• 岩波新書編集部

連載 私のコロナ史 第3回 ダイヤモンド・プリンセス号事件の顛末(飯島渉)

「正当にこわがることはなかなかむつかしい」


COVID-19のパンデミックの中で感じるのは、「正当にこわがる」ことは大切だが、なかなか難しいということです。物理学者で随筆家としても著名な寺田寅彦は、浅間山の爆発の際に書いた文章の中で、


「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。」(「小爆発二件」『文学』1935年11月、小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集』第5巻、ワイド版岩波文庫、1993年、258頁)

と書きました。


寺田も実際に爆発を見たいと思った一人です。しかし、爆発のさなかにもかかわらず、平気で浅間山に登っていった人がいたことを聞き、自戒を書いたのです。この文章は、COVID-19のパンデミックの中で、「正当に」にアクセントを置き、過度に怖がらなくてもよいという意味で使われる場合がありました。私もそのように使ったことがあります。しかし、寺田の本意は、「こわがる」ことの難しさにありました。2011年の福島第一原子力発電所の事故の時にもこの言葉が流通し、「正当に」理解すれば、過度に怖がらなくてもよいという文脈で使われたことがあります。言葉が独り歩きしたのです。


私たちは、ある意味でCOVID-19のパンデミックに慣れ、緊急事態宣言さえも日常的なことと感じるようになってしまいました。事実をきちんと理解し、適切な行動をとることは容易ではありません。年明けに出された首都圏の緊急事態宣言は、3月21日をもって解除されました。しかし、宣言の延長の説明ぶりや、解除のタイミングなど、宣言をめぐるやり取りに、あらためてそんな思いにかられたのです。



ダイヤモンド・プリンセス号の長い航海


今回の課題は、日本社会がCOVID-19を実感するきっかけになったダイヤモンド・プリンセス(Diamond Princess)号(以下、DP号と略す)をめぐる事件の顛末を書くことです。私は横浜の住人で、同船がよく見える場所を知っていました。かなり遠くからでも、DP号を眺めることができたのは巨大だったからです。総重量11万5875トン、全長約290メートル、幅約37.5メートル、水面上の高さが約54メートルもあるクルーズ船は、4,160人が乗船可能で、写真にあるベイブリッジをくぐれないので、大黒ふ頭に停泊するのだと聞きました。同船は英国船籍で、実際に運航していたのは米国のプリンセス・クルーズ社とその日本支社であるカーニバル・ジャパン社でした。


巨大なクルーズ船

初めに、DP号の事件を私なりに要約してみます。2020年2月初め、外国船籍のクルーズ船が日本の横浜港にもどってくる中で、香港で下船した乗客がCOVID-19に感染していたという通報がありました。この時、多様な国籍からなる、乗客・乗員約3,700人が船内にいたのです。日本政府は、人道的見地と国内世論を勘案し、同船を受け入れ、14日間の健康観察をともなう検疫を行い、国内感染を防ぐことにしました。同船から多数の感染者が出ると、国内の病院に移送し、治療を行いました。外国政府の中には、チャーター機を派遣して自国民の移送・帰国を実行したケースもありました。その後、感染が確認されなかった乗客の下船が開始され、およそ1カ月後に乗客・乗員の下船が完了し、DP号への対応が終了しました。DP号への対応は、国内感染を防ぐための、船内での検疫、感染者への医療的な措置だったとまとめることができます。


DP号の顛末を書くため、いろいろな資料を調べました。しかし、事件はたいへん複雑で、さまざまな見方ができると実感しました。今後、修正が必要になることもあると思いますが、以下、私の理解を書いてみます。参照した資料は、複数の報告書、新聞、そして乗客の回顧録(出版されたもの)などです。個人名も登場します(資料に記載されているもの)。こうした方々の行動への疑問を書いた場合もありますが、あくまでもDP号の顛末を「歴史化」する試みであり、個人の名誉を損なうつもりのないことをお断りしておきます。



複数の報告書


DP号が横浜港を出発したのは、2020年1月20日で、ベトナムと台湾をめぐり、那覇に寄港したのち(この段階で、那覇検疫所が日本入国のための検疫を実施)、2月3日、同船は横浜港に戻ってきました。乗客2,666人(うち、日本人は1,281人)、乗員1,045人が乗船していました。しかし、1月25日に香港で下船した乗客がCOVID-19に感染していることが判明したため(通報は、同船が那覇を離れた数時間後の2月2日未明)、那覇での検疫完了を取り消し、横浜入港の前にPCR検査が実施され、まず、10人の陽性者が確認されました。横浜検疫所は臨船検疫を開始し、DP号からの乗客・乗員の下船を認めず、検疫を継続することとし、乗客は客室から外に出ることができなくなりました(『東京新聞』2020年2月5日、夕刊、6面)。


DP号への対応をめぐっては、複数の報告書が公表されています。まず、厚生労働省の現地対策本部『ダイヤモンド・プリンセス号現地対策本部報告書』(2020年5月1日、以下『現地対策本部報告書』と略す)から、日本政府の対応を確認しておきます。この文書はわずか6頁、大きな関心を集めた事件の報告書としてはそっけない印象を免れません。もっとも、全体像を明らかにするものではなく、あくまでも対策本部が行った業務の内容を整理することを目的としたものです。


現地対策本部が立案した基本方針は、①個室管理における健康観察期間を14日間とすること、②健康観察期間中のPCR検査による陰性の確認、③医師による健康確認、下船時の検温による健康状態の確認など、でした(『現地対策本部報告書』2頁)。しかし、船内で感染者が激増し、世界の関心が集まります。対策の内容は、「検体採取およびPCR検査:3,622名、うち陽性者712名(乗員・乗客数と検査件数の差はPCR検査前にチャーター機で帰国した方等。検疫終了後(上陸)後のフォローアップで国内事例として感染が確認された者を除く。)、診察実績:受付766件、電話対応432件、往診548件、搬送実績:704人(後略)」でした(『現地対策本部報告書』3頁)。つまり、乗客・乗員への検疫を継続しながら、陽性者を国内の病院に搬送し治療にあたったのです。また、医薬品ニーズへの対応、船内における感染拡大への対策、iPhone配布およびLINEアプリを使用した相談サービスの提供なども進められました(『現地対策本部報告書』2~6頁)。


14日間の健康観察期間が終わると、陽性の確認されなかった乗客・乗員は順次下船を開始し、3月1日に全員の下船が完了しました。『現地対策本部報告書』には死者の記載がありませんが、関係者の努力にもかかわらず、13人の方が亡くなっています。この他に、チャーター機による帰国後、オーストラリアで亡くなった方が1人おられます(厚生労働省「新型コロナウイルス感染症の現状の状況と厚生労働省の対応について(令和2年5月31日版)」)。 



なぜ、検疫だったのか?


DP号への対策として日本政府が選択したのは、検疫の継続でした。国際法にも今回のような事態への明確な規定はなく、横浜検疫所が検疫法にもとづいて、14日間にわたって検疫を継続している、という解釈にもとづく対策を実施したのです(『東京新聞』2020年2月11日、朝刊、22面)。しかし、やがて700人を超えるPCR検査の陽性者が確認され、DP号での感染拡大に歯止めがかかっていないのではないかという批判が高まりました。


対策にあたった検疫官も感染してしまいました。乗客から質問票を回収し、体温測定を行ったものの、防護服やゴーグルなどを着用していなかったとされています(『東京新聞』2020年2月12日、夕刊、1面)。事件後の取材によって、DP号の事件の2週間ほど前の1月20日に横浜港で大型クルーズ船の感染症対応訓練が行われていたことがわかっています。その際、東京検疫所の所長は、横浜検疫所の検疫官が海上保安官への手指指導を怠っていたことに注意を促しました。しかし、そうした経験が十分に生かされず、結果として、DP号での検疫官の感染という事態となってしまったのです(『神奈川新聞』2021年2月16日、26面)。


外国政府は、当初、事態の収拾を日本政府に任せる方針でした。しかし、陽性者の増加の中で方針を転換し、チャーター機を派遣するところも出てきました。例えば、米国政府は、2月17日、328人を退避させ、オーストラリアなどもこれに追随します(『朝日新聞』2020年2月19日、朝刊、3面)。チャーター機を派遣したのは、米国、韓国、イスラエル、オーストラリア、香港、カナダ、台湾、イタリア/EU、英国、ロシア、フィリピン、インド、インドネシアで、2月17日の米国を皮切りに、3月1日までの間に、乗客904人、乗員671人の合計1,575人が帰国しました。乗客は、米国、オーストラリア、香港、カナダの方が多く、乗員は、フィリピン、インド、インドネシアの方が大人数でした(アジア・パシフィック・イニシアティブ『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』ディスカバー・トゥエンティワン、2020年10月、92頁。以下、『民間臨調報告書』と略す)。このあたりのやり取りに関しては、もうすこし調べてみたい気持ちがあります。米国政府は、夏の東京オリンピックにおいて有事が発生した際の選手団や関係者の退避作戦を計画していて、日本側との協議も終わっていました。そのため、比較的スムースに退避計画が実施できたという記事を読んだことがあるからです。この記事にも、対策に従事するスタッフの防護対策が十分ではなかったという記述があります(GQ Japan「ダイヤモンド・プリンセス号のなかで何があったか?──悪夢のクルーズ旅行」2020年9月18日)。


前述の『民間臨調報告書』もDP号の事件をめぐる報告書の一つで、その特徴は、政府関係者からの聴き取りを多数実施していることです。以下、『民間臨調報告書』と当時の新聞などから、DP号の顛末をもうすこし書いてみます。


2月4日夜、船内で最初にPCR検査を受けた31人から10人の陽性者が確認されるという厳しい状況が判明します。より多くの感染も予想されました。このため、厚生労働省が単独で対策にあたるのではなく、国土交通省、内閣危機管理監なども加わり、検疫を継続することによって、乗客・乗員を下船させない方針が決定されます(『民間臨調報告書』80頁)。DP号は外国船籍だったので、COVID-19の発生を理由として入港を認めないことも検討されたようです。しかし、日本人乗客も多く、人道的な観点と日本人犠牲者が出た場合に厳しい非難をあびる懸念があり、入港拒否は選択されませんでした。乗客・乗員を下船させた後に隔離を行う対策が採用されなかったのは、3,711人を収容する施設が確保できなかったからでした。当初、こうした対策の責任者となったのは、正林督章厚生労働大臣官房審議官で、2009年の新型インフルエンザ対策にあたった経験があったため、出向先の環境省から急遽復帰を命じられ、2月5日早朝、DP号に乗船したのです(『民間臨調報告書』81頁)。



医療的な対策の開始


DP号のジェナーロ・アルマ船長から乗客にCOVID-19の発生が知らされたのは、2月5日早朝でした(『民間臨調報告書』83頁)。発熱を訴える人が増加し、多くの陽性者が確認されると、こうした方々を国内の病院に搬送し、治療を行うことが課題となります。大きな役割を果たしたのは、阿南英明を調整官とする神奈川DMAT(Disaster Medical Assistance Team、災害派遣医療チーム)でした。阿南は、2月5日、神奈川県幹部と調整し、「災害」宣言を出してもらうことによって、DMATの派遣を実現させます(『毎日新聞』9月3日、朝刊、22面。以下は、特に断らない限り、同紙の「ドキュメント ダイヤモンド・プリンセス号の実相」のシリーズによる)。


加藤勝信厚生労働大臣は、2月10日、国会議員の橋本岳厚生労働副大臣と自見はなこ政務官をDP号に派遣し、現地対策本部を設置させました。ここに、正林審議官にかわって、この2人が対策の指揮を執ることになります。この時期、船内の状況はかなり危機的だったと思われます。検疫を継続する中で、他方、発熱を訴える人が増加し、陽性者を病院へ搬送し治療を行うことのあいだでさまざまな齟齬も発生しました。DP号の現場と検疫の継続にこだわる厚生労働省本省との調整を担った医政局総務課の保健医療技術調整官の堀岡信彦は、その現実は、「面従腹背」だったと回顧しています(『毎日新聞』9月5日、朝刊、24面)。


陽性者を国内の病院に搬送し、感染症法の規定に従って治療を行うことが必要でした。しかし、神奈川県内の感染症病床は74床しかなく、急増する陽性者を振り向けることができませんでした。堀岡は、「上司のツテをたどり自分の人脈を使って依頼する。懇願する。脅し口調にもなる」という苦労を重ね、最終的に769人の陽性者を病院に搬送しました。搬送先は、宮城から大阪など16都道府県150病院に及んでいます(『毎日新聞』9月8日、朝刊、22面)。多くの陽性者を引き受けたのは、開院前の藤田医科大学岡崎医療センター(愛知県岡崎市)と自衛隊中央病院(東京都世田谷区)でした。自衛隊中央病院は、多くの外国人を収容し(『毎日新聞』9月9日、朝刊、22面)、食事にも配慮したとのことです。「コーシャ」というユダヤ教の食事まで用意されました(『毎日新聞』9月10日、朝刊、24面)。こうして、軽症でも重症でもなく、酸素投与などが必要な症状を「中等症」として重点医療機関に収容し、症状が悪化した場合は、人工呼吸器などのある高度医療機関へ移すという「神奈川モデル」が構築されました(『毎日新聞』9月18日、朝刊、24面)。


この時期、神戸大学教授の岩田健太郎がDP号における感染対策の不備を告発しました。微妙な問題だと思うので、ご本人の著作を引用すると、「2月18日に厚労官僚の助けを受けて、ぼくはダイヤモンド・プリンセス号に入船しました。数々の感染対策上の失敗をそこで観察したのですが、何者かの圧力で数時間後には船から追い出されてしまいました。そのことを後にYouTubeで告発しましたが、政治家や厚労官僚たちは「事実には当たらない」「感染対策は適切だった」と繰り返すだけでした。実際には翌日の2月19日に船内の感染対策は抜本的に変更がなされたと、船内の複数の方から報告を受けました。変更したということは変更が必要だったわけで、「適切だった」とは到底言い切れません。」(岩田健太郎『丁寧に考える新型コロナ』光文社新書、2020年10月、19~20頁)とのことです。岩田の批判は、自身が撮影した船内の動画を紹介し、「どこが危なくてどこが危なくないのか全く区別がつかない」とする厳しいものでした(『民間臨調報告書』93頁)。私も、動画の公開当時、日本語版と英語版ともに興味を持って見た一人です。動画は、後に岩田自身によって削除され、その言動への反論も数多く寄せられました。クルーズ船への感染症対策は構造的にも難しく、事態はまさに錯綜していたので、岩田の言うように対策に不十分な部分があったことは否めません。ただ、岩田の批判は船内の乗客・乗員に大きな不安を抱かせることにもなりました。感染症対策の専門家である高山義浩は、そうした岩田の言動を批判しました。


実は、DP号における感染対策の実態がどのようなもので、それがどこまで効果があったのか、不十分な点はどんなところで、その理由は何だったのか、という点についての検証は依然として行われていません。多数の乗客の船室での待機を支えた乗員への感染対策のあり方、検疫官の感染の中で、対策に加わった自衛隊からは1人も感染者が出ていないことなども含め、現在の段階で、DP号における感染対策への検証を行うべきというのが私の考えです。『民間臨調報告書』は、情報発信が不足していたこと、写真などによって船内の具体的な様子が説明されなかったことなどを強調していますが(橋本副大臣がツイッターに投稿した写真は削除されています、『民間臨調報告書』93~94頁。ただし、写真自体は、『東京新聞』2020年2月23日、朝刊、29面)、残された課題は、DP号における感染対策の検証を、誰がどのように行うべきなのか、だと思われます。また、あまり指摘されていないのですが、DP号をめぐる対応にはいったいどのくらいの費用がかかったのか、はぜひ明らかにされるべき課題だと言えるでしょう。


COVID-19の日本国内における感染拡大を予測するためのチームを立ち上げていた西浦博(北海道大学教授、当時)も厚生労働省から委託され、DP号の状況の分析を開始します。2月16日、西浦は加藤厚労大臣と面会し、「ダイヤモンド・プリンセス部屋」(責任者は、国立がん研究センターから出向した武井貞治)で、医系技官やデータ入力のための民間企業のメンバーとともに分析を開始しました(西浦博・川端裕人『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』中央公論新社、2020年12月、27~29頁)。


西浦たちの分析によると、2月5日以降に船内での移動制限をしなかった場合、2,139人の新規感染者が出るという予測でした。実際には、2月5日以降の感染は149人に抑えられました。DP号のPCR検査陽性者の数は最終的には712人だったのですが、その差の563人は2月5日以前の感染という理解です(同上、36~38頁)。以上のような疫学的な分析も感染研などによってもっと整理された形で公表される必要があったと思います。しかし、こうした理解と、実際にDP号に乗船していた人々の感覚にはかなりの差があったのです。



乗客による二つの記録と記憶


DP号の顛末については、2020年の間に、乗客によるいくつかの回顧録が出版されています。一つは、小柳剛『パンデミック客船「ダイヤモンド・プリンセス号」からの生還』(KADOKAWA、2020年5月)です。小柳は1947年生まれ、外国映画の日本語版の制作などを仕事としていた方です。小柳夫妻の部屋は海側のバルコニー付き、一人当たりの料金は20万6500円でした(41万3000円の定価から値引き)。この金額には一日三食と施設使用料などが含まれています。料金は、部屋の状況や予約の時期によって千差万別で、中には一人10万円という場合もあったようです(小柳前掲書、8頁)。小柳は、日本のメディアが伝えたような船内の混乱はなかったとしながら、さまざまな想いを記録しました。


小柳夫妻の14日間にわたる隔離期間中の最大の心配事は、持病の薬の確保でした。厚生労働省へ電話で問い合わせたところ、船医の判断が必要、まず船内の医務室に問い合わせろとの対応で、「なんとういう官僚的な対応なのか」、医務室に電話通じず、とあります(小柳前掲書、66〜67頁)。


DP号の公用語は英語でした。フロントだけを窓口とする連絡システムは下船するまで変わらず、「この船の危機管理とはいったいなんなのだ」と怒りの言葉が書かれています(小柳前掲書、71~73頁)。夫妻は窓のない部屋に隔離されている乗客のつらさに想いをはせつつ、2月3日以来、厚生労働省からの説明はない、「せめて隔離をはじめるときに、厚生労働省による現状説明と、これからの予定を知らせるべきではなかったか」(小柳前掲書、84頁)と対策を厳しく批判しています。2月11日、大学時代の恩師と電話で話し、とにかく毎日詳しい記録をとれというアドバイスを受けます。それもあって、この記録が作成されました(小柳前掲書、118頁)。


乗客がいら立つ根本的な理由は、長期にわたる隔離の方法と、感染しているかもしれないクルーが感染していないかもしれない乗客の面倒を見ていることでした(小柳前掲書、123頁)。検疫官も感染する状況の中で、「この船で何が起こっているのだろう、その実態は隔離されているためまったくわからない」のでした(小柳前掲書、127頁)。


2月14日、現地対策本部の責任者である橋本副大臣の直接放送がありました。しかし、実績を述べるのみ、「閉じ込められ、不安のなかにいる人々の気持ちがまるでわかっていない、ほんとうに腹立たしかった」として、小柳夫妻はこれを「バレンタインデーの悪夢」と呼びました(小柳前掲書、139〜140頁)。逆に、旅行代理店からの差し入れの手紙には、「平凡なのだが、このような言葉には心に届くものはたしかにあった」としています(小柳前掲書、147頁)。


2月19日、陰性が確認された高齢者から順次下船が開始されます(『東京新聞』2020年2月19日、夕刊、1面)。小柳夫妻に下船日が通知されたのは、当日の2月20日のことで、下船案内と上陸許可証が届けられました(小柳前掲書、180頁)。ちょうど14日間の検疫期間が経過したということでしょう。しかし、危惧した通り、「まるで下船者たちは危険人物の群れのような扱い。それで横浜駅で解散? あとは勝手に帰れ、これほどの矛盾はないではないか」(小柳前掲書、189頁)というなんとも後味の悪いものでした。


もう一つの回顧録は、矢口椛子『ダイヤモンド・プリンセス号に隔離された30日間の記録』(合同出版株式会社、2020年10月)です。矢口は、乗客の身としては、日々感染者が増え続け、救急車で運ばれる状況の中で、「とても隔離が成功しているとは思えなかった」、「多くが隔離政策の開始後に感染した可能性が高い」(3月11日、後日談、148〜149頁)と率直な印象を述べています。


矢口の回顧録には、DP号の乗客の要望をまとめ、対策本部に伝える役割を果たした船内隔離者緊急ネットワークの千田忠を代表者とする「緊急要請書」も収録されています。長文のものですが、「そもそも今回の政府による隔離対策は、船内での感染拡大を防げていないばかりか、感染していない健康な乗客の感染および疾病のリスクを高めるなど、重大な欠陥を有しています」と断じているのが印象的です(79頁)。


矢口自身も、2月16日に、海外特派員協会へ(日本のマスコミ各社は心許ないため)、原文英語の次のようなメールを送りました。


まるで難民のように
 船上では、COVID-19の爆発的発生(アウトブレイク)はもはやコントロールできません。隔離政策は乗客にとって、肉体的同様精神的に有効な方法ではありません。すべての人に限界が近づいています。このアウトブレイクは国際的な問題ですが、日本政府はそれに気が付いていないようです。厚労副大臣の漠然としたアナウンス以外政府からの発言はありません。私たちはまるで難民か棄民のようです。多くを犠牲にして働いてくれている乗員、プリンセスクルーズに心から感謝していますが、これは政府の仕事のはずです。船上にて乗客より(80~81頁)

「歴史化」の困難さ


世界の注目を集めることになったDP号の実態はいったいどんなものだったのでしょうか。状況はあまりにも複雑だと冒頭に書きました。そのことをよく示すことがらを一つだけ紹介します。『民間臨調報告書』では、厚生労働省の担当者からの聴き取りを根拠として、DP号のアルマ船長は非常に協力的で、対策がスムースに運んだのは同船長の協力によるところが大きいと評価しています(『民間臨調報告書』83頁)。矢口は、アルマ船長への評価は日本人の間では低く、外国人の間ではすこぶる高かった、これは、イタリアなまりの英語を理解できる人と、通訳を介して接した人の違いかもしれないと述べ(矢口前掲書、45頁)、矢口自身は船長の対応を評価しながら、「乗客の間でパニックが起こらない理由のひとつにアルマ船長のリーダーシップがある。検疫官と交渉して乗客のためにデッキ散歩ができるように交渉したり、薬の配布が遅れたことを謝罪したりした。こんな人にわが国の指導者になってほしい」とツイートしました。これを誰かが英訳したらしく、2月下旬にはAFP(フランス通信社)のWEBで引用されました(矢口前掲書、60頁)。これに対して、前述の小柳は、アルマ船長のメッセージは、「あくまで検疫は日本保健当局が行っており、自分たちはそれにしたがっているにすぎない。自分たちに過失はないという論理である」(小柳前掲書、207頁)と手厳しいものです。


DP号への対応から1年が経過した2021年2月、新聞にも検証記事が掲載されました。船内で乗客への対応に当たった元乗員の方は、「……対策が数日早ければ結果は違った」というコメントを寄せました。また、乗客への配膳を行う乗員が相部屋だったことなどの問題点も指摘しています。あまり指摘されることがないので書いておくと、その後は、国から乗員への何の補償もないようで、「あれだけ船内で頑張ったのに見向きもされない」とのことです(『毎日新聞』2021年2月4日、朝刊、19面)。


2021年3月、元乗客たちは、「ダイヤモンド・プリンセス号集団感染事故の検証を求める全国連絡会議」を組織し、厚生労働省と運航会社に対応の検証を求めました。その代表になったのは、船内隔離者緊急ネットワークを組織した千田忠でした(『毎日新聞』2021年3月11日、朝刊、29面)。彼らは、当事者としてDP号への対策の検証が十分ではないと考えています。その理由の一つは、神奈川県や横浜市、さらに厚生労働省にはDP号への対策の本格的な検証を行うつもりがない、また、対応をめぐる記録の保存も不十分だからなのです(『神奈川新聞』2021年2月17日、22面)。ここまで紹介してきたように、『民間臨調報告書』も含め、一連の報告書は、乗客からの聴き取りを行っていません。DP号の事件をめぐっては、こうした記憶を含めた「歴史化」が今後の課題だと言えるでしょう。また、今後、COVID-19のパンデミックをめぐって多くの報告書などの記録が作成されるはずです。そう強く望みます。しかし、当事者の皮膚感覚への配慮が重要な課題なのです。


日本政府がとってきた(とっている)COVID-19対策に厳しい批判を続けている上昌弘は、DP号事件に関しても、停留を命じ検疫を指示した医系技官の横浜検疫所長が、「船内で感染が拡大し、国際的な問題となっても、記者会見などの形で説明することはありませんでした」と批判しています(上昌弘『日本のコロナ対策はなぜ迷走するのか』毎日新聞出版、2020年11月、144頁)。DP号への対応の不備がその後の日本政府の対策とつながっていると、上は考えているわけです。



DP号のレッスン


DP号の顛末をめぐっては、実は、すでに文章を書いたことがあります。中国の広州市社会科学院などが出している『開放時代』という雑誌からの依頼によるもので、日本語で書いた文章を友人に中国語に翻訳してもらって、「作為歴史教訓的郵輪検疫」(『開放時代』2020年第3期)として発表しました。その後、2020年秋に出版した書物に日本語の文章を収録しました(「レッスンとしてのクルーズ船への検疫」『「中国史」が亡びるとき――地域史から医療史へ』研文出版、2020年10月)。


原稿を執筆したのは2020年の2月から3月初めのことで、事件の渦中だったため、全体像がつかめないもどかしさもありました。主な主張は、DP号の事件をレッスンとするためには、さまざまな記録をきちんと残すべきだという無難なものです。その時期にも、すでに対策をめぐる意思決定の過程を検証する必要性が指摘されていました(『東京新聞』2020年2月20日、朝刊、27面)。しかし、当時の私は、検疫によって感染症の流入を防ぐことは難しいという19世紀以来の歴史や2009年の新型インフルエンザをめぐる検疫の問題点が頭の中にあり、そのため、COVID-19対策としての水際検疫の重要性への認識が不足していたという反省があります。


その時期、世界では他にもたくさんのクルーズ船が同じような状況に陥っていました。オランダ船籍のクルーズ船、ウエステルダム号は、2月1日に香港を出発したものの、マニラへの入港を拒否され、台湾の高雄では乗客の下船が認められましたが、基隆への寄港をキャンセルし、那覇に向かいました。日本政府は、2月6日、乗客・乗員の上陸を認めず、入港しないように要請しました。DP号への対応で手いっぱいだったためで、同船を最終的に受け入れたのはカンボジアでした。

状況は異なりますが、別のクルーズ船の問題も発生しています。4月20日、長崎の三菱重工業長崎造船所香焼工場に修繕のため停泊していたコスタ・アトランチカ号でCOVID-19のクラスターが発生しました。イタリア船籍で、乗員としてフィリピン、インド、インドネシアや中国などの623人が乗っており、長崎大学が開発した迅速検査の可能な蛍光LAMP法による検査の結果、148人の陽性が判明しました。長崎県では、3月半ばに最初の感染が確認されたものの、4月半ばまでの感染は17人で、クラスターの発生は大きな衝撃でした。その後、長崎県知事を本部長とする感染症対策本部(クルーズ船対策)が設置され、長崎大学、陸上自衛隊、DMAT、国立感染症研究所などの連携のもとで、日本国内への感染の拡大を防ぐための検疫が実施され、感染者は長崎大学病院と長崎みなとメディカルセンターで治療を受けました。この対策では、DP号での経験が活かされ、幸いなことに、亡くなった方はありませんでした。


コスタ・アトランチカ号への対策をめぐっては、詳細な報告書が公表されています(『クルーズ船「コスタ・アトランチカ号」における新型コロナウイルス感染症クラスター発生事案検証報告書』長崎県・長崎市、2020年10月)。興味深いのは、この報告書では対策経費を明示していることです。長崎県の負担は、2887万3000円、長崎市の負担は、2489万1000円で、この経費をクルーズ船の運航を行っていた企業に請求しました。報告書は、その他の費用として、入院医療費、帰国のためのPCR検査費用、食費、薬品代、帰国経費、船内消毒費、船内ごみ処理費などがかかったとしています(企業負担のため、金額は明示されていません)(同上、7~8頁)。感染症対策がいったいどのくらいの費用を要するのか、それをだれが負担するのかは、冷静に考えてみるべき問題だと思います。



日本国内への感染の拡大


2020年3月9日、私は、大黒ふ頭にDP号を見に出かけました。事件が進行中の段階では、そうした気持ちにはなれず、乗客・乗員の下船が3月1日に完了し1週間ほどたったその日、もういいだろうと思って、鶴見駅からタクシーに乗って同船の近くまで連れていってもらったのです。


DP号を見に行く

金網越しに同船を眺めるだけでしたが、その巨大さに驚きました。帰りは、ベイブリッジから横浜中華街に行って、知り合いのお店でエビそばを食べたことを思い出します。中華街にもCOVID-19のパンデミックの影響が出始めていました。


日本で最初に患者が確認されたのは、1月16日のことで(1月6日に武漢市から帰国した30代の男性、発熱のため入院し、15日に陽性判定となった)、メディアで中国籍の男性であることが公表され、横浜中華街などで風評被害が発生しました。ちなみに、厚生労働省のプレスリリースでは、武漢での滞在歴のみが示されており、国籍は明示されていません(https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_08906.html)。しかし、2月の段階では、COVID-19のパンデミックは中国の問題という感覚も強く、日本からマスクを送ったり、大阪市の商店街が「がんばれ武漢」というのぼりを掲げている写真を掲載したことが中国にも伝わって、外務省スポークスマンも「日本の人々の温かいふるまいに感謝している」と述べる状況がありました(『東京新聞』2020年2月14日、朝刊、2面)。


最初の予定では、今回は、2020年の2月から3月の状況を書くつもりだったのですが、いろいろ調べているうちに、DP号の顛末しか書けませんでした。次回の課題は、日本の3月の状況を書くことです。DP号に関心が集中しているあいだに、日本国内でも感染の拡大が顕著になり、2月末、小中高等学校の一斉休校が要請され、3月2日から実施されました。感染は、ヨーロッパにも波及し、特に、イタリアやスペインなどで患者が急増します。3月11日、WHOはついにパンデミックを宣言しました。次回は、日本の3月の状況や国際的な感染の拡大について書く予定です。


書きたいことがたくさんあって、長くなってしまいました。ついでにもう一つだけ。冒頭に紹介した寺田寅彦の「小爆発二件」の文章の後段には、「〇〇の〇〇〇〇に対するのでも△△の△△△△△に対するのでも、やはりそんな気がする。」という文章がついています。この文章が発表された1935年の内外の状況をあれこれ考えてみるのですが、この伏字は何だったのか、どなたか、ぜひご教示いただけないでしょうか。


(つづく)

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飯島渉(いいじま わたる)

1960年生まれ。青山学院大学文学部教授。「感染症の歴史学」を専門とし、東アジアのペスト史やマラリア史を研究してきた。『感染症の中国史』(中公新書、2009年)、『高まる生活リスク――社会保障と医療』(共著、中国的問題群、岩波書店、2010年)、『感染症と私たちの歴史・これから』(清水書院、2018年)など。長崎大学熱帯医学研究所客員教授、獨協医科大学特任教授、目黒寄生虫館理事。感染症対策の資料を整理・保存する「感染症アーカイブズ」(https://aidh.jp/)の代表もつとめている。


本連載は偶数月に更新します。次回は6月中旬の予定です。


第一回:1年を振り返る試み

第二回:2020年1月、武漢「封城」――史上最大のロックダウン