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  • 執筆者の写真岩波新書編集部

新書で歴史を読む 第1回 清水克行さん(明治大学教授)

更新日:2019年8月14日


◆庶民生活こそ面白い!──新書で知る中世・近世の民衆たち◆



清水先生の研究室にて(2018年1月17日)

* * *



──「新書」とのはじめての出会いはいつですか?


これまで漠然と、高校1年生で読んだ三國一朗さんの『戦中用語集』(岩波新書、1985)だと思い込んでいました。ところが昨夜突然、もっと古い記憶がよみがえりました。中学2年生の時、それも『切腹の話──日本人はなぜハラを切るか』(千葉徳爾著、講談社現代新書、1972)(笑)。学校で読書感想文の課題が出た時に図書館で見つけ、怖いもの見たさで読んだのです。


しかし、この本の読後感がすごく嫌な印象だった。単に気持ち悪いだけではなく、切腹を「狩猟民族の供犠」になぞらえるなどの理屈も納得がいかなかった。長じて『耳鼻削ぎの日本史』(洋泉社歴史新書y、2015)という本を出した者としては、この頃からグロテスクなテーマに関心があると同時に、ただオカルト的な説明に落とすのは納得できないというところもあって、我ながらぶれていない(笑)。そう考えると「はじめての新書」って大事ですね。


──今日は日本史の分野から、5冊の新書をご推薦いただきました。


 菊地勇夫『飢饉──飢えと食の日本史』(集英社新書、2000年)

 永原慶二『富士山宝永大爆発』(集英社新書、2002年)


高校を出て立教大学に入学し、藤木久志先生のゼミに入りました。この藤木ゼミに入るための、レポート試験の課題になっていたのがすべて岩波新書の黄版で、ここに挙げた『一揆』と『徳政令』、それに『日本中世の民衆像──平民と職人』(網野善彦著、1980年)『平将門の乱』(福田豊彦著、1981年)でした。


──『一揆』を一番に挙げておられますね。


『一揆』は今でも、あらゆる本の中で一番好きな本かもしれません。私自身の好きな中世世界像が凝縮されている1冊です。


一番面白いのは、アプローチが民俗学的なところですね。例えば百姓一揆の際、装束としては蓑笠をまとうことが多いのですが、それはそのように姿を変えることで自らを「神」や「鬼」に仕立てるためだという。自分たちは神の代行者であり、自分たちの主張は神の意志だということですね。


あるいは「篠(ささ)を引く」という行為があり、自分たちの屋敷や田畑、あるいは村全体の周りに篠や柴で垣根をめぐらしてしまう。するとその中は聖域(アジール)となって領主も入ってこられなくなる。こうしたマジカルなことが社会のある種の約束事として成り立っており、領主の側も受け入れざるをえなかった。


中世の人びとは現在の私たちの常識が通用しない価値観の元に生きていて、全然違ったものの考え方をする。勝俣さんは、中世では「人間がその姿をかえることにより、神や動物に変わりうることも可能であった」とまで言っています(119頁)。なんかもう、それを想像するだけでも、ワクワクしませんか(笑)。それに、こうした習俗のようなことが「歴史」になるんだ、というのも面白かった。この本を読むまでは、歴史学というのはもっと政治的なことを扱う学問だと思い込んでいたんですね。


『日本史文献事典』(弘文堂、2003年)という本で『一揆』を紹介した時にも書いたのですが、この本が出たころ、一揆研究は少し行き詰まっていたと思います。ところがそこで、法制史が専門で、それまで直接には民衆史については書かれたことのなかった勝俣さんが、しかも民俗学的な方法論を持ち込んで、この本を書かれた。一揆には庶民的・土俗的な思考が実は流れ込んでいて、それこそ一揆が民衆運動の基盤となった由縁だというブレークスルーを出されて、研究がまた盛り返したという経緯があります。





──『徳政令』はいかがですか。


これも『一揆』と同じ時期に読みました。笠松先生は日本中世史研究者で一番文章がうまい人じゃないかと思います。ところが柔らかい語り口ながら言われていることは難しく、学生などには理解するのが大変なようです。


『徳政令』もまた、中世という社会が現代とどれほど異なる社会なのか教えてくれる本です。いきなり借金が棒引きになるなんて、現代の我々からはとても常識として理解しがたい話なわけですが、中世の人びとにはそこにちゃんと理屈がある。そもそも「徳政」というのは、「過去に戻すこと、社会をあるべき姿に戻すことが美徳である」という中世人独特の考え方に基づいています。彼らの時間感覚には我々とは真逆なものがあるわけです。


中世には『六法全書』なんてないし、法律は出したら出しっ放しで、管理する気が為政者の側にもない。だから中世の人が裁判を闘おうと思ったら、まずは自ら法律を探してこないといけなかった。これも現代の我々には衝撃的ですよね。


笠松さんも勝俣さんも、今のところ新書は生涯でそれぞれこの1冊しか出されていません。学者が生涯に1冊、全身全霊をこめて書く、ある時期まで新書ってそういうものだった気がします。そういう著者の思いがまた、新書の信頼にもなっていたんじゃないでしょうか。


──ライフワークを1冊に凝縮するのが新書、という。


実は藤木さんも『一揆』『徳政令』とほぼ同じ時期に、『刀狩り』を依頼されていたらしいんです。ところが出るまでに20年かかった(笑)。


秀吉の刀狩りで民衆は根こそぎ武装解除されたと皆思っているけれども、そんなことはなくて、民衆の武装というのはその後も強固なものとしてあったんだということ自体は、藤木さんは『豊臣平和令と戦国社会』(東京大学出版会、1985年)で早くに書かれています。


しかし「ではなぜ現在私たちの身の回りに武器がないのか」「なくなったのはいつなのか」という当然の疑問が出てくる。そこが分からないと一般向けの本にはならないと思ったらしいです。実際この本の後半では、徳川時代の鉄砲の管理、明治政府の廃刀令からマッカーサーまで、さらに世界史のなかで「武装」はどう考えられてきたのかということまで話が広がっている。


今我々の身の周りに武器がないのは、民衆自身の側に「こんなものを持っていては危ない」「持っていてもいいけれど使うのはやめよう」という自制心が、誰が言い出したというわけでもなく出来上がっていき、浸透していったからです。


例えば江戸時代後期の甲州騒動における一揆で、幕府が百姓たちに鉄砲を撃った。それを杉田玄白が「前代未聞だ」と日記に書いているんですね。当時の人には、たとえ一揆であっても「飛び道具は使わない」「百姓を殲滅したりはしない」というルールと自制心があった。それなのに鉄砲をぶっ放してしまったというのが、玄白にはモラルハザードに感じられたんでしょうね。逆に言えば、モラルがそれだけ強固なものとしてあったということになる。


藤木さんは「その現実のなかに、武器を長く封印しつづけてきた私たちの、平和の歴史への強い共同意思(市民のコンセンサス)が込められている」という言い方をしていますね(223頁)。権力による「武装解除」ではなく自律による「武器封印」をご先祖たちは達成したのであって、我々はもっと過去に自信を持っていいわけです。


『一揆』が一番好きな本だと言いましたが、たぶん今の若い人が一番読んで面白いのは、藤木さんの『刀狩り』だと思います。現代的な課題から始まって現代に戻ってくる構成ですし、何より「刀狩り」という言葉自体は誰でも知っている有名なものなので、学生たちも身近に感じやすいようです。





──『飢饉』『富士山宝永大爆発』も選ばれていますが。


この2冊は意外に研究者の間でも知られていないので、ぜひ紹介したいと思いました。


『飢饉』が出たころ、多くの歴史学者はまだ飢饉を年表の中の1つの逸話くらいにしか考えていませんでした。それが最近は「飢饉が歴史を動かした」という言われ方をするほどで、転換のきっかけとなった重要な本だと思います。


著者の菊池さんは近世史がご専門です。近世は文書史料が多いので、飢饉の実態と当時の人びとの克服の努力がとても具体的に描かれています。飢饉を乗り越えるために為政者の側がどういう政治思想をたくわえていったか、あるいは流通経済にじつは飢饉の原因があることなど、飢饉から近世社会の本質が分かるのです。


例えば江戸時代後期の飢饉でいちばん被害が大きいのは東北地方なのですが、その原因としては、気候条件よりもむしろこの地域の農業が換金作物である大豆栽培に特化していたことが大きかった。つまり地方農村社会への商品経済の浸透のせいで、あれだけ巨大な飢饉になったというんですね。


江戸の享楽的な生活を支えるために東北が犠牲になって飢饉が起きるという構造は、現在のグローバル経済でも同じじゃないか。淡々と事実を書いてあるんだけれど、考えさせられる迫力があります。


──『富士山宝永大爆発』も災害史がテーマですね。


著者の永原慶二さんは戦後歴史学のリーダーとして活躍された方で、2004年に亡くなられる直前(2年前)にこの本を書かれたのですが、中世史研究者の「最終到達点」がなぜ近世、しかも富士山噴火なのか。最初、私にはとても意外な印象がありました。


私の見たところ、これは永原さんなりの「社会史」だと思います。晩年の永原さんは網野善彦さんをずっと意識しておられたと思うし、網野さんの社会史に対して、これこそが社会史だという思いで出されたのが、この本じゃないでしょうか。


何しろ宝永噴火というのはものすごい規模で、御殿場あたりでは高さ1メートル以上の火山灰に埋もれたらしいです。あわせて川底に流入した灰が積もって天井川になり、堤を破って氾濫して水害になるという二次災害も起こる。その復興事業の中心となった人物が3人いて、その人間ドラマもとても面白いのですが、なかでも永原さんが強調しているのは、真の主人公は「名も無き民衆」だということです。


飢饉と不作に苦しみながら窮状を藩に訴え、藩が使えないと分かると、江戸城に直訴しようとする。この時代には「幕府に訴えれば保護してもらえるはずだ」という常識が民衆の間にあったことも分かって面白い。ともかく1冊を通じて、真の復興はやはり庶民の力でなされる、庶民の味方が最後に勝者になるという、あつい民衆への信頼が通底しています。


この本には「復興」「被災地」「義援金」などの言葉が出てきて、今読む我々には当然3.11がだぶる。東日本大震災の前に書かれた本なのですが、当時としては地味なテーマをとりあげ、先んじて警鐘を鳴らされたのはやはりすごいことだと感じます。


──あらためて5冊を振り返ってみて、共通点はありますか。


私の好みはやはり抽象よりも具象にこだわるもの、淡々と何があったのかを書くものが好きだということですね。とくに庶民生活のリアリティ。農業生産や村の生活がどうだったのかというのは、もっと深く知られていいと思います。


この前授業で「ささげ」という穀物の名前が史料に出てきたのですが、学生は皆「ささげ」を知らない。赤飯に入っている豆がささげだよと言うと、「あれは小豆じゃないんですか」と言って、信じない(笑)。たしかに小豆を使う赤飯もあるんですが、おそらく今の学生はその違いをあまり意識することはないんでしょうね。先ほど飢饉の原因として出てきた大豆が、居酒屋のつまみの枝豆と同じものだということを知らない学生も意外にいます。だから史料を読んでもリアリティがないし、『飢饉』のような本にも手が伸びないのかもしれない。


昔の庶民生活を知るというのは、今の豊かさの背後にどういう不幸があるのか、先人のどういう努力があって今の治安があるのか、といった想像力とつながると思うのです。自分自身が謳歌している快適さは何に由来するのかという想像力が、今こそ必要なんじゃないか。


自分も教育者として、できるかぎり歴史を通じてそういうイマジネーションを喚起するような仕事をしたいですね。


──それは歴史を専門に勉強する人に限らず、ですね。


僕が大学で日ごろ教えているのは商学部の学生なので、学者志望でも歴史専攻でもありません。でもマーケティングや流通が専門と言いながら、ささげと小豆の区別もつかないのはどうなんだ、と。


かつて藤木さんから「戦国時代の専門家にはなるな」とよく言われました。ある事柄に興味があるなら、それと同じような事象が別の地域でどう行われているか、人類学ではどう語られているのか、生物学ではどう語られているのか、知りたくなるのが普通で、戦国をやるにも必要なら鎌倉時代に遡ってもいいし、江戸時代に降ってもいい。


『刀狩り』はまさにその考え方を実現した、「新書はこうありたい」というものだと思います。今は大学生になってはじめて新書を手にするという学生も多いので、まず「新書とは何か」ということ、「新しく出た本」じゃないよ、というところから教えないといけないのですが(笑)、私自身も新書を書くときには、そういうスケールの広さは意識しているかもしれません。


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清水克行さんの新著『戦国大名と分国法』は、7月に刊行予定です。お楽しみに!



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