• 岩波新書編集部

ある歴史家の決算報告(大木毅)

更新日:9月29日

──書評:芝健介著『ヒトラー──虚像の独裁者』岩波新書


大木 毅



若いころ、聖書についで、史上ナンバー・ツゥの部数を誇っているのはナポレオンの伝記だと聞いたことがある。もとより真偽をたしかめるすべもないが、東西のさまざまな国々で出版されたナポレオン伝の数を思い浮かべれば、なるほど説得力のある話ではあった。しかし、21世紀も四分の一近くが過ぎ去った今となっては、別の歴史的個性が、あるいはナポレオンへの関心を抜いたかとも思われる。それがヒトラーであることはいうまでもない。


このナチス・ドイツの独裁者については、ジャーナリスティックな読み物から学術研究に至るまで、ただごとでない量の文献が刊行されてきた。主たるものだけでも、コンラート・ハイデン、ヒュー・トレヴァ=ローパー、アラン・ブロック、ヨアヒム・フェスト、ジョン・トーランド、イアン・カーショーら、戦後それぞれの時代の花形ジャーナリストや代表的な歴史家たちが分厚い著書をものし、その少なからぬ部分が邦訳出版されている。


こうした状況であるから、文字どおり山をなしているヒトラー研究に一書を加えても、しょせんは屋上屋を架すだけのことになりはしないか。著者心理としては、ついそう考えて気後れしてしまいがちだ。にもかかわらず、日本のナチズム研究の権威である芝健介東京女子大学名誉教授が、このたび、岩波新書の新刊として、評伝『ヒトラー──虚像の独裁者』を世に問うた。これは、歴史に関心のある読者ならずとも、耳目をそばだてずにはいられないだろう。


いかなるヒトラー像が描かれたのか。それは、どのような現代的意味をもっているのか。以下、その特徴を指摘するとともに、本書より得られた知見や洞察を述べていきたいと思う。


まず、注目されるべきは、文書館所蔵のそれを含む一次史料、同時代文献から最新の学術研究書に至るまでを博捜し、史料状況や先行研究を掌握・咀嚼した上で、現在望みうるものとして、もっとも正確な記述がなされていることだ――と、記さないわけにはいかない。だが、そのような指摘は実は当然すぎて、あまり重要ではない。


E・H・カーの『歴史とは何か』(岩波新書、1962年)に、歴史家が正確に史実を記述するというのは、職人が傷のないまともなレンガを選んで使うようなもので、とくに褒められることではないという意味の一節がある。もし、経験を積んだ歴史家である著者が「レンガ」を選びそこねているとしたら、そのほうが椿事であろう。ここでは、本書の叙述は、スタンダードの位置を占めるに足る正確さを有しており、将来も長きにわたり参照されるべき存在になっていることを確認しておく。


しかし、より重要なのは、そうしてヒトラーの生涯、あるいは彼の死後に残った「神話」に関する史料や証言を吟味し、事実を判定していく作業において、著者が何を意図していたかである。


比喩を用いるならば、それは、ナチ党、のちにはナチ政権が支配の仕組みを構築するために描き、プロパガンダの対象としたヒトラー像、同時代のドイツ人に一時的・表層的に与えられた経済の回復や領土拡張といった「ポジティヴ」な記憶、戦後までも残ったその残滓など、さまざまな歪んだ鏡(多くは平面鏡ではなく、凸面鏡となるきらいがあった)に映った姿ではなく、ヒトラーの実体に歴史学という物差しを当てて、その正確な身長を図ることにあったかと思われる。本書の副題「虚構の独裁者」が示すように、そうして計測されたヒトラーは、けっして長身でもなければ、恰幅豊かでもなかった。


著者が、いわば醒めたパトス、冷静さを失わない情熱をもって、そのような課題を追求した動機は、今日まで根強く残っているヒトラーの「虚像」に歴史的事実を対峙させ、前者の虚偽を知らしめたいとの願いであった。


最近もSNS上で話題になったが、ヒトラーは良いこともした、当時のドイツ人に社会的上昇や生活水準向上の可能性を与えたではないか、アウトバーンは彼の遺産だ、などとする言説は、現代の日本でもはびこっている。歴史学的には、それらはヒトラー政権以前にとられた施策が遅れて効果を現したにすぎないものであったり、財政や資源・労働力確保の破綻から必然的に戦争に向かう危険なやりようであったと証明されているにもかかわらず、だ。


著者は、こうした現状への危機感をあらわにする。いわく、「……神話や過大評価に踊らされぬよう、できるだけ正確な事実にもとづくヒトラー像を分有することが、あらためて要請されているのではないだろうか」(v頁)と。同感である。ヒトラーが自認していた、もしくは、そう思わせたかった巨人のイメージにやすやすと乗せられることは、死せるデマゴーグのうつろなイデーに踊らされることにほかならないだろう。


この問題意識に従い、行論を進めるなかで、著者はさまざまの重要な指摘をなしているが、紙幅の制限上、本稿でそれらのすべてを示すことはできない。ただし、一点だけ、ヒトラーの著作『わが闘争』が、1930年代の時点で進行中の「今日」、すなわち反ユダヤ主義の実現を事前に予言した書(同書の成立過程などを検討すれば、それは事実ではありえないのだけれども)としての機能をもたされ、また、そのような性格を有するものとして影響を及ぼしたとする主張(93─95頁)は、今後おおいに重視される論点と思われるので、とくに記しておく。


なお、新書としての読みやすさを考慮してか、本書では研究史のまとめは巻末に置かれているが、こちらも同時代のヒトラー評価から今日の「虚像」の問題に至るまでの幅広い論点を、簡にして要を得たかたちでまとめたもので、非常に参考になる。加えて、1947年生まれの著者が、そうした論争やさまざまな現象をリアルタイムで経験していることから来るアクチュアリティがあることも本書の顕著な特徴であろう。評者自身も、「意図派」と「機能派」の対立あたりからの経緯は、まさに「同時代的」に追っていたことであり、非常に生々しく感じた。


こうして読み進めてみると、本書はヒトラーという主題を超えた広範な問題を対象としており、長年にわたり、ドイツ近現代史、とりわけナチズムの諸問題を研究してきた歴史家芝健介の決算報告とみることができよう。著者は、ヒトラーという巨大なテーマ(「巨大な存在」ではない)を通じて、ナチズム、さらにはドイツ近現代史に関する見取り図を指し示したのだ。


もっとも──著者によれば、本書は「中間的考察」にすぎないという(362頁)。むろん著者の謙譲の精神が込められての言葉であろうが、読者としては、なお考究を進め、より浩瀚な研究を上梓する意欲の表れと「拡大解釈」させていただき、著者のいっそうの健筆を祈るしだいである。



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おおきたけし 1961年生まれ。立教大学大学院博士後期課程単取得退学。専門はドイツ現代史、ドイツ軍事史、国際政治史。千葉大学ほかの非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、陸上自衛隊幹部学校講師などを経て、現在、著述業。著書:『独ソ戦──絶滅戦争の惨禍』(岩波新書、新書大賞2020受賞作)、『「太平洋の巨鷲」山本五十六』『「砂漠の狐」ロンメル』『戦車将軍グデーリアン』(いずれも角川新書)、『ドイツ軍攻防史』『灰緑色の戦史──ドイツ国防軍の興亡』『ドイツ軍事史──その虚像と実像』(いずれも作品社)など多数。




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