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執筆者の写真岩波新書編集部

特別寄稿:韓国第三の都市、大邱でふれる文学

更新日:2020年3月13日


記事執筆:山本 ぽてと




◇大邱へ


「各自、各地より大邱へ」


事前にもらった旅行日程の一行目にはそう書いてあり、力強く頼もしいと思った。


2019年10月19日、クオン・チェッコリが企画する「文学で旅する韓国 - 大邱(テグ)編」に参加した。チェッコリは神保町にある韓国文学のブックカフェであり、その母体であるクオンは韓国文学を翻訳する出版社だ。


釜山の金海空港から、高速バスに乗り大邱へ。釜山の海の香りを背に、高速バスで1時間半ほど内陸に向かう。木々や畑が両脇に連なる道を走ると、にょきっと生えたようなビル群が急にあらわれる。


大邱は、ソウル、釜山に次ぐ韓国第三の都市と言われ、琴湖江と新川に囲まれて古くから発展してきた。世界を代表する電子メーカーであるサムスンが生まれた地でもあり、そびえたつビルが立派なのもうなずける。


日本においては、ベッカムの髪型が大流行した2002年のFIFAワールドカップや、ウサイン・ボルトが100M決勝でフライングして失格になった2011年の世界陸上の開催地としても知られている。名門野球チーム「サムスン・ライオンズ」の本拠地でもある。


朝鮮戦争の際には、北朝鮮軍に攻め込まれたソウルに替わり、33日のあいだ首都になった。数多くの避難民が大邱に押し寄せ、その中には文化人や作家たちもいた。戦災が無かったことにより、歴史的建築物が数多く残されている土地だ。そんな大邱ならではの「文学」を切り口に、様々な場所を訪れた。











◇『深い中庭のある家』


南北の分断を描いた「分断文学」は、韓国文学のテーマのひとつである。その巨匠と言われる金源一(キム・ウォニル)も、大邱で少年時代を過ごしたひとりだ。


彼の代表作で自伝的小説でもある『深い中庭のある家 마당 깊은 집』は大邱を舞台にしており、翻訳家・吉川凪の新訳でCUONから近日発売予定だ。どうしても待ちきれない方は、『韓国の現代文学』(第2巻、1992)に収録の李銀沢訳(『中庭の深い家』)をご参照ください。韓国ではベストセラーになり、ドラマ化もされた人気作だ。


『深い中庭のある家』では、朝鮮戦争直後である1954年から1955年までの1年間の大邱日々が少年の目から淡々と、そしてユニークに語られる。


主人公のキルナミは、中学の入学を少し過ぎた時期に田舎から大邱に移り住み、姉や弟が学校に通う中、「長男として」父の代わりとなり街頭で新聞売りや新聞配達をして生計を支える。母は料亭の女性たちの韓服を仕立てる針仕事をしている。


『深い中庭のある家』は、裕福な大家たちが住んでいる「上の棟」と、キルナミらが住む「下の棟」に分かれている。「下の棟」は、もともと使用人が住んでいた二部屋をさらに半分にし、4つの家族が住む。一部屋の大きさはわずか4坪ほどしかなく、母、姉、弟二人、キルナミの5人が寝ると足の踏み場もない。そして「下の棟」で生活する他の家族たちも避難民だ。


下の棟の四家族はその暮らし向きの程度が知れていたので、お互いの事情はすべてお見通しであった。だれそれのとこはおかずの器がいくつ膳にのぼったとか、はなはだしくは外米に麦をどのくらい混ぜてご飯を炊くとかまで知っている有様であった。毎月の電気代や水道代だとか、汲み取り代だとかを出すときには、一銭でも惜しもうとしばしば言い争いをしたが、みな一生懸命に生きていた(李銀沢訳『中庭の深い家』より)


一方で、「上の棟」に住む大家の一家は、地元では何世代にもわたってよく知られている土豪である。息子が3人いるが、その長男の描写が秀逸だ。


市内の私立大学の法学部に補欠で入ったというソンジュン兄さんは、他の学生たちとはちがって、頭にハエがとまったら滑り落ちるほどポマードをぬり、ネクタイをしめた背広姿で学校に通った。しかし勉強は後回しらしく、家にいるときはいつも電蓄を大きくかけて大庁(テチョン)で一人踊りの練習をするということで、下の棟の人たちには〈恋愛大将〉という仇名がつけられていた

勉強したくても働かないといけない「下の棟」の長男・キルナミと、勉強なんかあと回しの「上の棟」の長男・ソンジュン。


貧富の差は、災害の時に顕著にあらわれる。1954年の夏、大邱に大雨が降り注ぐ。「下の棟」の共同台所が水没し、住民たちが部屋の浸水に怯える中、上の棟では「ボートを浮かべてもいいな」と軽口を叩けるような安全が確保されている。


水は上から下へ流れる。第29回アカデミー賞で最多4部門を受賞した韓国映画「パラサイト」にも共通するモチーフだ。半地下の家族が体育館に避難しなければいけないほどの水害は、裕福な家族にとっては可視化すらされない。


しかし『深い中庭のある家』は違う。バケツリレーで下の棟の人々が水をかきだすのを上の棟の息子たちが見ているし、さらには下の棟の住人で元軍人の男はこう一喝する。


「その大家さんの学生たちも、ここにきて手伝いなさい。きみたちはこの家に住んでいないのか! この大水に大家も間借り人もあるものか。一緒に助け合うべきじゃないか。いったい学校で何を習ったんだ!」


そう怒られ、上の棟の次男と三男も「ズボンをグルグルまくりあげ」バケツリレーに参加し、必死に水をかきだす。お互いの生活が見えていて、さらには声をかけあうことができる。『深い中庭のある家』では、「パラサイト」とは異なる「共生」の姿が示されている。


ちなみに上の棟の長男・ソンジュンはこっそり自分の家に消えてしまうのだけど。




◇「人に違いはない」


大邱のホテルについた時はすっかり夜だった。ツアーの参加者と合流し、夕食を食べた。


参加者は30名弱ほどで、女性が多かった。みなさん元気で、よく食べ、よくしゃべる。ついでによく飲む。韓国語を勉強している方が多かった。


その後、「コンガン(공감)ゲストハウス」を訪れた。コンガンとは、韓国語で「共感」のことだ。通された一階の部屋には、壁一面に本が並んでいる。


コンガンゲストハウスを運営する「コンガンシーズ」は、ソーシャルワーカーであり移民研究者でもあるホ・ヨンチョルさんが、脱北者を支援するためにつくったものだ。韓国と北朝鮮には「20年の差がある」と言われており、脱北後に直面する社会的なギャップを支援する。ゲストハウスでは脱北者の人が働き、給料を得られる仕組みができている。


大邱はソウルについで大学の多い都市であり、親子で脱北し、子どもに教育を受けさせたいと考える人が多いという。コンガンシーズでは、脱北者への大学支援も行っている。そうした話を、コンガンシーズが用意してくださったお菓子をみんなでむしゃむしゃ食べながら聞いた。


「脱北者は韓国社会で差別を受けやすいのでしょうか?」


と質問が飛んだ。『深い中庭のある家』でも、韓国と北朝鮮との複雑な関係性が書かれている。キルナミの父が朝鮮に行ったのではないかという疑惑で、家族は警察から嫌がらせを受ける。また住民のひとりも、北朝鮮に渡る途中に見つかり、長い長い拘留生活を送る。


「脱北者に対する差別があるとしたら、外国人に対する差別と同じです。韓国には様々な外国の人が暮らしています」


「北朝鮮は”こわい国”だと思われているけど、みんなふつうの営みをして生活している。政府が悪いのであって、人に違いはない」


と、ホさんは慎重に説明した。


ビールでちょっとぼんやりとしていた頭がはっきりとした。私はもらった大邱のパンフレットの裏に、「政府が悪いのであって、人に違いはない」と急いで書きつけた。


10月は、韓国と日本の関係性の悪化について、繰り返し繰り返し報じられていた時期だったので、「韓国に行って大丈夫なの?」と聞かれることも多かった。韓国でそういう言葉を聞けることは、心強かった。


歩いてホテルに戻った。ルームキーをなくしたことに気が付き、ホテルの人に謝ったら優しく対応してくれた。私は忘れ物と失くし物が多いのだ。部屋に戻ると、歌声が聞こえてくる。窓から音のする方をのぞくと、ギターを持った若者が、すぐそばの道でストリートライブをしていた。人に違いはないのだと思う。




◇文化人が集う街、香村


10月20日、大邱香村文化館を訪れる。香村文化館は日本の植民地時代の建物を利用して作られた。韓国に来ると、日本人の手つきがいくつも残っていて、頭でわかったつもりになっても、その爪痕の深さと無遠慮さに何度もぎょっとしてしまう。


大邱香村文化館は大邱の文化や歴史を紹介し、3、4階に文学史にまつわる資料を展示する大邱文学館も併設されている。韓国語を(そして英語も)わからない私でさえも、楽しめる展示が数多くあった。触って楽しめるものが多く、よく美術館で「触らないでください」と怒られるタイプの私でも安心して楽しめた。


クオンの代表であるキム・スンボクさんは、展示されているカルグクス(韓国のうどん)の模型をペタペタと触りながら、「韓国にこんなミュージアムがどんどんできるのは、国に自信がついて来ているかもしれないね」と話していた。










続いて、大邱大学のヤン・ジノ教授とともに香村一帯を回った。


朝鮮戦争当時、多くの出版社はソウルから大邱に場所を移し、大邱には避難してきた文化人も多かった。中でも香村洞には様々な文化人が集まっていたため、彼らのゆかりの場所を歩いて散策することができる。


詩人の全鳳健(チョン・ボンゴン)は、香村洞で喫茶店「ルネッサンス」を経営。彼はトラック2台に8000枚のレコードを詰め込み、大邱にやってきた。店にはバッハが流れ、詩人や小説家たちは原稿を書き、議論を交わした。そして原稿料が入るとマッコリを飲みに出かける。


すぐ隣には花月旅館がある。日本統治時代には日本人が泊まっていた高級旅館だったが、開放後に「花月旅館」として営業をする。詩人の具常(グ・サン)と、童話作家の馬海松(マ・ヘソン)がよく泊まったという。具常は戦争体験に基づいた詩作を行った。馬海松は菊池寛に文才を見出され『文藝春秋』に20年関わり、映画『丘を超えて』(2008)で西島秀俊が演じている。今では高齢者が集う、ダンスホールになっている。


角を曲がって少し歩くと、白綠喫茶店の跡地が見える。「牛」の絵で知られる画家の李仲燮(イ・ジュンソプ)は、日本にいる家族に会えないので、資金をつくるために絵を描くが売れず、苦しい日々を送っていた。この喫茶店で彼は、煙草やチョコレートの銀紙に傷をつけるようにして、牛の絵を描きはじめる。これら「銀紙画」の作品群は、彼の代名詞となりニューヨーク近代美術館(MoMA)にも所蔵されている。


また角を曲がると、具常の代表作である『焦土の詩』の出版会を開いた「コッザリ茶屋」がある。というように、狭い範囲に様々な文人たちの痕跡が残っている場所だ。


少し歩き、大きな通りに出ると、『深い中庭のある家』の主人公・キルナミの銅像が立っている。この道でキルナミは新聞配達をしていた。けなげだ。


もう少し歩くと、2019年にオープンした「金源一文学体験館」がある。ここでは『深い中庭のある家』のキルナミ一家が暮らしていた部屋の様子がまさに再現され、金源一ゆかりの品なども展示されている。



ヤン・ジノ教授の解説によると、金源一は新聞配達をして家計を支える傍ら、『小公女』を読み、文学の楽しさに目覚めた。『深い裏庭のある家』で、父は不在であるが、彼の文学は、家族を捨てた父への恨みと、恋しさという相反する感情をテーマにしているのだという。金源一は年を取ってから父への感情と和解するようだ。














その後は、金光石通りへ向かった。大邱出身のフォークシンガー金光石(キム・グァンソク)は、日本でいうと尾崎豊のような存在であるようだ。金光石の歌が流れ、縁日のような店が並び、活気がある。私はパイナップルシャーベットを買って食べた。デートをする若者や、子ども連れの家族などでにぎわっている。




夕方、舞踏家のキム・ナヨンさんの教室で、アリランを見せていただいた。キム・ナヨンさんはNHKの「テレビでハングル講座」の講師として活躍していたキム・スノクさんのお姉さんであるとのこと。

優雅なアリランの舞いに感動していると、ご厚意で簡単なレッスンを受けることになった。私は踊りが非常に苦手であるので、どうしようと不安になる。手をあげるたびに、運動不足の体がぽきぽきと音を立てた。しかし周囲を見ると、参加者(諸先輩)の方々も、私と似たり寄ったりのぎこちなさで体を動かしていたので安心した。


ただ手足の長い、今時の若者である、最年少の男性だけはその長い手足を優雅にしならせ、鏡の一番前で堂々たる踊りを披露していた。彼はホームレス支援の団体に勤め、職場で勧められた韓国文学にハマり、韓国語を勉強しはじめたのだという。勤め先がつくる雑誌を、行く先々の人に渡して宣伝していて、鏡のような若者だと思う。



「なにか、こっちもお返ししましょう」


とクオン代表のキムさんは言い、みんながもじもじする中で、ヒゲをたくわえた参加者の男性が、朗々とした声でカンツォーネを歌い上げた。彼はチェ・ウニョン著の『ショウコの微笑』で韓国文学にすっかりハマってしまったのだという。


夜は焼肉を食べた。翌日、伺う予定の出版社・学而社(ハギサ)が主宰する「読書アカデミー」の方たちも同席した。読書アカデミーは、毎年選抜された少数の人しか入れない書評サークルのようなもので、その書評は大邱毎日新聞に掲載されるという。大邱毎日新聞といえば、『深い中庭のある家』でキルナミが配っていた新聞のひとつだ。


私から見て前の席に座っていた女性は、大邱毎日新聞の記者の方で、私は非常に怪しい英語で彼女と会話した。福岡に行き、よくうどんを食べるのだという話を聞いた。私は「韓国のカルグクスは美味しい」と怪しい英語で伝えた。



◇地域に根付いた出版社、ハギサ(学而社)


10月21日は、世界遺産である道東書院を訪れた。


移動中、バスで隣り合った参加者の女性と話をした。看護師をしていて、20代の時に青年海外協力隊の派遣先パラオで出会った男性がいて、その後、30代後半で交際し、結婚。夫の仕事とともに韓国へ行ったのをきっかけに、韓国語を勉強。そして第一回CUON翻訳コンクールの受賞者となったという。なんと、チェ・ウニョン『ショウコの微笑』の翻訳をしている牧野美加さんだった。(牧野さんも大邱の旅の様子をブログで書いています)


看護師から翻訳家へ。プロフェッショナルからプロフェッショナルへの華麗なる転身に驚くと、「いやいや、勉強しないとなって思って」と謙虚におっしゃるので、勉強の大切さをひしひしと感じた。



その後、大邱の出版社や書店を回る。


まず訪れたのは、大邱にある出版社・学而社(ハギサ)だ。ソウルから大邱に避難してきた出版社のひとつで、戦後ほとんどの出版社がソウルへと戻る中、大邱に根付いてきた。

部屋に入ると、大きな花の浮いたお茶で出迎えていただいた。


大邱の文学に関わる4人の方がかわるがわる挨拶をした。


詩人の文武鶴さんは「ソウル以外で出版する人たちはあまり評価されていない。大邱でできること、出版を通しての活動の支援をしています」とハギサの意義を説明した。小説家のチャン・ジョンオクさんは、「日本の作家も大好き。太宰治の『人間失格』をはじめとして、夏目漱石、村上春樹も好き」と楽しそうに話す。


大邱図書館館長のキム・サンジン館長は、沖縄の大宜味村との交流事業を紹介し、「日本と韓国は政治的にかなり厳しい状況に立たされているが、民間レベルではこのような交流はもっと行われた方がいい。こういう民主主義の国の一般レベルで交流すれば、政治的な問題もなくなっていくんじゃないか」と話した。


そしてお茶を用意していただいたオ・ヨンファンさんは、詩人であり、そして茶人でもある。「お茶と文学は国を超えて、心と心が出会う。これを一杯飲むと、私の詩を一編読んだのと一緒です」とにこやかに笑った。おいしい詩をごちそう様でした。




◇地域から世界を眺める、出版社ハンティジェ


続いて訪れた出版社「ハンティジェ」は夫婦二人で経営している出版社だ。出迎えてくれたのは、オ・ウンジさん。ソウルの出版社で勤めていた夫婦が、夫のふるさとである大邱に帰り、本づくりをはじめたという。


2010年から、104冊(2019年10月時点)もの本を出版してきた。環境問題、労働問題、ジェンダー、フェミニズムなど社会問題を扱った意欲的なものが多い。新刊にはグレタ・トゥンベリのスピーチをまとめた本や、韓国映画と都市の関係性についての本など、どれも非常に興味をそそられる。


表紙はどれもスタイリッシュで、オ・ウンジさんは「地方の出版社が出した本だと、おしゃれじゃないと思われるので、中身も大事だけど器もきれいに見せたい」と装丁のこだわりを話した。


2018年、ハンティジェは『커밍아웃 스토리(カミングアウトストーリー)』を出版している。セクシャルマイノリティとその家族のカミングアウトについて綴った本だ。オ・ウンジさんの二番目の子どもは、高校1年生の時に「身体は女性だけれども、心は男性だ」とカミングアウトをしたという。


カミングアウトをきっかけに、オさんは「インターネットで検索しても、ヘイトに満ちた言葉が出てくる。正しい情報を本にしようと思いました」とオさんは話す。出版の過程ではクラウドファンディングを行い、600人を超える支持が集まった。


韓国では裁判所で性別変更の判断が下りるという。オさんの子どもには知人たちから70人の嘆願書が集まった。2018年には性別変更が認められた。


「地域に偏見に満ちた視線があることは感じている。けれど、それを本にして変えていく、地方でも変えていくことができる。知人たち70人から嘆願書をもらって、応援している周りの人がいることがわかった。それはとても嬉しいことでした」とオさんは話した。



◇子どもも大人も楽しめる、本屋i


新しく整備された道と、端正な店が並ぶ地域に、「책방 i 아이」(本屋i)がある。iはidentityのiから名づけられた。


「新しい街には食べ物屋さんばかりできていく。文化的なものを紹介できる空間がほしい」と中学の社会の先生、図書館司書など、ふだんは仕事をしている5人が共同出資して本屋iは作られた。当日は歴史の先生をしているというパク・チュヨンさんが出迎えてくれた。



その活動はユニークだ。10万ウォン払えば、組会員になることができる。ニーズに合わせた本のセレクションを受けられ、日曜日には大人は1万ウォン、子どもは0円で本の貸し出しを行い、子ども連れの親たちでにぎわっている。


夜には仕事帰りに本を読みたい人向けの「深夜本屋」があり、読書会では海外文学を読みながらその国のビールを飲み、おしゃべりをする会が人気だ。最近はオリエント急行を読みながら、イギリスのビールを飲んだという。


冬至の日には、「人が本である」というアイディアのもと、地域のお年寄りに半生を語ってもらうイベントを開催した。それらの聞き取りの成果を本にし、出版もおこなっている。ほかにも大邱の社会的起業や、大邱出身のライターが書いた旅行記なども出版するなど、活動は多岐に渡り、ユニークだ。子供向けの読書スペースも、見ているだけで楽しい。



話を聞いているあいだ、子供たちが何人も来店し、本を読んだり、ふざけたりしながら楽しそうに過ごしていた。その様子を見ながらパクさんは、「本屋をつくる人がいたら、ああいった空間をつくるといいですよ。子どもたちと、まだ子どもみたいな大人は好きだと思います」と冗談を言う。続けて歴史を教えている先生らしく「大邱はむかし湖だったので、湿地であり、レンコンの栽培が盛んです」と教えてもらった。


パクさんは日本の尾崎豊こと金光石の歌「30歳の頃」を流しながら、「あと30年は本屋をやっていきたいですね」と明るく話した。レンコンのように風通しの良い空間だと思う。

夜にはレンコン料理を食べた。


隣に座った参加者の男性が、ずっとみんなから「先生」と呼ばれていたので、ビールをついでもらっている隙に、「どうして、先生って呼ばれているんですか」と聞いた。


「先に生まれているだけですよ」


とその方は、笑いながら言い、ちょっと自慢になっちゃうかもしれないけどね、と都庁に勤めながら韓国の出版に関する研究や翻訳に関わってきたことを教えてくれた。素晴らしい在野研究者だったのだ!(執筆者、山本が行っている在野研究者にインタビューをした連載『在野に学問あり』はこちら


今は定年退職されて、ますます翻訳や執筆に励んでいるという。「定年してからの方が忙しいですねぇ」と楽しそうに話した。


参加者の方はみなさん様々な方法で韓国に関わり、誰もが勉強熱心だった。




◇「奪われし野にも春は来るか」


最終日は、薬令市の近くにある「韓医薬博物館」を訪ねた。薬令市には、漢方がずらりと並び、香ばしい匂いがする。毎日通るだけで健康になりそうだ。薬令市の歴史は古く、1658年までさかのぼる。毎年5月には薬令市漢方祭りが開かれる。



旅の最後に、抵抗詩人として知られる李相和(イ・サンファ)が晩年をすごしたという韓屋を訪れた。日本支配からの解放を望む三・一独立運動(1919)に呼応して大邱で独立運動を起こした人物だ。



彼は1926年に「奪われし野にも春は来るか」という詩を残している。


”私は全身に陽射しをうけ

青い空 緑の野の合わさるところへ

髪の分け目のような畦をつたい

夢の中をゆくごとく 歩きつづける”


と朝鮮の田園風景の、春の美しさをうたうが、


“しかし いまは――野を奪われ 春さえも奪われそうだ”(※1


と結び、野を奪われた植民地支配を描いている。


この詩は、2011年年の東日本大震災をきっかけに、写真家の鄭周河(チョン・ジュハ)よって参照される。『奪われた野にも春は来るか 鄭周河(チョンジュハ) 写真展の記録』と題された本は、彼が福島や沖縄など日本中を回って行った対話をもとにしている。「奪われた野」を日本国内にも見たのだ。


韓屋には修学旅行で訪ねてきたのか、制服姿の中学生くらいの子どもたちが多かった。3,4人の男の子たちが、私たちのところにやってきて、「こんにちは!」と片言の日本語であいさつをし、もじもじと肩をつつきあった。


「こんにちは」


と私達が返すと、にこにこと笑い、またもじもじと肩をつつきあった。


会ったことはないけれども、良く知っている気がする出版社ハンティジェの息子さんのことを思い出し、こういうふうに笑って過ごせていたらいいなと思った。


ニュースを見ていたら忘れてしまうけれども、街には匂いがあり、生活があり、美味しいごはんがあり、人は挨拶を交しあっている。私たちは挨拶を交わし合うことも出来る。文学をめぐる旅は、その匂いや音や味にまみれ、人々が生活していることの生々しい重みを感じることだったように思う。


制服の白いシャツが光を照り返して目にまぶしい。



※1 金学鉉『荒野に呼ぶ声 恨と抵抗に生きる韓国詩人群像』(柘植書房)より引用(著者訳)



◇追記

2020年2月、大邱市で新型コロナウィルスが流行し、「特別管理地域」に指定され、3月には日本の外務省からも渡航中止勧告が出されることになった。


コンガンゲストハウスのホ代表は、ボランティアの医療関係者に無料で部屋を提供し、その活動を知った方々から、水やカップ麺などの差し入れがたくさん届いているのだという。出会った方々の無事を祈りたい。


大邱は歴史のある、ごはんの美味しい、漢方の匂いが芳ばしい、文学好きにはたまらない地域だ。収束した際には、ぜひ大邱を訪れてほしい。




●記事執筆者

山本ぽてと(やまもと ぽてと)

1991年、沖縄県生まれ。早稲田大学卒業後、株式会社シノドスに入社。退社後、フリーライターとして活動中。構成を担当した本に『経済学講義』(飯田泰之・ちくま新書)、『憲法問答』(橋下徹、木村草太・徳間書店)、『16歳のデモクラシー』(佐藤優・晶文社)など。「STUDIO VOICE」 vol.415「We all have Art. 次代のアジアへ――明滅する芸術(アーツ)」では韓国文学の特集を担当。B面の岩波新書で「在野に学問あり」、BLOGOSにて「スポーツぎらい」を連載中。

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