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  • 執筆者の写真岩波新書編集部

隠された権力を明るみに出す/前田健太郎




私は、大学で政治学を教えている。その際、いつも最初に解かなければならないのは、「政治とは政治家の権力闘争のことだ」という誤解である。確かに、今日の社会では、国家権力を行使できるのは一握りのエリートにすぎない。しかし、そのエリートたちが行使する権力は、我々の生活に大きな影響を及ぼす。そして、その影響は、我々が気付かないところにまで及んでいる。


このような権力の働きを描いた新書として、ここでは山口誠『グアムと日本人―戦争を埋立てた楽園』(岩波新書、二〇〇七年)を紹介したい。往時ほどではないとはいえ、グアムは今でも毎年数十万人の日本人が訪れる観光地である。おそらく、多くの日本人にとってのグアムのイメージは、「青い海と白い砂」といったものではないだろうか。それは、一見すると政治と何の関わりもない。


だが、本書によれば、このイメージは広告やガイドブックによって作り出されたものだ。元々はチャモロ人が住み、スペインの植民地を経てアメリカの支配下に置かれたグアムは、アジア太平洋戦争で日本に占領されて「大宮島」となり、戦後は米軍基地の島として再びアメリカ領に戻る。やがて、グアム政府が経済的に自立するための方策を探る中で、新たな収入源として目を付けたのが、日本からの観光客だった。日本の観光産業が誘致されると、ハワイに似せたリゾートを作るべく、天然のビーチが埋め立てられ、次々にホテル建設が進んだ。それまでは戦没者の慰霊に訪れる日本人もいたが、過去の歴史は忘れられ、今や圧倒的な数の観光客が島に押し寄せるようになった。しかし、観光産業主導の島の開発は、チャモロ人の暮らしを必ずしも向上させたわけではない。社会資本整備は置き去りになり、フィリピン人の低賃金労働者が流入する中で、チャモロ人たちは島を去っていく。


この物語は、グアムの政治と経済の歴史として読む分にも興味深く、観光事業が孕む問題を考える上でも参考になる。だが、私が本書を初めて読んだ時に一番の衝撃を受けたのは、それまで自分がグアムと日本の関わりを想像しようとさえしなかったという事実に気付かされたことだった。私は、グアムを観光の島だと思い込み、それを当たり前のこととして受け入れていたのである。


大学の政治学では、強力な権力ほど目に見えにくいという命題を学ぶ。新聞やテレビが報じる政治家の動静など、氷山の一角にすぎない。本当の権力は、それが行使されていること自体を忘れさせてしまう。そうだとすれば、学問の果たすべき役割は、そうした隠された権力の働きを明るみに出し、政治を身近なものにすることであろう。本書は、コンパクトな新書の紙幅の中で、この困難な課題を鮮やかな手際で達成しているのである。



前田健太郎(まえだ・けんたろう)

1980年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科准教授。政治学。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。著書に『市民を雇わない国家――日本が公務員の少ない国へと至った道』(東京大学出版会)など。


※この記事は、 10月1日発行の「図書」臨時増刊号 "はじめての新書" に掲載されるエッセイを転載したものです。

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