大塚敦子
2023年6月、私はボルネオに出かけました。オランウータンの森を修復するための植林プロジェクトにボランティアとして参加するためで、じつに3年半ぶりの海外旅行です。それは私にとって、先日上梓した『動物がくれる力 教育、福祉、そして人生』の「おわりに」で書いたことの「実践編」とも言えるものでした。
この本は過去30年余り取材してきた「人と動物のかかわり」というテーマの集大成で、取材の場は小児病棟や高齢者施設、学校や図書館、裁判所、刑務所や少年院、補助犬と暮らす人々など多岐にわたっています。たとえば、子どもたちが犬や猫への読み聞かせから読書に親しむようになる、長期入院中の子どもたちが犬とふれあって笑顔を取り戻す、若者が保護犬のケアをとおして生き直すきっかけをつかむ、受刑者が蝶を育て、病気の亀を世話して自然界とのつながりを見出すなど、さまざまな人々が動物たちとのポジティブなかかわりによって変わっていく姿を描いています。
私はそれらの取材をとおし、動物たちは、私たちがよりよく生きるのを助けてくれるだけでなく、人間と自然との橋渡し役となってくれる存在でもあると実感するようになりました。動物とのかかわりをきっかけに、人間以外の生き物にも関心や愛情を持つ人が増えれば、人間の活動が引き起こしている自然破壊をも止める力になるのではないかとも考えています。
本の「おわりに」では、そんな思いを込めて、チンパンジー研究の先駆者であり、著名な自然保護活動家でもあるジェーン・グドール博士が、動物も環境も、そこに住む人も守り育てる活動をしていることを紹介しました。私がボルネオに行ったのも、そのような活動に参加し、わずかなりとも動物たちが生きられる場所を回復するお手伝いがしたかったからです。
そこで、ようやくパンデミックが収束に向かい始めた今年、ボランティア先の候補となるプロジェクトを探しました。検索のキーワードは、Wildlife Conservation(野生動物の保全)とResponsible Travel (責任ある旅行)。Responsible Travelは近年欧米などで急速に広まっている概念で、可能なかぎり現地への環境負荷を軽減しつつ、現地の環境やコミュニティに貢献することをめざす旅行形態を指します。
アフリカ、アジア、中南米など世界中のさまざまな野生動物保全プロジェクトを検索するなかで、もっとも私が惹きつけられたのは、マレーシアの社会的企業APE Malaysiaがサバ州北東部のキナバタンガン川流域でおこなっている熱帯雨林再生事業でした。地球の地表面積の3%を占めているにすぎない熱帯雨林には、全生物種の50%が生息しているといわれており、なかでもボルネオのキナバタンガン川流域は世界有数の生物多様性を持つ重要なエリアです。この地域には10種類もの霊長類を含む400近い動物種と、1000を超える植物種が生息しています。
ところが、その貴重な野生動物の宝庫が、かつては大規模伐採、近年はパームヤシ(アブラヤシ)のプランテーション開発のために大きく損なわれているのです。森が伐採されて住処を失ったうえ、開発によって森と森が寸断されたために移動ができなくなり、生息域を狭められたオランウータンたちは絶滅の危機に瀕しています(HUTAN - Kinabatangan Orangutan Conservation Project によると、1900年代初頭に約20,000頭だったオランウータンの数は、2015年には推定785頭に激減)。APE Malaysiaのプロジェクトは、サバ州政府が指定した野生動物保護区の中の、森と森が寸断されている場所に植林し、オランウータンやボルネオゾウなどの動物たちが移動できる「命の回廊」を作って生息域を拡大しようというものです。
森の再生事業に従事する現地のスタッフは、全員が代々キナバタンガン川流域に暮らす「オラン・スンガイ」(川の人々)と呼ばれる先住民。ボランティアは先住民が所有・運営するロッジに宿泊し、村民宅で食事を提供してもらい、村民のボートで移動します。つまり、ボランティアに参加することで、直接的・間接的に彼らのコミュニティに貢献しつつ、先住民の伝統文化に触れることができるという点も大変魅力でした。
じつは私は以前ボルネオに取材に行ったことがあります。日本企業などによる熱帯雨林の商業伐採が問題になっていた1980年代後半、当時マレーシアのサラワク州では森とともに生きる先住民プナンの人々が、自分たちの生活の場を破壊する伐採を止めようと伐採道路にバリケードを築いて抵抗していたのです。
高度成長期の日本で、建設用のコンパネ(コンクリート型枠用の合板)やカラーボックスなどの安い家具に使われた合板の大半は、フィリピン、マレーシア、インドネシアなどから大量に輸入した南洋材からつくられていました。南洋材とは、フィリピンではラワン、マレーシアやインドネシアではメランティと呼ばれるフタバガキ科の木です。フタバガキ科の木は熱帯雨林を構成する主要な樹木で、何百年もかけてゆっくり成長し、やがて40〜80メートルもの巨木になります。そんな立派な大木があっけなくチェインソーで切り倒されていくのを目の当たりにしたときの衝撃は、いまでも忘れられません。
その後、森林の危機と保護を訴えた1992年の地球サミットや原産国の輸出規制強化などにより、南洋材の輸入は激減しました。とはいえ、ボルネオの原生林の大半はすでに失われ、現在はパーム油をとるためのパームヤシのプランテーションがエコシステムを脅かしています。
生産性が高く、価格が安定しているパーム油はスナック菓子、インスタント麺、マーガリン、アイスクリーム、洗剤、石鹸、化粧品など、私たちが日常的に消費する製品に幅広く利用されていますが(加工食品では「パーム油」ではなく、「植物油脂」と記載される)、このパーム油の85%はボルネオ(マレーシアとインドネシアの二カ国)で生産されています。私たち日本人はボルネオの熱帯雨林から大きな恩恵を受けているわけですが、そのつけをもっとも多く払わされているのは住処を奪われた動物たちであると言わざるをえません。そういうわけで、私はAPE Malaysiaの森林再生プロジェクトに参加することにしたのでした。
さて、オラン・スンガイの村スカウ滞在中の主な日課は、午前中に植林作業やすでに植えた木々のメインテナンスをし、お昼の休憩を挟んで、午後はボートでキナバタンダン川流域の野生動物のモニタリングをするというものです。
モニタリングをすると、自分たちが植えている樹種が実際に動物たちに利用されているのを見ることができ、いっそう植林作業へのモチベーションが高まります。テングザル、ブタオザル、カニクイザルなどさまざまな霊長類のほか、サイチョウなど多くの珍しい鳥を見ることができました。夜のモニタリングでは、ジャコウネコやクロコダイルも。残念ながら、オランウータンははるか遠くにちらっとしか見えませんでしたが、この毎日のモニタリングは大きな楽しみでした。
「木を植える」という行為には再生や修復といった象徴的な意味あいがあり、ロマンを感じる人は少なくないでしょう。ボランティアを始めた当初の私もそうでした。しかし、現場で学んだのは、植林ももちろん大切だけれど、より重要なのは、植えた木が確実に育つよう守り、手入れする「メインテナンス」だということでした。
というのは、どんなに多くの苗木を植えたとしても、定期的に手入れをしなければ苗木は育たないからです。植物の生長が早い熱帯の森では、苗木はあっという間に雑草に埋もれ、つる植物に覆われてしまいます。動物たちに掘り返されたり、折られたりすることもあります。コロナ禍によるロックダウンで、長期間メインテナンスに行けなかったときは多くの苗木を失ったそうです。
今回手入れに行ったサイト(場所)には4か月前に植えたばかりの幼木がありましたが、どれもすでに雑草に覆われていました。さっそくナタの使い方を教わり、ナタで幼木の周囲の雑草を刈払い、巻きついたツル植物を取り除き、適宜剪定します。APE Malaysiaでは、植林してから5年間、年3〜4回の定期メインテナンスをおこなうようにしており、何もしなければ生存率20%のところを75%に改善できたとのことでした。
高温多湿の熱帯気候のなかでのメインテナンス作業は、けっして楽ではありません。汗は大量にしたたり、腰は痛くなり、手にはマメができます。が、この清々しさと圧倒的な充足感はどうでしょう。草ぼうぼうだった場所がやがてすっきりと開けていくのを見る達成感。森の中で鳥たちのさえずりを聴きながら、自然の息吹を感じる静かな時間。黙々と手を動かしていると、あらゆる雑念が消え、疲れていた心が癒されていくのを感じます。
そして、自分が手入れしている一本一本の幼木のかぼそい幹に絡みついたツルをそっと外し、ツルが食い込んだ跡を撫でたりしていると、なんとも言えない慈しみの感情が湧き上がってくるのです。それらの幼木がまるで自分の子どものように思えてきて、どうか無事に育ってほしいと祈るような気持ちになります。このような感覚は日常的に庭仕事や農作業をしている人は常に経験していることなのかもしれませんが、私にとっては新鮮な驚きでした。
植林もまた、非常にやりがいのある作業でした。オラン・スンガイの女性たちが育てた苗木を川沿いの開けた場所までボートで運びます。
今回の植林サイトは湿地帯で、一部はほとんど沼になっているむずかしい場所でした。泥まみれになりながら穴を掘り、肥料を入れて一本一本丁寧に植え込んでいきます。
APE Malaysiaはサバ州野生生物局から割り当てられた11のサイトで植林事業をおこなっています。その総面積は20ヘクタールで、2008年の開始以来10万本近い木を植えてきました。果実をつける木、根が水に浸かっても大丈夫な耐水性のある木、生長が早い木など、30種類もの在来種の木を植林しています。
植林事業の第1段階は、まず樹冠どうしが接して横に連なる林冠(キャノピー)をつくること。第2段階は、第1段階の植林から8〜10年ほど経過したあと、さらに森の密度を高めるため、ある程度の高さまで育った木々の間に植樹していくこと。そして、第3段階は伐採によってほとんど失われてしまったフタバガキ科の木を植えること。現在は第1段階と第2段階がおこなわれていますが、ドローンで空撮した写真を見ると、あきらかに森が再生しつつあるのがわかります。
あちこちにカメラトラップを設置し、植林した場所にどんな動物たちが来ているのかも定期的に調べていますが、嬉しいことに、オランウータン、ボルネオゾウ、ジャコウネコなどの希少な動物たちが撮影されているとのこと。植林した木の上にいるオランウータンが目撃されたこともあるそうです。
かつてはオランウータンは原生林でなければ生きていけないといわれていました。でも、いまではたとえ二次林であっても生息できることがわかっています。
APE Malaysiaのプロジェクト・コーディネーター、マーク・ベネディクトはこう話します。
「一度失われた原生林はもう再生できません。あれほどの巨樹が育つことはもうないでしょう。でも、私たちは、動物たちが生きられる森を作ることはできる。実際に動物たちが戻ってきています。それが希望です」
そして、彼はこうも言いました。
「たしかに森林破壊は再生のスピードより速く進んでいます。でも、絶望している暇はない。いま行動すれば、一本ずつでも木を植えていけば、このキナバタンガン川流域のすばらしい自然は、きっと100年後も残っていると信じています」
マークの言葉には心を揺さぶられました。実際に現場で行動し、その手応えを肌身で感じている人だからこその力強い言葉です。
気候変動、壊滅的な山火事、熱帯林の急速な消失、海洋汚染、パンデミック、そして戦争……。東京でニュースを読んでいると心が折れそうになるものばかりで、ともすれば、もう何をやっても間に合わないのではないかと絶望に駆られそうになります。最近は欧米だけでなく、日本の若者の間にも「「エコ・グリーフ(悲嘆)」を感じる人が増えていると聞きますが、私自身もその一人です。
でも、マークの言葉からは、絶望に打ち克ち、希望を持ち続けるための最良の処方箋は、「行動すること」なのだと強く感じました。
拙著でも引用したジェーン・グドール博士の著書『希望の教室』(The Book of Hope)の中で、博士はこう述べています。
「“希望”は往々にして誤解されています。一般的には、ただ何かが起こることを望んでいるだけの、受け身の考えのようにとらえられがちですが、本当の希望はその対極にあります。本当の希望は、自ら積極的、献身的に行動してこそ得られるのです」
そして、「わたしたちが地球に与えてきた傷を癒す時間は、まだあります」とも。
私がボランティアをしたのはたった12日間でしたが、今回の旅で得た最大の収穫は「希望」でした。これさえあれば、この先どんなに暗いニュースが続いたとしても、なんとか持ちこたえられそうな気がします。
本の「おわりに」でも書きましたが、人間が引き起こしている破壊を止められるのは、人間しかいません。「エコ・グリーフ」にとらわれそうになったときは、森や動物たちを想い、行動することによって乗り越える。−−−−この環境危機の時代を生き抜く大切な指針になりそうです。
●APE Malaysiaについて
Aが表すのはAnimals、PはPeople、EはEnvironment。植林プロジェクトやマレーグマ保護施設でのボランティアプロジェクトをとおして、動物も環境も、そこに住む人も守り、育てる活動をしています。個人や企業がAPE Malaysiaのウェブサイトで苗木を購入し、それを現地スタッフが植樹するROAR(Restore Our Amazing Rainforest)という取り組みもおこなっています。
大塚敦子(オオツカ アツコ)
1960年和歌山市生まれ。1983年上智大学文学部英文学科卒業。商社勤務を経て、世界各地の紛争取材の後、困難を抱えた人と自然や動物の絆、人と動物のかかわりなどをテーマに執筆。
『さよならエルマおばあさん』(小学館)で2001年講談社出版文化賞絵本賞、小学館児童出版文化賞受賞。『〈刑務所〉で盲導犬を育てる』(岩波ジュニア新書)、『犬、そして猫が生きる力をくれた――介助犬と人びとの新しい物語』(岩波現代文庫)、『ギヴ・ミー・ア・チャンス――犬と少年の再出発』(講談社)、『犬が来る病院――命に向き合う子どもたちが教えてくれたこと』(角川文庫)など著書多数。新著に『動物がくれる力 教育、福祉、そして人生』(岩波新書)。
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