杉本淑彦先生のナポレオンについての著作は、『ナポレオン伝説とパリ』(山川出版社)、そしてジェフリー・エリス『ナポレオン帝国』(中山俊と共訳、岩波書店)に続いて3冊目。今回は、ナポレオンその人の、文字通り激動の生涯全体を描きます。
杉本さんのご提案で、東京富士美術館を一緒に訪れ、インタビューさせていただきました。同館のご厚意に心から感謝致します。
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──今日お邪魔している東京富士美術館には、ナポレオンに関する作品が多数所蔵されていますね。
ナポレオン関連のコレクションを誇る施設は、ヨーロッパでは同レベルのものが複数ありますが、日本では、この美術館が随一だと思います。
右の2枚はナポレオン像、左はナポレオンの兄ジョゼフ像。いずれも東京富士美術館蔵
皇帝戴冠式やアルプス越えでのナポレオンを描いた、ダヴィドの高名な絵についても、サイズが小さいだけで同じ構図の、しかもダヴィドの工房で制作されたものが所蔵・展示されています。当時の絵画制作方式が、弟子たちもくわわっての共同作業だったことがうかがい知れる、たいへんユニークな資料だと思います。
現代の人気マンガの多くが、プロダクション方式で制作されているのと同じです。ナポレオンの表情など、重要な箇所はダヴィドが直々に絵筆をふるい、背景や衣服などは、弟子たちが担当したのでしょう。
──本書では、ナポレオンの肖像画がたくさん掲載されていますよね。
版権処理が、料金をふくめて、たいへんだったのではないですか(笑い)。
おかげさまで、この美術館所蔵のものも、本書中に使わせていただきました。今日は残念ながら展示されていませんが、アンドレア・アッピアーニの「ルーヴル美術館でアテナ像の前に立つナポレオン」です。
わたしの勤務先である京都大学には、日本でいうと江戸時代に出版された、古くて貴重な挿絵入りナポレオン伝記本が何冊も所蔵されており、そこからも図版を借用しました。
わたし個人も1799年にパリで出版された本を持っており、そこから図版を1点使いました。エジプト遠征中のナポレオンを描いた版画です。
杉本さんの蔵書より(本書74頁参照)
──杉本さんが、かねてからナポレオンのエジプト遠征(1798–99年)を研究テーマとしておられることは聞いていたのですが、ナポレオンとのそもそもの出会いについて教えてください。
出会いは、もう30年以上も前のことです。大学院生のときに南フランスに留学し、クリスマス休暇でパリに行きました。まったくの観光です。そのときルーヴル美術館で、ナポレオンが登場する絵をいくつも観覧しました。エトワール広場の凱旋門でも、ナポレオンが重要な装飾モチーフになっていることを知りました。そして、ナポレオンの遺骸が納められている棺とも、アンヴァリッド館で対面しました。すべて、当時も現在もパリ観光の人気スポットです。
わたしは、京都大学文学部の現代史学研究室育ちでして、近代アメリカ史研究者で恩師の今津晃先生がいつも、「古代ギリシャのような、古い時代の歴史であっても、それを現代との関わりで考えれば現代史研究なんだよ」と仰っていました。
というわけで、フランス留学時代に、いつの日か、これだけの人気を保っているナポレオンを現代史として書いてみたい、と思ったわけです。それがようやく形になったのが、留学から20年後に書いた『ナポレオン伝説とパリ』です。
──いま、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』がたいへんな話題になっています。じつはこの本でも、ナポレオンがかなり大きく取り上げられているのですが、杉本さんの問題意識とも通底しているように思います。
そうかもしれません。吉野は、両世界大戦間期に書いたあの小説のなかで、当時でいえば百数十年前のナポレオンの事績を、いまに生きる主人公のコペル君に、叔父さんという語り手の口を通して伝えています。吉野は、軍国主義が闊歩する暗い時代の戸口にいる少年たちに、ナポレオンの生き方をふり返ることで「いまをどう生きるか」、それを考えて欲しかったのでしょう。『君たちはどう生きるか』のなかの、ナポレオンに関するくだりは、すぐれて現代史叙述だと思います。
──本書では、権力掌握前のナポレオンにもあらたな光をあてておられます。ナポレオンは、たいへんな読書青年だったとか……
たしかに、『君たちはどう生きるか』に描かれているコペル君ら旧制中学校二年生の生徒よりは、はるかに本好きだったようです。コペル君と同じ15歳のとき、ナポレオンはパリの士官学校の学生でしたが、すでに、『プルタルコス英雄伝』などの歴史・伝記物はもちろん、『ローマ法大全』などという法典類さえ読破していました。
16歳でナポレオンは仕官しますが、その時期に、ルソーの教育論『エミール』を書店に求めた、その注文書が現存しているそうです。
ナポレオンは、良い意味での乱読者だったのでしょう。恋愛小説も好きだったらしく、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を愛読したと伝えられています。その1冊を、エジプト遠征時に持参していたそうです。
じつは、この東京富士美術館に、ナポレオン皇帝家の紋章が表紙に刻印されている『若きウェルテルの悩み』が収蔵されています。エジプト遠征時に携行されたものとは違うようですが、ナポレオンの蔵書だったわけですから、実際にナポレオンがそのページをめくったのかもしれません。
──そのエジプト遠征の話に戻りますが、この遠征はヨーロッパ人の東洋意識、いわゆる「オリエンタリズム」に決定的な影響を与えたようですね。
はい、それこそが、名著『オリエンタリズム』のなかでエドワード・サイードが特筆してやまないことです。
わたしはサイードと、「帝国意識」という視点を提唱された木畑洋一先生のお仕事から、大きな刺激を得て、最初の単著『文明の帝国―─ジュール・ヴェルヌとフランス帝国主義文化』(山川出版社)を書きました。サイードが、いわゆるハイカルチャーな文学作品を分析対象にしておこなったことを、大衆文学のヴェルヌ作品でおこない、さらに、イスラームをもっぱら対象にしたサイードの視点を拡大させ、フランス人の帝国意識全体を取りあつかったわけです。
『海底二万海里』や『十五少年漂流記』などを、やり玉にあげました。ヴェルヌ作品は好きなんですけどね(笑い)。
ともかくも、その後は、近代オリエンタリズムの端緒だとサイードが批判するエジプト遠征に、研究の矛先をむけました。オリエンタリズムとしてのエジプト遠征について、何本か論文は書いてきましたが、まだ本にはしていません。次回の、4冊目になる単著を、これに充てたいと考えています。
──単著3冊目の本書は、ナポレオンに関するさまざまな回想録も多数紹介されていて、臨場感あふれる叙述になっています。
編集担当者にそう言っていただくと、披露宴で主賓の祝辞を聞いている新郎のようで、たいへん気恥ずかしいです(笑い)。
ヴェルヌ作品を歴史研究の資料に使ったぐらいの人間ですから、ヴェルヌ作品をふくめて、やはり大衆小説が好きでして、本書を執筆するにあたっては、読みづらい歴史書のスタイルを避けようと思いました。
じつは、本務校の京都大学文学部では、おもに現代大衆文化をあつかう二十世紀学専修という研究室を預かっていまして、ライトノベルを分析する卒業論文の指導にもあたってきました。そうした指導に必要ですから、ライトノベルも何冊か読みました。自分自身もペンネームで、ライトノベルを書いたことがあります。本書に臨場感があるとすれば、こうした経験が活きたのかもしれません。
といっても、そこは歴史研究者ですから、空想ではなく、資料批判を厳密にしたうえで、多数の回想録を本書で用いました。
吉野源三郎が、1937年刊行の『君たちはどう生きるか』のなかでナポレオンの言動に触れていますが、そのネタ本も、ある回想録だと思われます。ナポレオンの元学友で、後年に秘書を務めたブーリエンヌという人物が著した回想録です。『奈翁実伝』というタイトルで1920年に日本語訳が出ました。本書でも、ブーリエンヌのこの回想録を使っています。
『奈翁実伝』は、訳がなかなか立派です。国立国会図書館デジタルコレクションというサイトで読めますから、『君たちはどう生きるか』や本書と引き比べると、物書きのバックステージが楽しめると思います。
東京富士美術館にて、コレクションを観覧する杉本さん
──個々のエピソードも面白い。あまりにも有名な、「余の辞書に不可能という文字はない」という言葉を、彼が実際に発したかどうかはっきりしない、というのにはびっくりしました。
「余の辞書に……」を誤訳だとする考え方がありますが、わたし自身は、なかなかの名訳だと思っています。
ただし、「余の辞書に……」という言いまわしだと、ナポレオンが自身の業績を誇っているかのような印象を与えてしまいます。
じつのところは、ナポレオンは部下たちを叱咤するために、こういう発言を何回かしたようです。つまり「余の辞書に」ではなく、「貴君の辞書に不可能な文字はないはずだから、余の命令を遂行せよ」と、ナポレオンは言いたかったのでしょう。
──全体として印象に残ったのは、ナポレオンがもつ「二面性」に着目されているということです。これだけ大きな足跡を残した歴史上の人物をどう評価するかというのは、難しい問題ですね。
たしかに難問ですし、おそらく、解けない問題でしょう。
大学入試にながらく関わってきた人間として言わせてもらえば、難問というのは、問題自体が悪いわけで、ほめられたものではないと思います。そもそも、評価する必要など、ないのかもしれませんよ。
しょうしょうきつい言い方をしましたが、これは、仕事として学生たちを対象に「評価」をさせられてきた人間の懺悔だ、と思って聞き流してください(笑い)。
──さいごに、あらためて読者へのメッセージを。
『君たちはどう生きるか』も、ナポレオンの事績を二面的に説明しています。吉野の言葉を直接借りれば、「ナポレオンは、封建時代に続く新しい時代のために役立ち、また、その進歩に乗じて、輝かしい成功を次々に収めていったのだが」、皇帝になるとともに「自分の権勢を際限なく強めてゆこうとして、しだいに世の中の多くの人々にとってありがたくない人間になっていった」、というわけです。
しかし吉野は、こうした二面性を持つナポレオンにたいして、なんらかの最終的評価を下すことはありませんでした。そしてそのうえで、どちらの面を、コペル君たちが自身のものにすべきかについては、明確に書いています。
「コペルニクスのように、自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たちの地球が宇宙の中心にどっかりと坐りこんでいると考えるか、この二つの考え方というものは、実は、天文学ばかりの事ではない。世の中とか、人生とかを考えるときにも、やっぱり、ついてまわることになるのだ。」
吉野のひそみにならって拙著を読んでいただければ、と思います。
2018年2月20日
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