• 岩波新書編集部

在野に学問あり 第0回 「はじめに」に代えて父への手紙

最終更新: 3月17日

記事執筆:山本ぽてと



お父さんへ


お元気ですか。次に手紙を書くときは結婚式の花嫁の手紙だろうと勝手に思っていました。まさか、岩波書店のホームページで書くことになろうとは。本当に人生何があるのかわかりません。


さて、この手紙を書いたのには理由があります。定年退職したらやりたいと言っていた、例の件についてです。あ、退職おめでとう。お仕事お疲れ様でした。


この前、地元の沖縄からお父さんは私の住む東京にやってきました。池袋の西武で待ち合わせて、お父さんは30分遅刻しましたね。お父さんはイタリアンが食べたいと言い、私は寿司がいいと言い、結局とんかつになりました。お父さんはとんかつについていたゴマをごりごりすりながらこう言いました。


「お父さん、退職したら研究をするから」


それは不思議なことではありませんでした。お父さんはずっと地元の博物館で働いていましたし、イノシシの骨を集めたり、クジラの骨を集めたりしていました。


ちなみに小学生のころ、家にズラッとリュウキュウイノシシの頭蓋骨を並べて、下あごの長さを計測していましたね。私も休日は何度か手伝いました。そのとき、学校の友達が家に遊びに来ましたが、並んだ頭蓋骨を見て、ひきつった顔をして帰っていきました。あれ以来、友達は家に遊びに来なくなりました。


あと沖縄戦体験者の聞き取りもしていましたね。そうやって貴重な資料を残していくのは、わが父ながら非常に重要な仕事だと思い、頭が下がります。


しかしお父さんの口から出た言葉はこれでした。


「平家の残党が沖縄に流れ着いたことを研究する」


なるほど。これはトンデモなんじゃないかと思いましたが、言葉を飲み込みました。その日のとんかつはご馳走してもらう予定だったからです。


「そういう仕事はさ、誰でも出来るというか、せっかくだから地域に根差した活動をしたらいんじゃない。沖縄戦の聞き取りとか」


と私はマイルドに伝えました。ただお父さんは


「いや、だって平家の末裔が沖縄に流れ着いたなんてこと、普通の大学の先生は書けないでしょ。だからお父さんがやりたい放題研究して書く」


と言ったので、確信犯にはこれ以上何も言うべきことがないと思ったのです。


さて、私は東京でライターとして働いていますが、専門家の方の言葉をわかりやすく書くことが多い仕事をしています。そうなってくると、「これからはリカレント教育が大事だ」とか「生涯教育を拡充して」だとか、そういったことを沢山聞いてきましたし、書いてきました。そのときは、そうそう、大人になっても学問できることは素晴らしいなと心から思っていたのです。


ですが実の父が「研究をする」と言い出したとき、私の心には「迷惑」の二文字が浮かびました。それに平家の残党がダメで、沖縄戦の聞き取りが良いと思った理由について、私は明確に説明できませんでした。研究対象に貴賤はない。とはいえ、平家の残党はないでしょう、お父さん、まじかよ。お母さんに言ったらたぶん「迷惑だ。なにがなんでも止めろ。血のつながった親だろう」とめちゃくちゃなことを言われるに決まっています。これは聞かなかったことにしようと思いました。というわけで、私はモヤモヤを抱えたまま、とんかつ屋でごちそうになり、お父さんと別れました。


そんなことがあった矢先、「B面の岩波新書」からなにか書かないかとお話がありました。編集部の方は寛容で、「なんでも好きなようにやってくれ」と言ってくれました。とはいえ、編集長の大きく澄んだ目の奥はきらりと光っていて、なんでもやっていいわけじゃないことは明らかでした。ここはあの岩波書店なのです。


私は「B面ということでしたら、在野で研究されている方にインタビューしたいのですが」と企画を考え、父のことを話しました。「平家の残党」の言葉を聞くと、編集長の口元が緩み、「いいですねぇ」と言いました。ついでに原田信男『義経伝説と為朝伝説』(岩波新書)を編集部から持ってきてくださり「お父さんにお渡しください」とご恵贈までいただきました。


さて、これから在野で学問に関わる方たちにインタビューする企画がはじまります。タイトルは「在野に学問あり」です。


在野研究を扱った本として荒木優太『これからのエリック・ホッファーのために』(東京書籍、以下『これエリ』)があります。16人の在野研究者の研究と人生を描いた本で、特に「絶対に働きたくない」と名付けられた野村隈畔の人生はめちゃくちゃで興味深いです。詳しくは本を読んでみてください。


荒木さんは『これエリ』の中で扱う在野研究と研究者の定義をこう書いています。


  1. 在野研究者は、「大学に属せず、そこから経済的に自立している者たち」

  2. 在野研究は、「執筆された文章に論文的形式性があるもの」

  3. 故人を取り扱う


この企画では、1と2について荒木さんの定義をそのまま踏襲します。3については、テキストを読みこむことのできる文学研究者の荒木さんだからこその仕事だと思いました。では特別な能力のないフリーライターとしての私に何ができるのか。人に話を聞きにいくしかありません。


『これエリ』の方々が活躍していた時代と違い、インターネットで資料にアクセスしやすくなり、ブログなどで自分の研究を発表することが簡単になりました。まさにこれからは在野の時代! 在野の夜明けなのではないか! とは私は考えました。そこで在野で学問をする方たちに、資料はどうやって集めているのか、研究時間はどう確保しているのか、在野だからできることはあるのか? そのノウハウについて聞いていきます。


というわけで、お父さん、この記事でノウハウを身に着け、残りの人生をぜひ学問とともに楽しく過ごしてほしいと娘は思います。実家に帰らず、結婚もせず、東京でふらふらしている娘のせめてもの恩返しです。そしてこの企画が進むにつれ、私自身も、お父さんの研究を少しでも応援できるようになっていけばいいなと思います。


(父が退職祝いにもらったウサギの置物の写真)


●記事執筆者

山本ぽてと(やまもと ぽてと)

1991年沖縄県生まれ。早稲田大学卒業後、株式会社シノドスに入社。退社後、フリーライターとして活動中。企画・構成に飯田泰之『経済学講義』(ちくま新書)など。


*連載「在野に学問あり」

第0回 「はじめに」に代えて父への手紙

第1回 荒木優太

B面の岩波新書

2018年1月19日 配信開始

発行人 永沼浩一

発行元 岩波新書編集部

〒101-8002 東京都千代田区一ツ橋2-5-5

製作 WixerDesign

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