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  • 執筆者の写真岩波新書編集部

連載:ロンドン・コーリング〜芸大生になったライターの「ロンドン紀行」〜第0回

更新日:2019年8月14日


東京在住のライターから、ロンドンの芸大生に。

記事執筆:森 旭彦



ロンドン芸術大学(ual)のカレッジ、キャンバーウェル・カレッジ・オブ・アーツ内にある語学スクールの一室にて。絵の具やカッターナイフの傷にまみれたテーブルで「Academic English」の講義を受ける。このテーブルの先には、自分で手を汚して何かをつくりだす世界が広がっている。

街の中心部に向かう地下鉄の座席は、一列すべてが異なる人種の人々で埋められていた。肌の色も、ファッションも、宗教も、話す言葉もバラバラだ。


目的の駅で地下鉄を降りると、プラットフォームは蒸し暑く、時おり下水の匂いが鼻をつく。「WAY OUT」のサインを目標に、狭く入り組んだ迷路のような通路を抜け、地上に出る。6月の冷たい突風が吹く中、人々が大勢行き来する交差点ではドレッドのストリートミュージシャンがレゲエで夏を呼んでいた。


ここが僕のこれから約2年間住む街、イギリスの首都、ロンドンだ。



ブレクジットど真ん中のメディア・スタディ


2019年5月28日、約1ヶ月間悩まされていた体調の回復を待って、僕は東京の成田国際空港からロンドンへと旅立った。渡英の主な目的はロンドンにある大学院への進学だ。僕は今年の9月から「ロンドン芸術大学(University of the Arts London)」の大学院に入学する。


翌日にはロンドン・ヒースロー空港に到着し、僕は大学の学生寮に入った。いつもの海外出張なら時差ボケに悩まされているところだが、入学の手続きや、自炊のための調理器具の調達、食料の買い出しなど、生活の準備に追われているうちに時差ボケはどこかへいってしまった。


渡英してからの慌ただしい1週間が過ぎると、僕は講堂の片隅にたくさんのイーゼルが置かれ、廊下には展示用のショーケースが並ぶ校舎で学ぶひとりの芸大生になっていた。

学生になったのは12年ぶりだった。


「僕」は大学を出たばかりの、いわゆる学生上がりではない。現在の職業はフリーランスのライターで、年齢は37歳だ。大学生の頃から始めたライターのキャリアは、今年で14年目になる。


僕は主にサイエンスやテクノロジー、それに関連するアートについて、インタビューを中心とした記事を雑誌やWebメディアで書いてきた。


大学院に入るまでの3ヶ月、僕はまず、大学に付属する語学スクールで学術的な英語(Academic English)を習得するためのプログラムを履修する。イギリスの大学院の多くは、国外からの留学生にIELTSという国際規格の英語試験を課している。この試験の点数が入学の基準に足りない場合、現地の語学スクールで、いわば補習を受けることになるのだ。

参考までに言っておくと、メディア・ジャーナリズム関連のマスターコースは高度な語学力を駆使することが求められるため、入学時に要求されるIELTSの点数はもっとも高い部類に属する。


語学スクールといっても、ここは芸大だ。リーディングの教材はダミアン・ハースト(イギリスの現代美術家。ホルマリン漬けにされた、2つに切断された牛と仔牛による彫刻作品『Mother and Child Divided』が代表的)のバイオグラフィーだったり、ワークショップでは近くの「1ポンドショップ」(いわゆる日本の「百均ショップ」)にある材料をつかってグループでアート作品をつくるといった課題がいきなり与えられる。こうしたアクティビティの中で、アートのためのアカデミックな英語を徹底的に叩き込まれるのだ。


語学スクールに通っているのは主に英語圏に住んでいない生徒たちであり、そのほとんどを中国人が占めている。僕のクラスはマスターコース(修士)以上なので、アーティストやデザイナーとして実績を積んできた人も多い。たとえば僕と仲のいいクラスメイトのひとりは、白塗り、裸体で踊る日本の前衛的なダンスパフォーマンスである「舞踏」を取り入れた作品を発表してきたアーティストだ。ポートフォリオを見せてもらうと、そこには動物の内臓を用いて表現された作品が並ぶなど、めくるめくダークサイドが垣間見れる。


こんなアーティストやデザイナーたちと夕食をいっしょにつくり、隣の席で授業を受けるのが、ここではごく普通の日常だ。


9月からのロンドン芸術大学の大学院での専攻は修士課程「MA Media, Communications and Critical Practice(メディア、コミュニケーションおよび批判的実践)」。現代においてメディアはいかに生まれ、どのような役割を果たしているかを理論によって批判的にとらえる。そして、具体的な社会課題に対し、メディアを用いていかに解決を行うか、つまり実際に自分の手でメディアをつくる実践までが評価されるコースだ。


僕がこのコースを選んだ理由は、もっとも「なんでもあり」感が強いコースだったからだ。もちろん、イギリスの大学のマスターコース以上は基本的にはリサーチベースであり、徹底的に理論を読み解き、持論を表現する能力が評価されることは変わらない。このコースではそうした学問的な研究に加え、自分でメディアをつくったり、ライターとしてこれまでにジャーナリズムの世界で学んできた知見を活かした新しい表現をつくることができる点が魅力的だった。


そもそも、メディアというのは誰にでもつくることができる。大学で研究をしていなくても、雑誌はつくれる。既存の出版産業での経験がなくても、最先端のAI技術で、デジタルメディアをつくれる。


メディアとはこの世界や社会を概念的にとらえるひとつの方法であり、人間の持つ道具のひとつであり、『メディア論』で知られるマーシャル・マクルーハンの思考を借りれば、人間の拡張された感覚だ。それは理論だけではなく、実際につくることによってしか分からないことが多い。僕は経験からそのことをよく知っていた。


この連載では多様な人種が住む国際都市にして、ジャーナリズムの国際的な中心地のひとつ、そしてブレクジットという大きな政治的・社会的変革の真っ只中にあるロンドンでは今、どのようなメディアやジャーナリズムが生まれているのか。さらにロンドン芸術大学で学ぶメディア・スタディを、ライターであり大学院生である僕の視点で書いていきたいと思う。


同時にこの連載は、ブレクジットに揺れるイギリスの真っ只中に移住する日本人家族のストーリーでもある。


僕はライターであると同時に、妻と1歳半の娘を持つひとりの父親でもある。


5月24日、僕が移住の準備に奔走していた頃、テレビに映る保守党党首のテリーザ・メイ氏は、涙ながらに党首の辞任を表明した。これまで気丈な態度で挑んできた彼女をテレビごしに見てきただけに、胸が痛んだ。議会における合意形成という大きな宿題を残し、ブレクジットはますます不透明感を増していた。


この状況下で、僕たち家族はヨーロッパに移住することを選んだ。妻と子どもとは今年の12月にロンドンで合流することになる。


僕は父親として家族を思うとき、不安になる。現在の状況を見ていても、ブレクジットによって、イギリス国内が政治的にも、経済的にも不安定になることは不可避だからだ。


しかし、ひとりの書き手として、この状況を楽しんでいる自分は否定できない。ブレクジットは、EUに入ったひとつのひび割れにすぎない。ヨーロッパ各国で台頭するナショナリズムは、EUというひとつの社会的・文化的な共同体思想を分断している。


イギリスは、そしてヨーロッパは、この先10年でこれまでと大きく在り方を変えていくのだろう。僕が見たもののすべて、ここに書いていこうと思う。


それがきっと、ライターとして生きてきた自分の次の仕事になる。これまでもずっと書いて生きてきた。次の生き方も、僕は書きながら見つけるんだ。


そんな予感を胸に、ロンドンの長い昼間の中で、この文章を書いている。


郊外のノース・アクトンにある大学の学生寮から、キャンバーウェルにある大学までのバスの通学路から見える出版社「Penguin Random House UK」のオフィス。同社が発行した「ペンギンブックス」はペーパーバックスの叢書の代表格のひとつであり、岩波新書も発刊以来、この判型を採用している。日本では「新書版」と呼ばれる。


書きながら見つけた、留学という選択肢


「なぜライターとしてのキャリアに海外の大学院への進学を選んだの?」


日本の同業者や、海外に住む友人からそう尋ねられることは少なくない。僕は「一生に一度はジャーナリズムの中心地で、メディアのことを学んでみたかったから」と答えることにしている。分かりやすいからだ。


この回答への反応は本当に人それぞれで「時代を考えれば的確な判断だと思う。よく決断したね」と送り出してくれる人もいれば、「なんで君は海外に行くの? 日本のライターなのに」と首を撚る人もいた。この両者の反応は、現在の日本のメディア(いわゆる商業的なマス・メディア)の状況を的確に示していると思う。


現在、情報や価値のボーダレス化は急速に進んでいるとよく言われる。しかし僕の留学は、このボーダレス化に順応するための手段ではない。そもそも英語が読めれば、ロンドンのLGBTの活動家が今考えていることや、シリコンバレーの投資家が夢中になっているテクノロジーを瞬時に共有できるといったことは、インターネットの普及、そしてソーシャルメディアが一般化したとうの昔に実現している。さらに英語が読めなくても、「グーグル翻訳」を使えば誰でもすぐにボーダレス化できる。僕が問題として捉えているのは、インターネット以降の情報環境において、メディアから急速に消失していった対象、すなわち「大衆」だ。


アメリカにおいてメディア批評などを行うジャーナリスト、ジェフ・ジャービスは、著書『デジタル・ジャーナリズムは稼げるか―メディアの未来戦略/Geeks Bearing Gifts: Imagining New Futures for News』(夏目大訳、東洋経済新報社刊)で、「大衆というものは、実際には存在しない。人々を大衆として見る方法が存在するだけだ(※1)」という趣旨の、社会学者レイモンド・ウィリアムズの言及を引用し、現代におけるメディアと人、社会との関係性について論じている。


いまだに人々が同日同時刻に一斉に同じテレビ番組を見たり、同世代の大半が同じ雑誌を読んで流行を把握するなんてことが起こり得るという懐古主義的な妄想を抱いていない限り、20世紀的なメディアが見てきた大衆の次に何を見て仕事をしていくべきかということに対し漠然とした不安(ときに希望)を抱くのは、メディアに携わる人々にとって不思議なことではない。


現代のメディアの状況の中で、かつての大衆がそうであったように、メディアを通し「ものの見方」を獲得するためには、自ら手を伸ばして行動することが重要だと考える人は「時代を考えれば的確な判断だ」とする。しかし、今目の前の仕事も忙しいのに、何をどう見れば良いのかも分かっていないうちから行動を起こすことは早計だとする人は「なんで君は海外に行くの?」と考える。この両者が混在しているのが、現在の日本のメディアの状況だと考えられる。


僕は日本のメディアの状況に対して危機感を感じるようなスーパーマン的なタイプではない。ただ、こうした背景が自分という、メディア産業に生きるひとりのライターの行動に影響を与えていることは否定しようがない。そのことに僕は、まるで呼吸をするように、書きながら気づいていった。


ロンドン芸術大学は、ファインアートやデザイン、ファッション、メディア・ジャーナリズムなどそれぞれに特色を持つ6つのカレッジからなる国立大学だ。


僕が進学する「London College of Communication」はメディア・ジャーナリズムに特化したカレッジで、その「Media School」からは、BBCやThe Guardianといった国際的なジャーナリズムにおいて主要な役割を果たしているメディアへ就職する人もいるし、インターンシップに参加することもできる。また、ロンドンという立地を活かせば、ヨーロッパ各国に共同研究、つまりコラボレーションの機会を探すこともできる。


一般的な大学ではなく芸術大学を選んだのは、僕は既存のメディア産業でエリートになりたいわけではなく、まったく新しい表現を自分でつくりたいタイプだからだ。そのためには、近くにデザイナーやイラストレーターなど、実際に「つくる」人が多くいる方がコラボレーションもしやすいし、リアルな経験が積める。そして何よりも、世界中から非常に尖った才能が集まるロンドン芸術大学という環境が魅力的だった。


僕が留学を思い立ったのは、海外取材の面白さがきっかけだった。そのひとつが、2016年10月にスイスで開催された「サイバスロン」という「強化義体」の世界大会の取材だった。


最先端技術を用いた電動義手や電動義足を身にまとい、サイボーグのように機械と融合した、障害者のアスリートたちによる競技大会だ。未来感溢れるこの世界大会を、メディアは「サイボーグのオリンピック」と呼んだ。


僕は『WIRED日本版』のライターとして、編集者、フォトジャーナリストともに現地を訪れ、アメリカ・フロリダ州のチーム「IHMC Robotics」の密着取材を行った(※2)。


編集者とともに僕が書いたのは下半身の自由を失ったひとりの青年の超克の物語であり、テクノロジーが実現する新しい自由の物語だった。


このとき、僕は生まれて初めて、世界中からジャーナリストが集まる場所にいた。普段インターネット上で見聞きするメディアのジャーナリストが、自分と同じ取材対象を追いかけていた。


彼らの仕事を身近に感じることができた経験が、ライターとしての自分の見方を大きく変えるきっかけになった。それまでは日本にいる自分しか認識してこなかったけれど、世界の中にいる自分という視点を持つようになったのだ。


サイバスロンの記事が出版された後、僕は海外のメディアで報じられたものと、自分の仕事とを見比べた。そこには自分には見えていなかったものがたくさん書かれていた。そして、もっとやってみたいことがたくさん見えた。「この先へ、自分は行きたい」と強く感じたことを覚えている。ひとはそれを好奇心と呼ぶのかもしれない。でも実際には、そんな心地の良い感情ではなく、理由なき衝動としか形容できないものが心の中にあった。


英語でも日本語でも文章は正直だ。その書き手に何ができるのか、何が出来ていないのか、全部そこに書いてあるのだから。


サイバスロンの取材経験から、僕は明確に留学を自身のキャリアとして認識していくようになる。


※1 英語版における表記の、筆者による翻訳。

※2 密着レポートは冊子版で、速報記事はWebで読むことができる。



未来をつくりにいくことを仕事にしたい


その後も僕は積極的に海外の取材現場へ身を投じていく。その中で、自分の追求したいテーマと出会ったのが、オーストリアのリンツで毎年開催されるメディアアートの世界的祭典「アルスエレクトロニカ・フェスティバル」の取材だった。


アルスエレクトロニカ・フェスティバルは今年で40年を迎える。毎年、傑出した作品を選出する賞「プリ・アルスエレクトロニカ」の大賞(ゴールデン・ニカ)は「メディアアートのオスカー」と呼ばれ、先見性のある作品・プロジェクトに贈られてきた。


たとえば2004年には、今や検索で一番上位にヒットする「ウィキペディア」が、さらに1995年には現在のインターネットにおけるすべてを支えていると言っても過言ではないWorld Wide Web(WWW)の概念を提唱したティム・バーナーズ=リーによる、「リンク」の仕組みを実装した文書表現の形式「ハイパーテキスト」が受賞している。


アルスエレクトロニカ・フェスティバルで展示されるのは、額縁に入れられたアート作品ではない。未来のサイエンス、テクノロジーそして社会のプロトタイピング、つまり「未来の試作品」なのだ。


未来の新しいお金の発明や、バイオテクノロジーを活用した女性のためのヘルスケアなど、僕はまだ見ぬ未来の数々にここで出会い、受賞アーティストへのインタビュー記事をメディアで発表した。


アルスエレクトロニカのディレクターの方とも親しくなる中で、僕はサイエンス、テクノロジーのジャーナリズムにおいて、自分がやってみたいことを見つけていった。それは自分で「未来をつくりにいく」ということだった。


既存のサイエンス・テクノロジーのジャーナリズムは、一次情報を入手し、詳細に分析することによって、ロジカルな予測を展開したり、社会において必要な批判を行う。日本では調査報道などと呼ばれている、これらニュース・ジャーナリズムの役割は、サイエンス・テクノロジーの領域において非常に重要な機能だ。


しかしアルスエレクトロニカの取材を経て、僕の関心はアーティストのように、実際に未来をつくって提示することに向かうようになった。それをライターとして、そしてメディアに関わりながら実現すること。それが僕のロンドン芸術大学の大学院での研究の主眼であり、進学する学科への志望動機になった。


現在、取材を通して出会ったアーティストとのコラボレーションを進めている。正式に確定したら、それを大学院での研究プロジェクトの中心に置きたいと考えているが、現在はまだどうなるか分からない。


さらに現状ではコラボレーションが実現しても、ドキュメンタリー以上のものをつくるアイデアは見えていない。新しいアイデアはもちろん、資金も、人も必要だ。それらをロンドンで調達したいと思っている。


こんなふうにして、僕は書きながら、自分のキャリアとロンドン芸術大学への進学を結びつけていった。外資系企業で働くビジネスパーソンであれば「キャリアアップのためにMBAを取る」ことに疑いの余地はないが、僕のようなライターの場合は「一生に一度はジャーナリズムの中心地で、メディアのことを学んでみたかったから」では説明しきれない部分の方が多い。


僕が起こしているのはひとりの行動だが、おそらくこの先の5年から10年で、僕のように考えて何らかの行動を起こすライターの数は確実に増えると感じている。日本のメディア産業の中を生き、何らかの停滞を感じて起こした行動なのだから、決して固有のものではなく、自分が何らかの文脈の中にいると考える方が自然だからだ。


大学院の講義の内容はもちろん、ヨーロッパ圏でライターとして生きていくこと、さらに大学院を卒業してからのキャリアについてもここに書いていきたいと思う。


願わくば僕の行動がそうであったように、現在の自分のキャリアへの退屈や、日本のメディアの状況に対し停滞を感じる誰かにとって、大きな転機を後押しすることができれば嬉しく思う。


編集者やライター、デザイナー、メディアに携わるすべての人にとって、役に立つ報告をしていきたいと思っている。


とはいえ、ことは絵に描いたように容易には進まないはずだ。ロンドン芸術大学のコース案内には、コースを修了すれば「創造的産業」で活躍できるといったことが書かれているし、実際に活躍している卒業生は非常に多い。


しかし世界の見え方を一瞬で変えてしまうほどに強く、美しく、そして驚きに満ちた表現はどのように生まれるのか? 


彼らと肩を並べて仕事をしていくために必要なことはたったひとつ、彼らがそうしてきたように、のたうちまわるしかない。


ロンドン芸術大学に進学したとして、優秀な成績をとったところで、ましてや履歴書にその名前を書いたところで大した意味はない。この留学の意味は、ロンドンで思い切りのたうちまわること。この連載は、その実験の記録でもある。


本当に実験的なことばかりで、こうして書いていても確定していることがあまりに少ないことが不安でしかない。しかしこの実験の先にある自分に、何らかの形で僕はたどり着く。それまでを自分なりに書き綴っていきたいと思う。

同じく通学路からの毎日見る風景。テムズ川の向こうに、ビッグベン、ウェストミンスター宮殿が見える。日本を離れて1週間後の日常。

 * * *



森旭彦(もりあきひこ)

2007年からフリーランスのライターとして活動。サイエンス、テクノロジー、アートに関する記事をWIRED日本版、Forbes Japan、MIT Technology Reviewほか、さまざまなメディアに寄稿している。なかでもオーストリア・リンツにあるアートセンター「アルスエレクトロニカ」に関する記事を多数執筆。AETI(Ars Electronica Tokyo Initiative)の活動にも関わる。2019年5月よりイギリス・ロンドンへ移住し、ロンドン芸術大学 (University of the Arts London ; UAL)へ入学。9月よりロンドン芸術大学大学院修士課程へ。専攻は「メディア、コミュニケーションおよび批判的実践(MA Media, Communications and Critical Practice)」。理系ライター集団「チーム・パスカル」メンバー。




本連載は毎月1回、定期掲載されます。(編集部)

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