飯島渉
ブラウン元英国首相の提言
COVID-19のパンデミックの中で、英国のブラウン元首相は、2020年3月下旬、今回の事態は世界がこれまで経験したことのない危機的なものであるから、一時的に世界政府を組織し対策にあたる必要があると提言しました(The Guardianへのコメント)。EUからの離脱が現実となっていたので、この提言はなかば冷笑の対象となり、顧みられませんでした。現在に至るまで、対策は、既存の国家を単位として進められています。「国際」保健機関としてのWHOの存在感も揺らぎました。COVID-19のパンデミックの影響は、世界の政治、経済、社会から一人一人の生活に及んでいます。世界ははじめて「生死をともにしながら、共通の危機に直面している」と言えるかもしれません。現代社会が抱えているさまざまな矛盾が顕在化し、可視化されました。その多くが、各国の医療や公衆衛生の制度や水準、そして、貧困、性差、人種などと関係していました。
COVID-19のパンデミックが1年をこえた現在、感染症対策は、世界政府(あるいは緊密な国際協調)によって進められるのが実はもっともコストが低かったのではないかと感じています。中国は、初期対応に問題があったと批判されながら、強硬なロックダウンを実施し、感染を抑え込んだかに見えます。世界は、この面でも「中国」問題に直面していると言えるでしょう。
今回は、2020年春の日本での緊急事態宣言(第1回)の状況を中心に、COVID-19のパンデミックの様相を書いてみます。緊急事態宣言を「第1回」としてまとめなければならないことがたいへん残念です。
大づかみに言って、2020年3月から4月の状況は、次の3つの局面にまとめることができます。第1に、中国に端を発したCOVID-19は、韓国や日本をはじめさまざまな地域に広がりました。2月の段階で、日本での感染者は数も少なく、関心は、前回取り上げたダイヤモンド・プリンセス号への対応に集まっていました。しかし次第に感染の拡大が明らかになり、2月末、安倍晋三首相は、国民に行動の変容を求めるとともに、小中高等学校の一斉休校を要請しました。そして、感染はいったん沈静化するかに見えたのですが、3月末になると再び拡大しました。4月7日、安倍首相は、東京など7都府県に対して、緊急事態宣言を発令し、16日に対象地域は全都道府県に拡大されました。それから1年以上が経過しているにもかかわらず、収束は依然として見通せません。
第2に、COVID-19の感染はヨーロッパにも広がり、まずイタリアやスペインなどで大きな被害が出ました。先進国で感染が拡大し、医療崩壊が起きたことに衝撃が広がりました。EU諸国は、当初、検疫などの対策の強化に消極的でした。加盟国間での移動の自由という理念に反するからです。しかし、3月後半には方針を転換し、国境管理を再開しました。ところが、感染の拡大を防ぐことができず、多くの国でロックダウンなどの厳しい対策が選択されました。
第3に、中国は感染の抑え込みに成功し、武漢市のロックダウンは4月7日に解除されました。ヨーロッパや南北アメリカでも感染が広がる中で、台湾やニュージーランドは大規模な感染の回避に成功しました。その要因の一つは、水際検疫を厳しく行ったことでした。独自の対策を選択したのはスウェーデンで、高齢者への医療的対応を進めつつ、ある程度の感染を受忍し、集団免疫の獲得を目指す戦略をとったのです。
論ずべきことはたくさんありますが、今回は、2020年3月から4月の日本の状況を中心に、それを国際社会の中に位置づけてみます。同時に、「細部」にこだわる姿勢を見失わないよう心がけます。
一斉休校の衝撃、2020年3月の日本
ダイヤモンド・プリンセス号に目を奪われている間に、日本でもCOVID-19の感染が広がっていました。2月27日、安倍首相は、全国の小中高等学校の臨時休校を要請しました。それはあまりに突然だったのですが、3月2日、多くの学校が臨時休校に入りました。3月1日は日曜日でしたが、翌日からの休校に備え臨時授業を実施した学校もあったようです。大分県の豊後大野市の小中学校でも臨時登校日となり、先生が翌日からの過ごし方を説明しました。「せめて(休校まで)一週間の猶予があれば、準備できることも増えたのに」とは先生の嘆きです(『東京新聞』2020年3月2日、朝刊、22面)。
一斉休校はどのように選択されたのでしょうか。2月25日午後の会議でそれを主導したのは今井尚哉首相補佐官だったとされています。菅義偉官房長官(当時)は、感染者がいない地域もある中で、「やり過ぎではないか」という認識だったようです。しかし、この時期、対策が後手にまわっているという批判が強まっていて、北海道が小中学校の休校を要請すると、27日朝、官邸は文部科学省に一斉休校案を伝えました。萩生田光一文科相は安倍首相の側近の一人ですが、突然の休校案に難色を示しました。しかし、同日午後、安倍首相は萩生田文科相に政治決断を通告します。つまり、反対を押し切っての独断というのが実際でした。全国的な休校の要請は慎重な政治判断や計画があったわけではないので、逆にその過程がわかるようです(『東京新聞』2020年3月2日、朝刊、2面)。3月2日の参議院予算委員会で、安倍首相は休校要請が準備不足だったことを認め、その是非に関しては、「直接専門家の意見を聴いていない」と語っています(『東京新聞』2020年3月3日、朝刊、3面)。こうした過程は、前回紹介した『民間臨調報告書』でも検証できます(アジア・パシフィック・イニシアティブ『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』ディスカバー・トゥエンティワン、2020年10月、124頁)。
臨時休校はどのように受け止められたのでしょうか。知り合いになった新聞記者から、滋賀県の彦根東高校新聞部が、その様子を「高校生新聞」として『中日新聞』に掲載していることを教えてもらいました。3月初めの1年生と2年生465人を対象としたアンケート(回答は約74%)では、「とまどった」や「驚いた」という答えがいずれも3割ありました。学校行事や部活動の中止の影響は大きく、また、半分以上の生徒さんがスマホを使う時間が増えてしまうと回答しました。こうした身近な出来事をもっと集めておくことにしましょう。
小中高などの学校の一斉休校では、特に低学年の子どもを持つ親御さんたちの苦労がクローズアップされました。また、その後の学校再開のための苦労も並大抵のものではなかったと思われます。先生方は生徒の下校後に学校の消毒作業を行いました。授業、家庭との連絡、会議、文書作成などに加えて、教室の清掃は負担の大きい作業だったと思います。また、養護教員の感染のリスクが大きかったことも指摘されています(「未曾有の事態に産別組合はどう動いた」『自治労通信』800号、2020年10月10日)。
この頃、私が悩んだのは、韓国・済州島での調査を実施するかどうかでした。2月末から3月初め、1週間ほど風土病の制圧をめぐる聴き取り調査を予定していました。しかし、残念ながら中止としました。インタビューの対象には高齢の方も多いからです。また、3月中旬に那覇で開催される予定だった研究会も中止になりました。
3月13日、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(その後、「特措法」と略称されることが多い)が可決され、14日施行されました。この結果、COVID-19についても首相が緊急事態宣言を発令することができるようになりました。民主党政権の下で成立した法律にCOVID-19を加えるもので、改正をせずとも対応できるとの意見がある中で、これは自民党の面子の問題だったと思われます。いずれにしても、緊急事態宣言が発令されると、都道府県知事が、外出の自粛、学校の休校やイベントの自粛を要請することが可能となり、食料や医薬品の売り渡し、医療施設のための土地や建物の使用も可能になりました(『東京新聞』2020年3月14日、朝刊、1面)。
あまり目立たないことがらですが、大切だと思うので書いておくと、「特措法」の付帯決議が採択され、COVID-19のパンデミックを「歴史的緊急事態」に指定し、関係の会議録などを保全し、国民への説明責任を果たすことになりました。3月19日、各省庁の公文書管理責任者を集め会合が開催され、関係文書の保存・管理を行って国立公文書館に移管する措置を取ることを求めました(『東京新聞』2020年3月20日、朝刊、3面)。あたりまえと思われがちですが、公文書の改ざんなどが役所において行われる事案があったばかりであり、公文書を適切に保存・継承すべきだという意識がきわめて低いのが日本の政治文化の現実であることを書いておきます。その意味で、現在進行形のCOVID-19をめぐっても注視が必要です。
3月上旬から中旬、多くの国民が息をひそめ、ウイルスとの接触をふせぐための行動の変容を行いました。当時の私の手帳を見直してみると、3月11日には定期検査のため病院に行って、CTスキャンと内視鏡検査を受けています。これは、「不要不急」ではないということ。手帳に病院の様子をメモしています。50代後半は病気がちで何度か入院と手術を経験しました。その時々の様子を書きとめることで、気持ちを整理することができることを知りました。それが役に立ちます。この日、「最近、新型コロナウイルス登場し、世の中一変している。」と書いています。
WHOのテドロス事務局長は、3月11日、ジュネーブで今回の感染症の流行を「パンデミック(感染症の世界的な大流行)」であると表明しました。感染は世界の120カ国と地域に広がり、感染者約120万人、死者4600人を超えました(『読売新聞』2020年3月13日、朝刊、1面)。ジュネーブ時間なので、日本では翌日の12日です。もし、検査が12日だったらもっといろいろメモしていたかもしれません。
クラスター対策の系譜
日本のCOVID-19対策に大きな影響を与えたのは、厚生労働省対策推進本部の諮問機関として設置された「新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード」で、そのメンバーとなったのは、2009年の新型インフルエンザ対策にあたった専門家会議のメンバーでした(公表資料は、https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00093.html)。その後、政府対策本部の下に、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」が設置され、上述のアドバイザリーボードを政府対策本部の下に置き、脇田隆字座長(国立感染症研究所長)、尾身茂副座長(地域医療機能推進機構理事長)、岡部信彦(川崎市健康安全研究所所長)など12名が構成員となり、感染症対策を助言しました(公表資料は、https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_senmonkakaigi.html)。専門家会議は、6月24日に突然廃止されますが、4カ月ほどの間、日本のCOVID-19対策の中核となります。また、2月25日、厚生労働省対策推進本部のもとに、クラスター対策班が設置され、より具体的な対策を担いました。その中心となったのが、押谷仁東北大学大学院教授と西浦博北海道大学大学院教授(当時)でした。そして、3月9日の専門家会議(第6回)で、①クラスターの早期発見・早期対応、②患者の早期診断、重症者への集中治療の充実と医療提供体制の確保、そして、③市民の行動変容、を対策の3本柱とすることになり(前掲『民間臨調報告書』120頁)、日本のCOVID-19対策の基本となります。
3月24日、安倍首相はIOCのバッハ会長と電話で会談し、7月24日に開幕する予定だった東京五輪を1年程度延期することで合意しました(『毎日新聞』2020年3月25日、朝刊、1面)。このことが、その後の日本のCOVID-19対策をさまざまな意味で規定することになりました。手帳を見ると、3月21日に墓参りに行っています。その帰りに、O医師に会っていろいろ話し、私の理解のおかしいところを指摘してもらいました。この時期、新聞などのメディアから取材を受ける機会が多くなったので、大きな間違いをしないためです。これは現在でも続いていますが、その後は、ずっとリモートで、対面の機会を逸しています。3月22日には理事になっている目黒寄生虫館の会議があり、昼過ぎからそれに参加し、目黒川のあたりを歩いています。桜の名所なのでけっこうな人出でした。感染がいったん落ち着いたかに見える中で、各地で人出があり、感染の再拡大のきっかけとなったとされています。そして、3月25日は卒業式、但し、簡略化したもので、ゼミの4年生に卒業証書を渡しただけでした。
感染症の歴史学が専門だといいながら、COVID-19の恐ろしさを実感できずにいたことも事実です。しかし、3月29日、コメディアンの志村けんがコロナで亡くなったことが報道され、衝撃が広がりました。70歳とのこと(『東京新聞』2020年3月31日、朝刊、27面)。また、4月23日には女優の岡江久美子がコロナで亡くなります。昨年末に乳がんの手術をし、本年に入って放射線治療を受けていたとのこと、免疫力が低下していたようです(『東京新聞』2020年4月24日、朝刊、26面)。テレビで顔を見たことがある人たちがコロナで亡くなるという現実に驚き、感染対策のため、親族が遺体と対面できなかったのにも衝撃を受けました。ここ数年の間に、私も両親を見送っています。病院、そして訪問介護や訪問看護などのお世話になり、一定の時間を共有することができました。もし、COVID-19のパンデミックの渦中であれば、それもかなわず、喪失感はいかばかりかと推察します。看護や介護ができなくなっている現実がしばしば伝えられるようになったのもこの時期でした(『東京新聞』2020年4月27日、朝刊、20面)。そこで、10万円が給付されることになったとき、お世話になった病院や訪問看護の施設などにわずかながらの寄付をしたのでした。
アベノマスクの配布
マスクなどの衛生用品がほとんど手に入らない状況が続いていました。年度のかわった4月1日、全世帯を対象として2枚ずつの布マスク(洗って再利用が可能)を配布すると安倍首相が述べます。「アベノマスク」と揶揄されることになる対策でした。家族の人数がたくさんでも一律2枚とのこと、「エイプリルフールの冗談ではないか」との声もあがりました。不良品の発覚などもあって、かなりの時間を要したのですが、多額の予算を使って実施に移されます。4月半ば、その経費はおよそ460億円と見積もられていました(『東京新聞』2020年4月16日、夕刊、1面)。私のところに届いたのは、5月26日のことでした(第1回に写真を掲載)。
インテリ落語家の立川談慶は、優秀な官僚が立案した対策がこの程度だったため、政府には頼れない、「私たちがしっかりしなきゃ」、「政治家をあてにしたらダメだ」という意識を国民一人一人に持たせる効果があったと皮肉を書いています(立川談慶『安政五年、江戸パンデミック。江戸っ子流コロナ撃退法』エムオン・エンタテインメント、2020年8月、125頁)。師匠は、慶應の経済出身で、サラリーマン生活を経て落語家になりました。卒業論文は、故郷長野の百姓一揆を対象としたものだったとのこと。本のタイトルの「パンデミック」はコレラのことです。病名は書いていないのですが、元禄時代の疫病の時には(1693年、元禄6年)、江戸落語の原型をつくった鹿野武左衛門が疫病除けとして「うめぼしまじない」を印刷しました。この時、武左衛門の「馬がしゃべる噺」という落語をヒントにして噂を流した浪人は死罪、武左衛門も島流し、疫病除けの版元は江戸所払いとなりました(同21頁)。アベノマスクへの皮肉を書いても罪に問われないのが現代の有難いところです。もっとも、島流しはある意味での隔離なので、師匠が強いられたステイホームと似たところもありました。
4月3日、私は日本記者クラブで記者会見を行いました。緊張しました。ポイントは2つあって、一つは中国におけるロックダウンの背景をここ100年ほどの歴史に位置づけること、もう一つはもっと長い時間的なスケール、1万年くらいの人類史のなかにCOVID-19のパンデミックを位置づけることでした。その様子は現在でも見ることができます(https://www.jnpc.or.jp/archive/conferences/35627/report)。私は学生に、発表するときにはまずジョークを言って、その場を和ませてから喋るように指導しています。前日から考えて、「大学の教員が記者会見をするのは何かミスったときの謝罪会見、例えば入学試験で問題があった場合などが多いのですが、今回はそうでなくてよかったと思っています」と冒頭に喋りました。気の利いたジョークにはならなかったようで、会場に来ていた何人かのゼミ生にどうだったかと聞いたら、「まあBくらいでしょうか」というのでいささか落ち込んだことを思い出します。
緊急事態宣言、「自粛」という対策
4月7日、安倍首相は、改正した「特措法」にもとづき、東京などの7都府県に対して緊急事態宣言を発令しました。期間は1カ月とし、これはロックダウンではないという理解でした。ちなみに、第1回緊急事態宣言直前の一週間(3月29日~4月4日)の日本全国の患者は、人口10万人に対して1.25人でした。直近の2021年5月末(5月23日~29日)は21.7人です。最初の宣言の際に、安倍首相はクラスター対策班の西浦の提言をいささか割り引いて「人と人の接触の機会を最低7割、極力8割削減する」としました。この措置には、カラオケ店などへの出入り、家族をのぞく大人数での会食の制限なども含まれましたが、公共交通機関の運行は通常通りでした。休業要請に対する補償や損失補填にはこの段階では否定的でしたが、一定の現金給付を行う可能性が示されました(『東京新聞』2020年4月8日、朝刊、1~2面)。
接触8割減というのはたいへんな目標で、緊急事態宣言以後の7都府県でも、減少は6~7割にとどまります。外出しなければならない職種も多く、難しかったのです(『東京新聞』2020年4月13日、夕刊、2面)。東京都は、4月13日、休業要請を行う店舗や施設の詳細を公表しました。対象は非常に広く、遊興施設としてのキャバレーやナイトクラブなどに加え、性風俗店、カラオケボックス、ネットカフェなどが指定され、大学や専門学校などの教育機関、ボウリング場やスポーツクラブ、劇場・映画館、博物館や美術館も対象となりました。同時に、要請に応じた店舗などに対して、協力金を支給することになりました(『東京新聞』2020年4月14日、朝刊、6面)。
休業要請の対象やそれに応じない者への対策、また、補償のあり方と内容をめぐってはさまざまな問題が発生しました。生活の糧を得るため仕事をしなければならず、それが休業要請の対象となったとすれば影響ははかりしれません。4月16日、安倍首相は、緊急事態宣言の対象地域を全都道府県に拡大します。期間は5月6日まで、大型連休中の人の移動の抑制が目的でした。そして、減収世帯を対象として30万円を給付するとしていた方針を撤回し、所得制限を設けずに全国民に一律10万円を給付することに転じました。与党内の公明党が予算案の組み替えを要請したことに対応したものでした(『東京新聞』2020年4月17日、朝刊、1面)。
4月15日、西浦は、「早急に欧米に近い外出制限をしないと爆発的な感染者の急増を防げない、結果としてたくさんの人が亡くなる可能性がある」と発言しました。死者は40万人を超える可能性があるというのです(『朝日新聞』2020年4月16日、朝刊、3面、西浦博・川端裕人『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』中央公論新社、2020年12月、181頁)。後に、「西浦の乱」と呼ばれることになったこの発言の衝撃は大きく、厳しい批判も巻き起こりました。
日本のCOVID-19対策は、緊急事態宣言を出しながらも、諸外国が行ったロックダウンを実施せず、国民に「自粛」を求め、クラスター対策を中心に感染対策を進め、重症化した患者の治療を行うことが基本でした。これは、後に、「日本モデル」と呼ばれることになります。第2回でも紹介した中澤港のHP 『鐵人三國誌』は、「3密」の回避によって集団感染の発生を予防することを提言したのはクラスター対策班の功績であると評価しています(https://minato.sip21c.org/im3r/20200419.html)。他方、医師で立命館大学教授の美馬達哉は、すでに全国的な流行拡大期になっているので、移動の自由を制限する時期を逸している、対策としては、死亡や重症化を防げるように患者の状況を把握することが必要だと批判して、クラスター対策ではすでに追いきれない段階にきていると批判しました(『東京新聞』2020年3月14日、朝刊、29面)。
この間の経緯、「日本モデル」の内実はあらためて論じることにします。先にも引用した『民間臨調報告書』はインタビューによってその経緯を明らかにしようとしていますが、政治家を除き、官僚や対策本部関係者のインタビューがいずれも匿名であるため、記録として適切とは言えません(同書114~146頁)。
「自粛」の中の暮らし
人々はいったいどんな生活を送っていたのでしょうか。COVID-19のパンデミックの「歴史化」はそうした皮膚感覚をすくい取るものでなければなりません。『東京、コロナ禍。』は、初沢亜里という写真家が、2月から7月初めまでの東京の街の様子を撮影した写真集です(柏書房、2020年8月)。ほとんど人影のない3月29日の上野公園(桜がちょうど見ごろでした)を映した一枚も収められています。ちなみに、この日は雪が降りました。
多くの聴き取りを実践し、日本の現代史を叙述している保阪正康は、「自粛」を中心とした対策について、政治指導者が戦略や戦術を持っていない、出たとこ勝負をしているとしながら、「本来、営業自粛を要請する場合は、条件を付けないといけない。自粛なら、補償はどうするのかがセットになる。それをなしに要請するのは、問題を国民に丸投げしているということにしかならない。」(保阪正康「戦略なき対策の行方は」共同通信社『心をたもつヒント――76人が語る「コロナ」』共同通信社、2020年9月、44頁、最初の配信は2020年5月3日)と批判しています。また、オクスフォード大学教授の苅谷剛彦は、「本来、自粛には自己責任や自己犠牲のような自己決定の意味合いが含まれています。誰かから要請、解除されるという筋合いのものではありません。」として、「自粛による行動統制には法的拘束力がなく、政治や社会に道徳的な判断を持ち込んだと言えます。市民に自己決定を強いる、政府による曖昧な権力行使であり、英国の場合とは異なります。」「自粛という道徳領域での行動変容の要請は、政府の責任の曖昧化をもたらしました。それがさらに加速しているように見えます。他方で、強制力を伴うように法改正すべきだという意見も出ています。日本型の国家と市民社会の関係が今後どのように変わっていくのか。コロナ禍が可視化した日本社会の変容の一つです。」(苅谷剛彦「自粛という言葉に違和感」同書146~147頁、最初の配信は2020年7月6日)、と「自粛」をめぐる様相をクリアに整理しています。
「自粛」というCOVID-19対策をどのように理解するかは、日本のコロナ史を考える上で最も重要な問題の一つであり、この間、ずっと考え続けてきました。対策の継続の中で、補償の内容や対象も変遷してきました。また、「自粛」を超えて、規制に従わない場合の罰則も導入されました。しかし、それが適用されたケースはごくわずかで、外出制限を守らない場合に警察が罰金を科すという諸外国が選択した対策との関係も含め、「走りながら考える」ことを強いられています。しかし、立ち止まって、頭を冷やしてていねいに考える必要がある大切な問題です。一つだけ考えていることを書くと、「自粛」を中心とする対策を、西浦はある学会の報告で、Voluntary Lockdownと表現していました(長崎大学卓越大学院プログラム・日英公開シンポジウム「新型コロナとグローバルヘルス」2021年3月7日)。その表現は、強制力を行使できる政府の権能や責任をあいまいにしてしまうので適切ではないと私が指摘したら、主旨はわかったので、それでは適切な表現を教えてほしいと言われました。このあたりについては、多くの方のご意見を知りたいと思っています。
世界各地で、多くの人々が息をひそめ耐えていました。それを整理し、「小さな歴史」をつむぐことが今後の課題です。なるべく多くの物語を集めるようにしています。印象的だったのは、京都市生まれ、ロンドン在住のエッエイスト入江敦彦の日記です。もともと「足止め喰らい日記(GET STUCK DIARY)」としてウェブ上で連載していたもの(https://twitter.com/athicoilye)に加筆・修正したものです。ある差別的なツイッターへの反論として、「わたしたちくらいのゲイはみんな「同性愛者はみんな死ぬぞ。やつらエイズだからな」という謂れのない差別をうけてきたもんで癪に障るんです」(入江敦彦『英国ロックダウン100日日記』本の雑誌社、2020年10月、12頁)と書いて差別の顕在化を断罪しながら、英国と日本の対策、ロックダウンと自粛を比較しています。パンデミックの中で、介護施設にいたパートナーの母(入江の義母)が亡くなります。見送ることができないまま火葬され、後に遺灰を受け取ることになりました(4月17日、54~55頁)。日記では、近隣、つまり支えあうコミュニティの大切さなど学ぶべきことが数多く書かれています。もっと紹介したいのですが、紙幅がありません。でももう一つだけ。この日記の半分以上は食事をめぐる話です。「料理って人と同じ、味覚って人格ですから。」(6月21日、191頁)と書いているほどで、さもありなん。武漢のロックダウンを庶民目線で描いた郭晶『武漢封城日記』(聯経文庫、2020年3月、稲畑耕一郎訳、潮出版社、2020年9月)を第2回でも取り上げました。この本の電子版では毎日の食事を写真に撮って紹介しています。しかし、食事への執着は圧倒的に入江の日記に軍配を上げざるを得ません。それは年齢から来る人生経験の差なのかもしれません。
感染の世界的拡大
中国に端を発したCOVID-19は、その後、韓国や日本、そしてヨーロッパ諸国にも広がりました。各地の状況はさまざまで、3月末にはイタリアやスペインでの被害が顕在化しました。イタリアでは、3月25日に感染者が7万人を超え、死者も世界最多の7000人を数えました。院内感染や医療従事者の感染も多く、軍が仮設病院を設置し、医学生の卒業試験を免除して医療現場に投入し非常事態に対応せざるを得なくなりました。その背景として、高齢化率の高さ(実は、日本が最も高いのです)や、医療費の削減を目的として10年ほどの間に病院の統廃合を急速に進めたことなども指摘されています(『東京新聞』2020年3月27日、朝刊、6面)。
こうした中で、英国やスウェーデンが選択したのは、ある程度の感染を認め集団免疫の獲得をめざす対策でした。英国のジョンソン首相は、3月16日、在宅勤務を推奨しながらも、憩いの場としてのパブなどへの出入りを避けることは勧告にとどめる緩い制限を選択しました。英国の医療制度(国民保健サービス、NHS=National Health Service)が原則無料であるため、病院に患者が殺到し医療崩壊が起こることが懸念されたことが背景にあるとされています。それを主導したのは、クリストファー・ウィッティー主席医務官(1966–)やパトリック・バランス主席科学顧問(1960–)でした(『東京新聞』2020年3月18日、朝刊、9面)。しかし、感染拡大が予想を超えると、英国も当初の計画を変更し、厳しいロックダウンに転じました。3月末にはジョンソン首相の感染も確認されました(『日本経済新聞』電子版、2020年3月27日)。エリザベス女王は、第二次世界大戦の際に歌われたヴェラ・リン(Vera Lynn)のWe’ll Meet Againのフレーズを引用し、国民を鼓舞し忍耐を訴えました(In rare address, queen offers message of hope to U.K. amid pandemic, The Japan Times, April 7, 2020, p. 6)。
スウェーデンはかなりの期間、集団免疫路線を維持しました。疫学の専門家アンデシュ・テグネル博士(1956–)がその中心人物で、当初、内外の専門家の間には共感する意見も少なくありませんでした。ある意味で、科学と政治の関係を示すものだったからです。しかし、周辺のデンマークやノルウェーではその影響を懸念していました(Sweden’s fight plan disturbs neighbors, The New York Times, International Edition, March 30, 2020, p. 5)。4月中旬、テグネル博士は、感染のピークは過ぎ、5月頃には集団免疫を獲得できるとの楽観的な見通しを示しましたが、人口約1000万の中で、感染者約1万5000人、死者1500人を超え、北欧の中では圧倒的に感染が多くなりました(『東京新聞』2020年4月22日、朝刊、10面)。スウェーデン国内にも批判があり、多くの専門家がテグネル博士の辞任と戦略の根本的な見直しを提案しました(Hans Bergstrom, Grim truth of the ‘Swedish model’, The Japan Times, April 21, 2020, p. 9)。
感染拡大を防ぐことに成功したのは台湾でした。台湾の状況はあらためて詳しく述べることにします。専門家が対策決定に深く関与し、さまざまな情報を開示したこと、ICTを利用した対策が推進されたことが特徴的でした。COVID-19への対策は、責任者となった副総統の陳建仁(ジョンズ・ホプキンス大学で公衆衛生を学び、2002–2003年にSARS対策を担った経験を生かし対策を進めた)、日本の厚生労働大臣に当たる衛生福利部長の陳時中(中央感染症指揮センターの責任者を兼任、もとは歯科医)、マスクの安定的な供給を可能にしたアプリの開発で一躍有名になった唐鳳(オードリー・タン)というキィ・パーソンのトライアングルによって進められました。
2020年初めには、米国のトランプ大統領はCOVID-19をコントロールできるとし、中国政府の対策も評価していました。ところが、感染が拡大し、大統領選挙にも影響を与え始めると、Chinese Virusという表現を用い(3月17日、https://www.nbcnews.com/news/asian-america/trump-tweets-about-coronavirus-using-term-chinese-virus-n1161161)、中国政府の対応を批判します。中国外務省の趙立堅副報道局長がツイッターで、ウイルスを武漢に持ち込んだのは米軍だと発言したことも、その背景でした(3月14日、https://www.cnn.co.jp/world/35150824.html)。こうして、中国への国際的な批判の高まりと米国の大統領選挙のはざまで、米中対立が顕在化しました。中国国内ではCOVID-19の抑制が進む中でナショナリズムが高揚し、政府への信頼感が高まりました。米国は、4月14日、WHOが「中国寄り」だとして、拠出金を停止する措置に踏み切りました。これは無視できない動きです。なぜなら、米国は約60億ドルの予算のうち、5億ドル以上を負担していた最大の資金拠出国だったからです(『東京新聞』2020年4月15日、夕刊、2面)。テドロス事務局長は、その他の国や団体に対して、支援を求めました。WHOの2018–2019年の2年間の予算に占める米国の負担は最大で14.7%、それに次ぐのがビル・ゲイツとその夫人の財団で9.8%、英国7.8%、ドイツ5.7%、日本2.7%、中国は0.2%でした(『東京新聞』2020年4月16日、夕刊、5面)。この時期、WHOへの直接的な寄付も可能だと聞き、ちょっと調べてみました。確かに可能なのですが、他方、寄付金を税金から控除することができない仕組みになっています。考えてみると当然ですが、WHOなどの国際機関の現実を知る機会になりました。
世界各地で、ロックダウンがより厳しい生活を招くことが懸念されるようになりました。行動の制限が食料の確保を難しくする地域も決して少なくないからです。記事が紹介しているのは、インドネシアのバンドンに開設された日本でいえば「子ども食堂」にあたる施設の様子です(Ruchir Sharma, Death by pandemic or hunger ?,The New York Times International Edition, April 15, 2020, p. 8)。国連のWFP(世界食糧計画)は、感染拡大の影響によって年末までに1億3000万人が飢餓状態に置かれる可能性があると警告し、「飢餓のパンデミック」への支援を訴えました(『東京新聞』2020年4月23日、朝刊、9面)。
ロックダウンと「中国モデル(中国方式)」
中国政府は、ロックダウンという強硬な対策によって、感染の拡大を食い止めました。3月10日、習近平国家主席は武漢を視察しました。これは、中国共産党が、感染の制御に関して自信を持ったことの現れと思われます。中国政府は、イタリアなどへ医師団を派遣し、医療物資を提供しました。これは、当時は「マスク外交」、最近では「ワクチン外交」と表現される医療協力の端緒でした。COVID-19のパンデミックを契機とする中国の国際的な戦略については、これを「感染症外交」として、より整理して論じてみたいと思っています。また、中国は厳格な入国管理を実施し、ひとたび感染が確認されると、全住民を対象としたPCR検査を実施し、陽性者を隔離しながら、ワクチン開発とその接種を進めました。これらを国際的な感染症対策や公衆衛生の中でどのように理解したらいいのか。中国が選択した対策を「中国モデル(中国方式)」と見なすことができるのかどうかは大きな課題で、COVID-19のパンデミックの収束の中で議論されるべきことがらです。中国政府は、武漢市や湖北省に感染を封じ込め、他地域への拡大を防ぐために、人員、医療資源や物資を集中するという、大陸国家としての縦深性を活用した戦略をとりました。
中国政府は強硬なロックダウンによって、70万人の新たな感染を防いだとする主張もあります(Wuhan lockdown averted 700,000 cases: Decision to close city bought rest of China valuabletime: study, The Japan Times, April 2, 2020, p. 5)。その意味では、中国の対策がもっと早ければ、世界はCOVID-19の抑制がより可能だったという議論となります。武漢でのCOVID-19対策の指揮をとった鐘南山医師も、第2回で紹介しましたが、2月27日、広東省の広州市で記者会見し、「12月初めか、1月初めに厳格な防疫措置をとっていたら、患者は大幅に減っていた」として、政府の対応の遅れが感染拡大につながったことを指摘しています。また、ヒトからヒトへの感染が起きていたにもかかわらず、中国CDCはそれを公表できなかったとして、中国CDCの地位と権限を強めることが必要だと指摘しました。これからすれば、確かに初期対応に問題があったと考えられます。この時、鐘は、中国国内の感染のピークは2月中旬から下旬で、4月末には感染を抑え込めるとの見通しを示していて、結果として、この判断は正しいものでした(『東京新聞』2020年2月28日、朝刊、9面)。
「中国モデル」に対して厳しい見方をしている一人は、『銃・病原菌・鉄』で著名な進化生物学者ジャレド・ダイアモンドです。強権的対策は一党独裁的な国家において可能なものだったとしながら、「民主主義国家よりも独裁国家のほうが感染症に対して有効に対処できたか」という問題への答えはノーであると述べ(ジャレド・ダイアモンド「独裁国家はパンデミックに強いのか」大野和基編『コロナ後の世界』文春新書、2020年7月、14頁)、「中国が民主主義を取り入れない限り、二十一世紀が中国の世紀になることはないでしょう。」と述べています(同42頁)。
中国のロックダウンに驚いた多くの方々から受けた質問は、中国で休業補償などが行われたのかどうかということでした。十分に調査できていませんが、補償的措置はほとんどなかったようです。飲食店の営業停止などの中でも、税の減免措置や社会保険料の軽減にとどまり、国営企業は別として、私企業や自営業の従業員の所得補償もなかったようです。人々は、貯蓄と備蓄を取り崩しながら息をひそめていたかに見えます。そのため、莫大な物資が投入され、中国全土から、多くの医療関係人員(人民解放軍も含む)が動員されました。湖北省のみで、3月15日までに、1400億元(日本円で2兆円ほど、但し、この換算はあまり意味があるとは思えません)を支出したとする見方があります。また、その後行われた武漢全市民を対象としたPCR検査の費用は20億元(日本円で約300億円)とされています。こうしたロックダウンの収支決算はもっとていねいに議論される必要があります。中国のCOVID-19対策は、強権的あり方が強調されることが多いのですが、物資や人員の動員、要するに、ヒト、モノ、そしてカネを使った対策だったというのがもう一つの姿です。そして、「社区」などの住民組織を活用したボトムアップ的な動きによってロックダウンが支えられていました。監視カメラ、コンタクトトレーシングのためのスマホなどの位置情報や個人の決済情報の活用は、他の国や地域でも行われていて、ダイアモンドが言うほど問題は単純ではないと思います。このあたりのことは、飯島渉「ロックダウンの下での「小さな歴史」」(村上陽一郎編『コロナ後の世界を生きる――私たちの提言』岩波新書、2020年7月)でも触れました。感染症対策をめぐる個人情報の管理のあり方は、ワクチン・パスポートの導入の動きに象徴されるように、むしろ深刻かつ現実の問題になっています。
ロックダウンのもとでドメスティックバイオレンス(DV)が世界じゅうで問題化しました。中国も例外ではなく、湖北省でもロックダウンが開始されると夫からの暴力を受けたという相談が増加しました。東京新聞の電話取材に答えた「〇七四職場女性法律熱線」(ちなみに、「熱線」=ホットライン)の郭晶とは、『武漢封城日記』の著者でしょう(『東京新聞』2020年4月6日、夕刊、3面)。つけ加えておくべきことは、中国政府がCOVID-19のパンデミックの封じ込めに成功し、諸外国がその制圧のために悩まされている状況がはっきりする中で、先にもふれたようにナショナリズムが高揚し、中国共産党の統治への求心力も高まっているということです。
パンデミックの意味するもの
COVID-19のパンデミックが広がる中で、過去の感染症の流行を振り返る報道などが目立つようになりました。感染症が差別とともにやってくるのは、残念ながら今回も同様でした。しかし、差別への警告も数多くありました。事例として引用されることが多かったのは中世ヨーロッパの黒死病です。黒死病とユダヤ人への差別や暴力から、21世紀のパンデミックとアジア人への差別や暴力の問題性を学ぶべきという論調もありました(Hannah Marcus, Coronavirus and lessons of the plague, The New York Times, International Edition, March 4, 2020, pp.1, 10)。
米国のロサンゼルスでは、あるネイルサロンでベトナム系の従業員が中国系の客に差別的な発言をする事件が発生しました。アジア人どうしでも問題が発生しているということでしょう(Celine Tien, I’m Chinese. That doesn’t mean I have the virus, The New York Times, International Edition, March 9, 2020, p. 11)。ロンドンでも、2月下旬にシンガポール人の留学生の男性が襲われ顔を骨折する事件がありました。英国の世論調査会社の調査によると、「中国人や似た外見の人らとの接触を避ける」と回答した人の割合が、日本とドイツは28%、英国14%、フランス12%にのぼりました(『東京新聞』2020年3月12日、朝刊、9面)。
日本でも、横浜中華街のお店に中国人を中傷する手紙が届きました。林文子横浜市長は記者会見で、それがヘイトスピーチにあたるとしました(『東京新聞』2020年3月7日、朝刊、横浜神奈川版、18面)。2020年春は横浜中華街にとってたいへん厳しい時期でした。2月末、人出は例年の3割に減少したとのことです。4月上旬には9割のお店が休業しました。同時に大きな打撃となったのはヘイトクライムによる精神的打撃でした。
3月20日、横浜中華街の媽祖廟でCOVID-19の退散を祈る行事が行われました。「祈安息災和疫」という「神頼み」は、科学的対策とも両立するように思います。というのも、行動変容の動機づけとして意味があると思うからです。端午の節句には、横浜中華街発展会は中区の小学校6年生の全員に「粽(ちまき)」をプレゼントしました。粽を食べるのは古代中国の詩人政治家である屈原の故事に由来します。陰謀によって川に身を投じた屈原の身体が魚に食べられないように多くの民が粽を投げ入れたという故事に由来していて、屈原が入水した日が5月5日だったことから、端午の節句に粽を食べるようになったのです。その習慣は、日本にも伝えられ、西日本を中心に広がります。横浜ユーラシア文化館で開催されている企画展の「横浜中華街・160年の軌跡 この街が、ふるさとだから。」(http://www.eurasia.city.yokohama.jp/exhibitions/)を見学してこのことを知りました。
「社会」はあるか?
COVID-19に自分も感染してしまった英国のジョンソン首相は、NHSの意義について触れながら、2020年3月20日、「COVID-19の危機の中で証明されたことは、たしかに「社会」はあるということだ。(One thing I think the coronavirus crisis has already proved is that there really is such a thing as society.)」と発言しました(https://www.deccanherald.com/international/covid-19-uk-pm-boris-johnson-hails-society-in-latest-self-isolation-video-message-819237.html)。これは、1987年にサッチャー首相が、「社会などというものはない。あるのは、男性と女性、そして家族だけであり、どんな政府であっても、人びとを通して以外には何もできない。人びとが第一に自らの世話をしなければなりません。(There is no such thing ! There are individual men and women and there are families and no government can do anything except through people and people look to themselves first.)」(https://www.margaretthatcher.org/document/106689)と述べたことを受けての発言ですが、文脈をたどってみると、サッチャー首相は、「共助」も必要だと言っていて、よく言われているような、完全な「自助」を意図したものではないようです。
COVID-19のパンデミックの中で明らかになったことは、私たちが生活をしている社会(コミュニティ)が感染症対策に実質的な意味を持ったところとそうでないところがあったということでした。ジョンソン首相は、象徴的な意味で、NHSを支える「社会」の存在に言及しました。中国のロックダウンを支えた「社区」(英語ではcommunity)は、これは日本の中国社会論の根本にふれる問題ですが、21世紀になって疑似コミュニティとして強力に再編されたものです。さて、日本はどうだったのでしょうか。COVID-19のパンデミックの中で、「自助・共助・公助」という表現が使われたことの意味を考えるのは、次回以降の課題とします。
飯島渉(いいじま わたる)
1960年生まれ。青山学院大学文学部教授。「感染症の歴史学」を専門とし、東アジアのペスト史やマラリア史を研究してきた。『感染症の中国史』(中公新書、2009年)、『高まる生活リスク――社会保障と医療』(共著、中国的問題群、岩波書店、2010年)、『感染症と私たちの歴史・これから』(清水書院、2018年)など。長崎大学熱帯医学研究所客員教授、獨協医科大学特任教授、目黒寄生虫館理事。感染症対策の資料を整理・保存する「感染症アーカイブズ」(https://aidh.jp/)の代表もつとめている。
本連載は偶数月に更新します。次回は8月中旬の予定です。
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