み出て」きた。
見たこともないイメージを描き出す言葉に震え、枕詞という不可思議な存在に苦吟し、日本語と英語の可能性を絞り尽くして、双方の言語の言霊を召喚するかのように翻訳していく。その過程を辿るうちに、日本語を読むこと、書くことにいささか倦んでしまっていた読者も、はじまりの時代を生きた日本人たちの震え、その歌を訳しながら著者が感じた震えとに共鳴し、新鮮な気持ちで、『万葉集』を「発見」できるのだ。
そういえば、奮い立つ、身震いする、という言葉があるように、ものがエネルギーをもって発動するさまを「ふる」と言う。その呪法を司る石上神宮は、「ふる(振る、降る)」を導く枕詞でもある。神宮に伝わる呪言、十種の祓は「布瑠部由良由良と布瑠部 かく為しては死人も生反らむ」と唱える。ゆらゆらと魂を振り動かせば、死者さえ甦るという言葉の霊威を借り、「はじめて」の地点へいま一度立ち戻りたい方に、ぜひ手に取ってほしい。
橋本麻里(はしもと・まり)
1972年生まれ。日本美術を主な領域とするライター、エディター。公益財団法人永青文庫副館長。著書に『橋本麻里の美術でたどる日本の歴史』全3巻(汐文社)、『京都で日本美術をみる[京都国立博物館]』(集英社クリエイティブ)、『SHUNGART』(共著、小学館)、『日本美術全集』第20巻(編著、小学館)など。
※この記事は、 10月1日発行の「図書」臨時増刊号 "はじめての新書" に掲載されるエッセイを転載したものです。
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