医療と聞くと難しいものであると思って身構えてしまう人もいるかもしれないが、実は身近なテーマである。多くの人は人生の中で何回も医療と接点を持つことになる。子どもの頃は風邪や中耳炎などで病院にかかった人も多いだろう。妊娠・出産は病院や助産院で行われる。そして年老いてくると身体に不具合がでてきて、否応なしに医療と関わることになる。
また、社会保障費は日本が直面する最大の問題の一つであると言っても過言ではないだろう。この問題を解決することなく、日本の財政を健全化することはまず不可能だと思われる。年金は政治的意思さえあればコントロールできるかもしれないが、医療費は国民が怪我をしたり病気になって病院にかかった「結果」として発生するものなので、コントロールは容易ではない。無理に抑制しようとすると、救急車のたらい回しや必要な医療が受けられなくなり、国民につけが回る。それらがセンセーショナルにメディアで取り上げられれば、政治的判断として医療費は引き上げざるを得なくなる。そのような事態を起こすことなく医療費をコントロールするためには緻密にデザインされた政策が必要となる。
近い将来、日本でも医療費の問題が選挙の争点になると思われる。その時に国民が投票するのに必要な医療に関する基礎知識を身に付けることができるのが、池上直己『医療・介護問題を読み解く』(日経文庫)である。なぜ医療には市場原理が通用しないのか、医師はどのような人たちなのか、日本の医療の歴史的背景などが、医療のことを全く知らない人でも分かるように平易な言葉で説明されている。文章も柔らかくて、このテーマに馴染みが無い人でもすらすらと読み進めることができるだろう。
実はこの本は二〇年以上売れているロングセラーである。初版は一九九八年に『ベーシック医療問題』という名前で出版され、二〇一四年にベーシック・シリーズの新刊の出版がなくなったことを受けて、現在のタイトルで刊行された。私が前職の世界銀行で働いていた時に、世界各国の皆保険制度および日本の医療制度に関してのレポートを池上氏と一緒に作成させて頂く機会に恵まれた。この時の調査結果がこの本には反映されているため、以前の版と比べても「世界から見た日本の医療」という視点が強化された印象を受ける。
日本の医療に関してより深く勉強したい人には、池上直己、J・C・キャンベル共著の『日本の医療―統制とバランス感覚』(中公新書)もおすすめである。骨太な一冊ではあるがじっくり腰を据えて読んでもらえれば日本の医療がなぜ今の形になったのか分かる名著である。
津川友介(つがわ・ゆうすけ)
カリフォルニア大学ロサンゼルス校助教授(医療政策学、医療経済学)。ハーバード公衆衛生大学院にてMPH(公衆衛生学修士号)、ハーバード大学で医療政策学のPh.D.取得。『「原因と結果の経済学―データから真実を見抜く思考法』(共著、ダイヤモンド社)、『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』(東洋経済新報社)。
※この記事は、 10月1日発行の「図書」臨時増刊号 "はじめての新書" に掲載されるエッセイを転載したものです。
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