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  • 執筆者の写真岩波新書編集部

編集長を訪ねて第3回 光文社新書編集長 三宅貴久さん

更新日:2019年8月14日

聞き手:岩波新書編集長 永沼浩一


         ©アラン・チャン


「編集長を訪ねて」の第3回です。今回は光文社新書編集部にお邪魔して、編集長の三宅貴久さんにお話をうかがってきました。三宅さんは2001年の創刊からずっと光文社新書の現場で活躍してきた方です。昨年は自ら担当した『バッタを倒しにアフリカへ』が大ヒット。いつにもまして大忙しの年となったようです。


   * * *



──まずはなにより、2018新書大賞受賞、おめでとうございます。『バッタを倒しにアフリカへ』(前野ウルド浩太郎著)は、私も1位に投票したので嬉しかったです。前野さんの「さぁ、むさぼり喰うがよい!」じゃないですけど、まさにむさぼり読ませてもらいましたよ(笑)


【三宅さん】ありがとうございます(笑)


──ベテラン中のベテランの三宅さんですけど、あの本を通して新しい体験が沢山あったのではと思います。振り返ってみて何を思われますか?


【三宅さん】よかったのは、あの本は完全に先を見据えたかたちで進められたことですね。最近思うのですけれど、原稿が来てから著者といろいろやりとりをして、熟成させた期間の長いものがうまくいっている印象があります。新書はどうしても原稿が来たらすぐ出すというパターンが多くなりますよね。でもやっぱり、当たり前のことですけれど、時間をかけて取り組むことが大事だなと思います。


──前野さんはモーリタニアにいらっしゃったのですよね?


【三宅さん】はい、ですので「発売は前野さんが戻ってくる時期に」と、だいぶ前から日程を決めていました。書店イベントなど販促活動も必要ですし、日本に戻るのは4月ぐらいと聞いていたので、「じゃあ、5月に出しましょう」ということで、1年ほど前から原稿のやりとりをしていました。そういうふうに計画的にできる本って多くないですけどね。


──企画したのはいつごろですか?


【三宅さん】最初に企画会議に出したのは2012年です。そのときは『バッタに喰われたい』ってタイトルでした(笑)。このタイトルで売れたかどうかわかりませんけれど、裏表紙でちょっと使っているんですよ、「ホントはバッタに喰われにアフリカへ」って(笑)。


──そういう話ですもんね(笑)。だけど、5年かぁ。「これはイケる!」という確信がないと5年はなかなか待てないですよ。三宅さんの静かな情熱を感じますね。


前野さんほど「純」度の高い研究者はそうそういないと思う


──では、まずは三宅さんの自己紹介をお願いできますか。


【三宅さん】私は1994年入社なのですけれど、最初の4年間は販売部にいました。98年にカッパ・ブックスの編集部に移って、しばらくして光文社新書の創刊チームに入りました。それからずっと光文社新書ですね。販売部のときも含めて、新書判型の本しかやっていないと言ってもいいくらいです。


──その創刊チームというのは、どんな方がメンバーだったのですか?


【三宅さん】カッパ・ブックス編集部に準備室のようなものができて、私を入れて3人が最初のメンバーでしたね。一人は初代の編集長で、いまは役員になっています。もう一人は、いまノンフィクションの部署で編集長をやっています。創刊までにあまり時間がなくて、2001年の年明けぐらいから準備を始めたように思います。


──え? たしか、創刊はその年の10月でしたよね、すごいスピードですね。


【三宅さん】1年もなかったと思います。むちゃくちゃですよね(笑)。当時の社長の方針で、「そういうときこそ良いアイデアが出る」とか、そういうことだったのかもしれないです(笑)


──これは私の仮説なのですけど、新書の歴史をたどっていくと、2つの潮流があるのではないかと思うんですね。岩波新書から始まって、中公新書さん、講談社現代新書さんと続く、いわゆる「教養新書」と呼ばれる潮流が1つ。もう1つが「アンチ教養」、あるいは「アンチ岩波新書」かもしれませんけど、光文社のカッパ・ブックスから始まる第二の潮流。その第二の潮流の正統な継承者が、光文社新書さんではないかなと思っていまして。そういう意味で私は、光文社新書さんこそ、じつは岩波新書の真のライバルだと思っているんですよ。


【三宅さん】ありがとうございます。でも、じつは光文社新書の創刊後もカッパ・ブックスは出ていたのですよ。光文社新書が出た年になっても、私はカッパ・ブックスを担当していましたし。


──え、そうなんですか? 私はてっきり光文社新書がカッパ・ブックスの跡を継いだのだと思っていたのですけど……。


【三宅さん】会社としてはカッパ・ブックスをやめるつもりはなくて、編集部も存続し、いろいろ試行錯誤をしていました。うまく成果が出ていれば、カッパ・ブックスはまだ続いていたかもしれません。今でも憶えているのですけど、私が入社して早々、カッパ・ブックスの新刊が丸々1か月間、重版にならなかったんです。それはカッパ史上、たぶん初めてのことだったと思います。当時私は販売部で、どうやって売っていこうかジタバタしていた記憶がありますね。


──いつぐらいのことですか?


【三宅さん】90年代の半ばですね。1994年秋にちくま新書が創刊されて、のちに教養新書ブームにつながっていきますよね。その少し前の94年3月に、岩波新書さんで『大往生』が出ているんですよ。あのとき、カッパの人たちは衝撃を受けてですね、「あ、岩波新書さんがこういう本を出して、しかもこんなに売れるんだ」と。たぶん、その時期くらいから、カッパ・ブックスの一部の人のあいだで「教養新書に切り替えていったほうがいいのではないか」という話が出ていたようですね、あとから聞きますと。


──それは面白い話ですね。というのは、私の理解では『大往生』はいわゆる「教養新書」とは性質の異なる新書なんです。担当した編集者は当時、「知識の新書だけでなく、これからは知恵の新書も作るんだ」と話していました。そういう考えから生まれたのが『大往生』で、岩波新書としてはまったく新しいタイプの本だったと思います。


【三宅さん】ご担当はどんな方だったのですか?


──日本史が得意な人で、網野善彦さんの『日本社会の歴史』を企画した人です。その人は自分の仕事を「陣地戦と空中戦だ」と言ってましたね。教養新書という陣地をしっかり固めているからこそ、自由な空中戦に挑めるのだ、という意味みたいです。阿久悠さんの『愛すべき名歌たち』という新書もその人の企画です。岩波新書ではときどき、そういう意外性のある本を出すとヒットすることがあるんですよ。


『頭の体操』第1集、多湖輝著、1966年刊。出版史上に残るカッパ・ブックスの超ベストセラー


──ところで、昨年秋に書店で「ベストセラーは、現場から」というフェアを展開されていましたよね。そのパンフレットのなかで三宅さんは、「知は、現場にある。」というキャッチフレーズが光文社新書の原点と仰ってましたけど、このキャッチフレーズとの関わりで光文社新書の特徴や強みを教えてくださいますか?


【三宅さん】「現場」って、いろいろな解釈があると思うのですが、まずやはり最先端にいる人ですよね。現場の最先端にいて、今これから生み出されようとする知を持っている人。そういう人に書いてもらいたい、という思いはありますね。


──その「知を持っている人」というのは、必ずしも研究者に限らないわけですね?光文社新書は著者の幅がとても広い印象があります。


【三宅さん】「新書」というと、岩波新書さんのように、功成り名を遂げた知識人が一般の読者向けに書く本というイメージがあったと思うのですけれど、そうではなくて、名前はまだ知られていなくても、いま現場の最先端にいる人に書いてもらいたいと思っています。創刊のときからビジネス系の本を積極的に出しているのは、「現場の知」というものを大事にしたいからですね。


──『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(山田真哉著)とか、ビジネスマン層をグッとつかまえるヒット作が出ましたよね。


【三宅さん】そうですね、あの本は2005年に出たので、創刊からちょっと経っているのですけれど、若手の著者で、しかもビジネスものでということで、まさに光文社新書を体現する一冊です。


──光文社さんは雑誌をたくさん出しておられますけど、やはり雑誌の編集部から新書の編集部に来る人もいるのですか?


【三宅さん】はい、編集者は私を含めて7人いますけれど、雑誌から来た人が一番多いですね。しかも、その雑誌もばらばらで、「FLASH」から来た人もいれば女性誌からの人もいますし、男性ファッション誌から来た人もいます。それぞれバックグラウンドが違っていて、それが企画の多様化につながっているのかもしれません。それぞれ人脈もまた違っていますので。


──企画会議はどのように開いているのですか?


【三宅さん】月1回ですね。紙にタイトルと著者名だけを書いて並べて、担当者がそれぞれ説明しています。企画内容を細かく書いた紙を配ったりはしていません。著者はどういう人かとか、読者ターゲットはどこなのかとか、必要な情報はその場でみんなが質問して聞き出していきます。要はタイトルを意識した企画会議になっているのかなと思いますね。


──面白いやり方ですね。どんな感じの議論になるんですか?


【三宅さん】タイトルが強いとそれだけでウケてしまって、「それ、やろうよ」という流れになりますね。面白いタイトルだと、みんなの食い付きもいいですし。


──ピタッとタイトルが決まるかどうかは重要ですよね、とくに新書の場合。最近の新書は帯で個性をアピールする傾向がありますけど、テーマをスパッと言えているタイトルかどうかが、結局は大事だと思いますし。三宅さんの担当した本で、ピタッと決まったのはどんな本ですか?


【三宅さん】『高学歴ワーキングプア』(水月昭道著)ですかね。最初のうち、著者は『高学歴ニート・フリーター』で書いていたのですけれど、もう少しタイトルを工夫したいなと思って、ちょうど「ワーキングプア」という言葉がさかんに言われているときだったので、それと組み合わせたらどうだろうと考えて付けたタイトルですね。タイトルを決めてから、原稿の中にあった「高学歴ニート・フリーター」という言葉を全部「高学歴ワーキングプア」に置き換えました(笑)


──そういうタイトルの付け方は、光文社新書独特ですよね。


【三宅さん】真っ当な付け方をすると、光文社新書の読者は振り向いてくれないですから(笑)。ひと捻りもふた捻りもしなきゃいけないですね。これはブランド力の弱さかと思うのですけれど、なんとか手に取ってもらおうと知恵を絞っている感じです。


──その捻り方がすごいなというか。タイトルを見ただけで一気に「これだ!」となりますからね、光文社新書は。タイトルがピタッとはまるだけで、それが話題になり、テーマとして広がっていく。そういうタイトルの本が光文社新書ではいくつもあったなという印象があります。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』もそうですし、『下流社会』(三浦展著)もそうですし。その時々の世の中の議論を全部象徴しているようなタイトルですよね。


【三宅さん】創刊したときは、岩波新書さんのようなシンプルなタイトルもわりとあったのですよ。それこそ、永沼さんが仰っていた、辞書の見出しになるようなフレーズですね。当時はまだカッパ・ブックスも出ていたので、光文社新書ではカッパでやっていないこと、カッパでやらないことをやろうと、当時の編集長はあえて「教養新書」的なタイトルを付けていたのだと思います。でも、光文社新書だと、それはウケないんですよね(笑)


──たしかに、創刊のラインナップを見ると、『Zカー』『タリバン』『DV』『駅弁大会』『怪文書』、どれも名詞で短くひと言で言い切っていて、教養新書らしいタイトルですよね。あ、そうだ、創刊ラインナップといえば、三宅さんの担当はひょっとしてこれじゃないですか? 田崎真也さんの『本格焼酎を愉しむ』。


【三宅さん】そうですね、なんでわかるんですか(笑)


──いや、なんとなく(笑)。ソムリエの田崎さんに焼酎の本とは意外な企画ですけど、よく思いつきましたね。


【三宅さん】そのミスマッチが面白いなと思ったのですね。たまたまテレビで田崎さんが「じつは僕、ほんとは焼酎が好きなんですよ」と話しているのを観て、アプローチしてみたら、すごく乗り気で引き受けてくれました。これはちょうど焼酎ブームの始まりぐらいのときだったので、かなり話題になって売れましたね。


──やっぱり三宅さんでしたか(笑)。でも、そういう何気ないひと言から企画が生まれることってありますよね。私も昔、失敗学の畑村洋太郎さんに『直観でわかる数学』という本を書いていただいたんですけど、その本は畑村さんが東大の最終講義で言ったひと言から企画しました。「昔から大学をやめたら『直観でわかる数学』という本を書こうと思っていました。今日で大学をやめるので、いよいよそれを書きます」って。「おお、それはいい!」と思って早速頼みに行ったら、じつは本のタイトルがあるだけで、中味のアイデアはまだ何もなくて(笑)。今だから言えますけど……。


【三宅さん】ハハハ。あ、そうそう、創刊当時は趣味系の本も入れていこうと話しましたね。ビジネスと趣味は、他社の新書でもあまり手を付けていないジャンルでしたので。このとき私は本作りを始めてまだ4年ぐらいで、『本格焼酎を愉しむ』は聞き書きでまとめているのですけど、田崎さんが全部テイスティングして、瓶も全部撮影して、とても手間がかかりました。自分のなかでは思い出の一冊ですね。


もともとワイン好きだった三宅さんは、この本を作ったことで焼酎好きになったらしい。(現在は『新版 本格焼酎を愉しむ』として光文社知恵の森文庫に収録)


──三宅さんが担当された本というと、『バッタ』はもちろんですけど、2017年は当たり年ではなかったですか?たしか『ヒルビリー・エレジー』(J.D.ヴァンス著、関根光宏・山田文訳)というノンフィクションも三宅さんでしたよね。こちらも話題の本になりましたけど、新書の三宅さんがどうして単行本を?


【三宅さん】あの本はじつは新書で出すつもりだったんです。ところが、アドバンス(翻訳権料の前払い金)が高騰して、新書の値段ではペイできなくなってしまったので、単行本で出すことにしました。もともとプア・ホワイトの問題に興味があって、翻訳エージェントの人から「いまこの本がアメリカですごく売れています。どういう人がトランプさんを支持しているのかわかる本ですよ」と聞いたのが始まりです。トランプ大統領誕生の前日でしたね。


──まさか、そのときオファーを出したんですか?


【三宅さん】いえいえ、お互い、絶対にヒラリーが勝つと思っていたので、話題の一つとして出てきたように記憶しています。ところが翌日、ああいう予想外の結果になったので、上司にすぐ相談してオファーを出したのです。私が一番手でしたけど、そのあとやっぱりみなさん同じことを考えるので、たちまちアドバンスが高騰しましたね。


──各社で競合になったんですね?


【三宅さん】はい、でも怖いですよね、翻訳本って、ほんとに。カジノでどんどん掛け金を積んでいくみたいな感じで。うちはいっぱいいっぱいだったので、他社さんがもう少し積んでいれば降りていたと思います。結果的に、ぎりぎり何とか取れましたけど……。そういえば、『ルポ トランプ王国』の金成隆一さんって、すごい人ですよね。ラストベルトに住み始めてしまったという。たまたまお会いすることができたのですけれど、魅力的な方ですね。フットワークも良くて、文章も軽やかで。ああいう本、うちでも出したいなと思います。新書大賞、1位で投票させていただきました(笑)


──それはありがとうございます(笑)。おかげさまで7位に入賞させてもらって。でも、新書で翻訳本も出そうと考えているのですか?


【三宅さん】はい、ここ最近では、『ISの人質』(プク・ダムスゴー著、山田美明訳)、『ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち』 (ジョン・ロンソン著、夏目大訳)の2冊を出しています。ただ、新書で翻訳本を出すのはやっぱり難しいなと感じますね。でも、新書は何でも入る器なので、よほど読者ターゲットから外れていなければ、何でも出していきたいなと思っています。他社さんも「あ、こういう本を新書でやるんだ」というものを出していますよね。ちくまプリマー新書さんは小説も出されていましたし、新書でマンガを出しているところもありますし。やっぱり、なんとかふだん、新書を読まない人にも手に取ってもらえるような企画を考えなきゃと思いますね。


──おお、さすがチャレンジングですね。でも、その「何でも入る」ところが、また悩みどころでもあるのですよ、私にとっては。もしまた別の機会を作れたら、そのあたりのお話をさせてもらえませんか?今日は時間も来てしまったので、これで終わりたいと思います。どうもありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。


【三宅さん】ありがとうございました。よろしくお願いします。


どちらもラストベルトの現実を生々しく伝える優れたジャーナリズム作品だ


(2018年2月8日、光文社にて)


   * * *


◆インタビュー後記◆

新書通──。三宅さんは、その言葉がぴったりの方だと思います。いま、どこの新書でどんな新書が出ているか、そのなかで光文社新書はどのような位置にあるか。広い視野で見渡しながら、いつもそれを考えているように見えます。数多ある新書のなかでも独特の存在感を示す、光文社新書の秘密の一端を見たように思いました。


[きょうの手土産]

この日は、神田神保町すずらん通りにある和菓子店「文銭堂」さんの銭形平次最中を持参しました。銭形平次といえば、大川橋蔵主演の人気テレビ時代劇が思い浮かびます。この最中は、親交のあった橋蔵さん一世一代の当たり役を祈念して作られたそうです。甘すぎず、後味のすっきりした最中で、私は一度に3個は行けます。



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