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  • 執筆者の写真岩波新書編集部

編集長を訪ねて第1回 中公新書編集長 白戸直人さん

更新日:2019年8月14日

聞き手:岩波新書編集長 永沼浩一



この記事は、私、岩波新書編集長の永沼が、各社の新書編集部を訪ね、編集長のお話をうかがう連載記事です。「新書って、何だろう?」。この疑問について考えていくことが、この連載を始めるにあたっての私の中でのテーマです。編集長の方々のお話をうかがいながら、私なりに追求していきたいと思っています。


第1回として、中公新書編集部を訪ねて、編集長の白戸直人さんにお話を聞きました。一緒にお酒を飲んだり、互いに情報交換をしたり、私にとって白戸さんは、尊敬する編集長の先輩であり、良きライバルです。こうして改まった感じで、しかも会社を訪ねてお会いするのは初めてなのですが、お忙しいなか時間を割いていただいて、お話をうかがってきました。


                *  *  *


──お久しぶりです。なんだかアウェーで緊張しますけど(笑)。まずは白戸さんの自己紹介からお願いします。


【白戸さん】思い返してメモに書いてきたんですけど(笑)。基本的に雑誌の方が長いんですね。1990年に入社して『婦人公論』3年、『GQ Japan』3年、そのあと『中央公論』本誌に5年、それでまた『婦人公論』にデスクとして戻って3年、それから中公新書に移ってきました。根っこは雑誌にあるのかなっていう感じですね。


──雑誌から新書に移ってきて、どんな印象でしたか?


【白戸さん】初めは、「こんなに時間があっていいんだろうか?」って思いましたよ(笑)。雑誌はつねに回転させなければならないし、外に出てがんがん人に会う必要がある。新書は企画から出版するまで2、3年かかると言われて、ともかく人に会いに行って、原稿を依頼してましたね。異動直後からの3年間で、今回数えたら45本の企画を通していたんですが、まあ時間があった。書いてもらいたい人に会って、まえがきや目次案を頂戴して、すぐ読めるし、本当に楽しかった。あとクルマの免許とか取りに行きましたよ(笑)。知床やら対馬・壱岐なんかも行ったなぁ(笑)。


──白戸さんが編集長になられて、6年を少し超えたところと聞きましたけど、編集長になってからのこれまではどんな感じでしたか?


【白戸さん】上昇志向ゼロですし、人を管理するのも嫌いなので、まあ合わないかなと。ただ、新書は好きです(笑)。とにかくコンスタントに点数を出さなきゃいけない。編集長になったとき、部員7人中3人が異動してきた新書の“新人”。酷な人事で、3年くらいこれに苦しみました。一人ではどうにもならないですし、みんなに、「とにかく企画を出してくれ」と言い続けてきた5、6年でしたね。


──中公新書についてご紹介いただきたいんですけど、創刊のいきさつとか。


【白戸さん】社史をちゃんと読まないと、はっきりわからないんですけど(笑)。創刊は1962年11月ですね。でも、最初の構想段階では「軽装版」と呼んでいたらしい。「軽い装丁の版」ということで。


──判型は新書判なのにですか?


【白戸さん】そうですね、「新書」というのは岩波新書のイメージが強くて、「軽装版」と呼んでたんじゃないですかね、たぶん。1954年に伊藤整の『女性に関する十二章』という本をうちで出して、30万部を超えるベストセラーになったんですが、これが「軽装版」と呼ばれていたみたいです。あと社内事情で言うと、当時『週刊コウロン』という週刊誌を出していたんですけど、それが1961年に休刊になる。それで人材が余っていたのが、結構大きかったのではないかなと。


──たしか初代の編集長は、のちに作家になった宮脇俊三さんでしたよね。


【白戸さん】ええ、宮脇さんは当時、うちの編集者です。「世界の歴史」というシリーズを作ったのが当たって、新書を任されたと聞いた覚えがあります。軽装版を出すなら、中公の特徴を生かして教養ものがいいだろうという考えがあったんでしょうね。「軽装版の判型で学術教養書を毎月数点、定期的に刊行して、それを中公新書と名づけることを決定」したと、創刊50周年記念で作った『中公新書総解説目録 1962〜2012』には書いてありますね。あと、岩波新書を意識していたみたいで、「意見が一致したのは観念論を排除することであった」そうです(笑)。


──はは(笑)。ちょっと寄り気味に見える本もありますからね(笑)。そういうところに対する問題意識もおありだったんでしょうね。


【白戸さん】こう言うと怒られちゃうかもしれないけど、岩波新書の場合、事実より志や思いの方が先に出ている本もあると思うんですよ(笑)。もちろん、中公新書にもいろいろな本がありますけど(笑)。でも、そんなに極端にならず、まず「事実を」と私たちが言えるのは、岩波新書があるからできることかもしれないですね。



『中公新書総解説目録 1962〜2012』 2012年10月までに発行された2189点の解説文付きの総目録。これだけ読んでも面白い、とても便利な目録です。ぜひまた作ってほしい。



──その「事実を」というところを、もう少し教えてくださいますか?


【白戸さん】事実を偏りなく伝えることかなと。編集長というポジションにいると「中公新書ってどういうものですか?」と聞かれることが多いんですけど、やっぱり原点を意識することが多い。要するに「刊行のことば」に記されていることですね。「真に知るに価いする知識だけを選びだして提供する」とか、「中公新書が、その一貫した特色として自らに課すものは、この事実のみの持つ無条件の説得力を発揮させることである」とか。そういう意味で「事実を」ということなのかなと思います。


──事実の重視は、いまの中公新書のラインナップにも反映されているわけですね?


【白戸さん】ええ。中公新書は、分野としては歴史と政治が強いかなと思うんですけど、その分野の第一人者を探してきて、しっかりとした事実にもとづいて書いてもらうのが基本ですね、やっぱり。そのものの事実、具体的な事実を、読者の多くは知りたい。解釈や語られ方以上にね。昔と違って情報が満ち溢れていることもあるし、知識人が大きな旗を振って社会を導く時代でもない。具体的な事実を読んだうえで、読者がそれをどう見極めていくかだと考えています。


──なるほど。中公新書の歴史もの、とくに近現代史ものは定評がありますものね。私も中公新書の近現代史ものにはお世話になってきましたし、恩義を感じています。ちょうど私が高校生のときに昭和史ブームというのがあって、そのときに新書をよく読むようになったんですが、とくに中公新書にある昭和史ものですね、臼井勝美さんの『満州事変』(1974年刊)とか、高橋正衛さんの『二・二六事件』(1965年刊、増補改版94年刊)とか、伊藤隆さんの『近衛新体制』(1983年刊)はもうちょっと後だったかな、そういった本を読ませてもらってました。


【白戸さん】岩波新書の『昭和史』じゃないんですか?(笑)


──いや、じつは私の新書の原体験は中公新書なんです(笑)。中学2年のときに古屋哲夫さんの『日露戦争』を買ったのが最初ですね。買ったときのことも憶えてますよ。そういえば中公新書は、昔、ビニールカバーでしたよね? あれがトレードマークだったような?


【白戸さん】うちに限らず、他社さんの新書でもいくつかあったらしいですよ。中公新書ではたしか1992年か93年かな、それぐらいまではビニールカバーだった記憶があります。違ってたらごめんなさい(白戸さん後日談「違ってました。調べたら89年9月まで。スミマセン!」)。でも、ビニールカバーなんて古くさい感じしませんでした?


──そういう感じはしなかったですね。むしろビニールをきれいにしておきたいので、読むときはビニールカバーを外して、読み終わったらビニールカバーをまた掛けて本棚に戻すと(笑)。そういう読み方をしてましたね。あれ、逆かな?


【白戸さん】ははは(笑)。ベタッと本体にくっついていたりして、私はちょっといやでしたけどね。


──そうなんですか、私は好きでしたよ。あと、マニアックな話になりますけど、ビニールも時期によって材質が違っていたりして。さらさらのビニールだったり、つやつやのビニールだったり。


【白戸さん】予算次第だったんじゃないですかね(笑)


──話を戻しますが、「事実の提供」ということで、白戸さんにとって思い入れのある中公新書は何ですか?


【白戸さん】いろいろありますけど、ひとつは瀧井一博さんの『伊藤博文』(2010年刊)ですかね。伊藤博文の評伝自体が戦後ほぼなかったので、作ってみたかったというのがまずあります。あと、伊藤についてはとにかく「韓国を併合した悪の統治者」のようなイメージが定着していたんですけど、実証研究が進んでいくと、違うとわかってきた。瀧井さんは、実証の成果から伊藤の評価を180度変える。そういう意味で記憶に残る新書ですね。あとは服部龍二さんの『日中国交正常化』(2011年刊)ですね。オーラルヒストリーで外交官から何人も証言をとって、日本の史料はもちろん、台湾、中国、アメリカの史料も読み込んで、日中国交正常化がどのように実現したかをルポルタージュのように、また躍動感をもって描いています。原稿を読んだとき「あ、すごいな」と正直思いましたね。服部さんにはその3年前に『広田弘毅』(2008年刊)を同じく新書で書いてもらっていて、そこからの成長には本当に驚きました。




──中公新書では若手の研究者も積極的に起用されていますよね。白戸さんが担当された『シベリア出兵』(2016年刊)の麻田雅文さんとか。そのあたりも意識されていますか?


【白戸さん】気にしますよね、何年生まれということは。麻田さんは1980年生まれ、『核と日本人』(2015年刊)を書いてくれた山本昭宏さんが84年生まれだったかな。いまは80年代生まれに若手の「主戦場」は移りつつありますね。若い研究者の人は誰もやってないことを探すじゃないですか。そういう意味では、新しい知見をもっているし、やっぱり新書を書いてもらうんだったら、今までにないものを、あるいは従来の知見に大きく軌道修正をもたらすものを、と考えていますから。


──なるほど、まさしく「新」書ですね。私も取材で「新書って何ですか?」と聞かれることがよくあって。「古書の反対を新書っていうんですか?」とか、「こういうサイズの本を新書っていうんですか?」とか。言われてみれば、それもそうなんですけど、逆に私自身も「新書って何だろう?」って思うことがあるんですよね。


【白戸さん】たとえば、どんなときですか?


──たとえば編集会、私たちの編集部では企画会議のことを「編集会」と呼んでいるんですけど、その編集会で単行本的な企画が出されたときですかね。岩波書店では一般読者向けの単行本もたくさん出していますし、ときどき「ん?なんでこれが新書?」と思うような、新書と単行本との境界線上にあるような企画が出てくることもあるんです。そういう企画を見送る判断をするとき、「なんでこれは新書じゃないんだろう?」と思わされることがあって。それが裏返って「じゃあ、新書って何だろう?」なんて考えたりしますね。なんだか青臭いこと言ってますけど(笑)。


【白戸さん】「新書とは何か」というときに、判型も、もちろんあるでしょうけど、基本的には1万数千部刷るじゃないですか、新書って。それだけの部数に耐えうるテーマであること、とにかく「大きなテーマ」であることじゃないですかね。たとえば、『日露戦争』はもちろん新書の企画として成り立ちますけど、『日露戦争における工兵の役割』では新書の企画として成り立たちませんよね。そういうことじゃないですかね。


──おお、それはわかりやすい喩えですね(笑)。同感です。「大きなテーマ」といえば、私たちの編集部では「百科事典の大項目」という言い方をしますね。


【白戸さん】まさしくおっしゃるとおりで、他には「教科書のゴチック体」のような言い方ですね。脚注項目でも「慰安婦問題」とかだったら成り立つかもしれないですけど。現代の問題であり、やっぱりテーマとして強いものじゃないですかね。新書ではいま「乱もの」とか言われてますが、そのままズバリで『応仁の乱』や『観応の擾乱』と言ったからよかったと思っていますよ。


──『応仁の乱』は中世史がテーマでしたけど、あの新書にはありありと「今」を感じましたよ。まさか戦乱の世が来ると思って読んでいる人はいないでしょうが、「乱」というテーマは、そう遠くない未来への予感というか、先の見えにくい不安というか、今の時代感覚と重なり合っているんじゃないかなと思いますね、深読みですけど。


【白戸さん】まあ、いろんな解釈があるでしょう(笑)。前近代がテーマで40万部を超えるヒットはなかったので、上司に分析しろと言われてレポートを書いたりしましたよ。呉座勇一さんという史料がしっかり読める第一人者、1980年生まれという若さ、前著の『戦争の日本中世史』(新潮選書)が受賞作である、「教科書のゴチック体」、なかでも特に大きなテーマである応仁の乱で書いてくれ、何より面白い。そのうえでNHKの「ニュースウォッチ9」で取り上げられるなどブーム化した……。数字を交えて書いたけど、本当のところはわからないですね。もちろん『応仁の乱』に現代の混沌を見て、多くの人が支持してくれたのかもしれない(笑)。


──まさに教養新書の面目躍如でしたね。


【白戸さん】永沼さんから、3月でしたか、メールもらって嬉しかったですよ。「こういう本が売れてよかったです」って。


──「これぞ教養新書!」という本がベストセラーになったのは嬉しいことですよ。新書のプレゼンスをあらためて世に示してくれて感謝しています。私たちの編集部でも「負けてられない!」って話していますし。


【白戸さん】再版しないんですか? 鈴木良一さんの『応仁の乱』。


──う〜ん、呉座さんの新書が出た後じゃなあ(笑)。考えさせてもらいます。では以上で終わらせていただきます。ありがとうございました。


【白戸さん】ありがとうございました。


(2017年11月13日、中央公論新社にて)


               *  *  *


◆インタビュー後記◆

2017年はまさに中公新書の年でした。この大成果は、編集長の白戸さんをはじめ中公新書編集部のチームワークと、編集者たちの毎日の積み重ね、そして地道な準備がもたらしたものではないかと思っています。私たち岩波新書編集部でもそうですが、新書という本を作るときには、単行本とはまた違って、編集部のチームワークがとても大事になってきます。白戸さんのお話を聞いて、その大事さをあらためて感じました。


[マイベスト中公新書]

私、永沼にとって数あるベストのなかの1冊は、藤澤房俊『シチリア・マフィアの世界』1988年刊です。マフィアとは「本来は、シチリアの過酷な風土・圧政の下で育まれた、名誉と沈黙を尊ぶ民衆の行動規範を意味する」(総解説目録より)。硬質で乾いた筆致が本の世界と見事に合致して、読んでいてゾクゾクします。写真は往年のビニールカバーに包まれた同書。現在は講談社学術文庫に収録されています。




[きょうの手土産]

編集者が手土産を持参するときの理由はさまざま。東京・神保町界隈の編集者が「ここぞ」というときによく持参するのが「御菓子処 ささま」の和菓子です。ささまさんといえば、月ごとに変わる生和菓子と御干菓子。この日は、11月の生和菓子「木守」「落葉」「織部」「初霜」「秋の山」「山路」「新栗むし羊羹」の各種を持参しました。どれも頂くのがもったいないほど、彩り豊かできれいな和菓子です。




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