• 岩波新書編集部

優しかった独身女性たちの記憶、背景を知り瞠目する――『ひとり暮しの戦後史』重版に寄せて

室井康成(民俗学者)





1.身近な存在だった「ひとり暮し」の独身女性


戦争で夫や恋人を失い、あるいは疎開や戦災・戦後の生活難に振り回されたがために婚期を逸し、その後も「ひとり暮し」を続けざるをえなかった女性たちは、戦後30年を経た段階で約100万人いたとされる。1976年(昭和51)生まれの私にとって、そうした境遇の女性は身近な存在であり、わが家の近所にも、また親戚にも何人かいた。


その中のある女性は、学徒出陣により沖縄で戦死した私の伯父の想い人だった。伯父の死亡日は1945年6月23日とされているから、沖縄戦が終わった「慰霊の日」と同じである。彼女は伯父の50回忌を迎えるまで、命日には折々わが家を訪ねてくれた。また別の親戚の女性は、戦後の食糧難の時期に「口減らし」のため里子に出され、その後も他の兄弟・姉妹の生活を支えるために必死に働き、ついに良縁を得なかったという。


私の記憶の中にある彼女らの印象は、男社会の中で不利な立場に置かれながらも、しっかりと自身の生活を立てていたことと、なぜか自分の子どもや孫でもないのに、私にとても優しく接してくれたということである。私自身の人生の節目に、彼女たちが立ち会ってくれたことも少なくなかった。


だが、そうした独身女性たちの人生や生活実態は、結婚してこそ「一人前」だとする当時の日本社会の根強い偏見も手伝ってか、それまでヴェールに包まれていた。これを各種の統計データと社会学的な分析手法を用いて明らかにしたのが、1975年(昭和50)に世に出た岩波新書『ひとり暮しの戦後史――戦中世代の婦人たち』(以下、本書)である。著者は東京都民生局婦人部が1972年に実施した独身中高年女性の実態調査に調査員として参加した塩沢美代子と島田とみ子の二人で、このうち塩沢は労働組合専従職員出身の社会学者、島田は元朝日新聞記者のジャーナリストであった。


あくまで私見だが、学術的な文章を読み、その内容に深く首肯することはあっても、筆致や情景描写そのものに感動するという経験はあまりない。私にとって本書は、そのような読書経験をもたらしてくれた数少ない一冊である。民俗学者の宮本常一に『忘れられた日本人』(岩波文庫)と題した著作があるが、私の専門でもある民俗学には、歴史の彼岸に追いやられ、後世の記憶から消えつつある人々に光を当てるという役割がある。結果的に本書もまた、そのような使命を負うことになったといえる。



2.戦争が生み出した「社会的寡婦」


本書の元となった調査が行われたのは、「戦争を知らない子どもたち」と言われた世代が社会の中心的な担い手となりつつある一方、戦争が原因で独身を貫かざるをえなかった約100万人の女性たちが50代となることで、彼女らが社会の第一線から退き、社会保障の受益者となる日が近づいたからである。基本的に一人で生活している彼女たちの老後は、同時代の福祉政策の重大な関心事であった。その結果、それまで見えにくかった彼女らの驚くべき実態が明らかになったのである。


まず、すべての日本人女性に占める独身者の割合は、敗戦前後の時期が結婚適齢期と合致してしまった世代が高く、彼女らは明らかに戦争によって独身を強いられたことが改めて浮き彫りとなった。ここで私は「強いられた」と記したが、それは本書によると、彼女らの結婚願望は概して強い傾向にあり、積極的に非婚を選んだケースは少なかったからである。おそらく「ひとり暮し」を続ける独身女性の多くは、自らの境遇を内心不本意と感じて生きてきたに違いない。そのため本書の著者は、彼女らの大半は「社会的寡婦」であると表現したが、まさに言い得て妙であろう。


また、賃金体系や福利厚生などの諸制度が、一家の長たる男性を基準に設計されていたため、女性は「若年短期雇用型」「家系補助型」ともいうべき極めて不利な条件下で労働に従事しなければならなかった。総じて言えるのは、どの職種でも、男性との間に著しい昇給率の差があるため、女性には能力や経験に見合った十分な給与が支払われておらず、長期にわたり低賃金に甘んじざるを得なかったことである。その上、定年も女性の方がかなり早く設定されている場合が多かった。


こうした労働面での不条理に加え、独身女性は一人前ではないとする民俗的価値観が「世間体」を形成し、彼女らをさらに苦しめたのである。自らへのそうした眼差しを跳ね返そうとする意志が、逆に彼女たちの生のモチベーションへと転化することもあったのであろう。本書によると、ボーナスがはじめて10万円を超えた独身女性が、これで「身内の人々の結婚や法事の時に、人並みのお祝いができるようになった」と喜んだという。



3.忘れられた戦後経済成長の陰の主役


だが、ただでさえ苦しいやりくりの中で生活せざるをえなかった独身女性に対し、「人並み」のビヘイビアを求めた世間とはいったい何なのだろうか。世間は彼女らの境遇に同情し、その労苦に報いようとしたのだろうか。結論から言うと、その答えは「否」である。彼女たちに対してのみならず、たとえば後年の就職超氷河期世代や現下のコロナ禍で苦境に陥った人々など、時代の巡り合わせの悪さからワリを食った人や世代について、世間はあまりにも無関心で冷酷であった。このことは、本書で描かれた独身女性たちが、実は戦後日本の経済成長の陰の主役でありながら、その存在すら顧みられなかった一事からもいえるのではないか。


たとえば、本書が示した重要なデータの一つに、東京都内で暮らす独身中高年女性(=戦争により婚期を逸した世代)の職種上の特徴が挙げられる。つまり、彼女らは他の世代の女性に比べ「事務従事者」である割合が抜きん出て高いのである。このことは、日本の戦後復興と高度経済成長の原動力となった民間企業を下支えしたのは、長い年月を事務担当者として過ごし、その職務に習熟した独身女性であった可能性を示している。換言すれば、日本の企業は、彼女らの事務能力の高さに負うところが大きかったというわけだ。


個人的な記憶を辿っても、私の幼少時に身近にいた独身中高年女性たちのほとんどは、会社の総務や経理を担当する事務職員であった。自分は学校は出ていないものの、努力と生来の勤勉さとで簿記をマスターした、宅建の資格を取得したなどと語り、自らが会社では有為の存在であると認識する一方、かつては親や幼い弟・妹たちの生活の面倒もみたということに強い自負を抱く女性ばかりであった。時に「お局様」「行かず後家」「オールドミス」などと陰口をたたかれていそうな強烈な個性を垣間見せることもあったが、それもまた、社会人として独歩している自尊心の裏返しであったのだと今にして思う。



4.自らの不明を恥じる


戦後の高度経済成長は、安定収入のある亭主を妻として支え、家事や子育てに専念する「専業主婦」という概念を成立せしめ、これを同時代の女性像の典型として一般化させた(中村政則『戦後史』 2005 岩波新書)。要するに、サラリーマン世帯が世の家族スタイルのマジョリティを形成したのである。ゆえに「ひとり暮し」の独身女性たちは、ますます世間から忘れられる存在となったが、本書によると、実は彼女たちこそ戦前の教育や通俗的価値観の影響により、結婚して主婦になることが女性としての至高の幸福だと思い込まされていたという。そのため男性や結婚生活に対し、過度なロマンティシズムを抱いている点も彼女らの特徴だとされる。


言を換えれば、彼女らの多くは、結婚して家庭に入ること以外の将来を想像できない「少女」のまま、戦争によって、いきなり労働者として社会に放り出されたのである。その理想と現実の落差への感情たるや私の想像をはるかに超えている。だからこそ、せめて自分一人の生活は楽になってしかるべきだと思うが、不当な労働環境と低収入が、それを許さなかった。


加えて、経済が成長するに連れてさまざまなレジャーが勃興したが、その多くは夫婦や家族を想定しており、この面からも独身女性は周縁へと追いやられた。本書によると、独身女性は既婚女性に比べ「生きがいがある」と感じる傾向が低かったとされるが、それは趣味に割くだけの時間や金銭的余裕がなかったという事情もさることながら、彼女たちが、趣味やレジャーを介した親睦圏から構造的に排除されていたことも要因だと思われる。たとえば企業内では多種多様なサークル活動が行われていたが、メンバーには既婚男性が多く、独身女性がこれに積極的に参加することは憚られる空気があったという。


そうした中、本書で強く印象に残ったのは、調査時点で50歳だった勤続27年のベテランOLである。「生きがい」とは何かを自問する彼女は、10年ほど前まで母と弟夫婦と同居し、甥や姪たちをかわいがって過ごしたという。本書では、この点に関するデータは示されていないが、私の記憶では、甥や姪の成長を強い関心をもって見守っていた独身女性は多かったと思う。彼女たちの中には、甥や姪たちを我が子のように思っていた人もいただろう。私の身近にいた独身の中高年女性たちが、なぜか私に優しかったのも、私を息子や孫のように感じていたからなのかもしれない。


そのような心情を知ってか知らずか、私は長じて自我が強まるに連れ、彼女たちの優しさが煩わしくなり、折々に示してくれる厚意でさえ「お節介」だと感じるようになった。私自身に起きたこの感情の変化は、無意識のうちに不遜な態度となって表れていたと思う。ところが、後に本書を通じで彼女たちの背景を知ったことで、私は自らの来し方を深く後悔することになったのである。しかし、それまでの時間が作ってしまった彼女らとの心の間隙は埋めようがなかった。


半世紀近くも前に刊行された本書が、2015年の復刊を経て、今年に入ってもう一度重版されることになった。この動きを後押しした現代の読者は、「ひとり暮し」を送る独身女性の置かれた境遇が、少なくとも社会的な面ではこの50年間ほとんど変わっていないことに驚き、あるいは憤ったのではなかろうか。本書を長年味読してきた者としては、忘れられた戦中世代の独身女性たちに、ふたたび光が当てられることを嬉しく思うと同時に、本書で描かれた彼女たちの姿が、はるか昔のことだと感じられる世の中が一日も早く実現することを願わずにはいられない。



室井康成(むろい・こうせい)

民俗学者。1976年、東京都生まれ。国学院大学文学部文学科卒業、総合研究大学院大学文化科学研究科博士課程修了。博士(文学)。著書に『事大主義――日本・朝鮮・沖縄の「自虐と侮蔑」』(中公新書)、『首塚・胴塚・千人塚――日本人は敗者とどう向きあってきたのか』(洋泉社)、『柳田国男の民俗学構想』(森話社)。



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