• 岩波新書編集部

若松英輔さん『内村鑑三 悲しみの使徒』インタビュー



内村鑑三 悲しみの使徒』を刊行した若松英輔さんの話をうかがいました。

  * * *


──若松さんが内村鑑三を取り上げるのは、岩波ブックレットの『内村鑑三をよむ』、それからNHK「100分de名著」の『代表的日本人』についで3冊目となります。今回は内村の生涯と思想の全体像に迫られました。そもそも、若松さんは内村とどう出会われたのでしょうか。


振り返ってみると、小林秀雄の絶筆となった「正宗白鳥の作について」(1981年)を読んだのがきっかけだったと思います。そこで小林は、今回の新書でも論じた正宗の内村鑑三論にふれています。それから、はじめて読んだ内村の著作は『後世への最大遺物』。高校生の頃でした。


内村鑑三(1881ー1883年頃) 内村鑑三全集第1巻より



その後しばらく経って、私の師である井上洋治神父(※)から受けた影響が大きかったですね。彼は内村をとても尊敬していて、とりわけ晩年、自分は内村がやってきたことを、形を変えてやっているのだ、とあつく語っていました。


※編集部注

井上洋治(1928-2014) カトリック司祭。日本におけるキリスト教の文化内開花の可能性を探った。


もうひとりは、井上神父の親友でもあった作家の遠藤周作さんです。私は、遠藤さんからも大きな影響を受けているのですが、遠藤さんはじつは、内村があまりお好きではなかったように思います。彼の眼からすると、内村、あるいはその弟子の矢内原忠雄の言葉は、あまりに父性的で、厳格すぎると映ったようです。でも私には、そうした父性の奥に、隠れた母性の「優しさ」があるのではないかという感触があり、この本を書くことでそれを深めてみたかったのです。


それともうひとつは、「霊性」の問題ですね。これについては『思想』誌で現在連載中ですが(※)、内村は、この言葉を使ったおそらく最初期の人物でした。彼が使い始めるのは1894年頃のことです。それからのち、鈴木大拙の有名な『日本的霊性』が出るのが1944年。両者を隔てる50年が、近代を考えるうえでとても大事だと思っています。僕にとって内村は、いわばその始まりを告げる人物なのです。


※編集部注

「霊性論」『思想』1100、1102、1106、1110、1116、1121号に掲載(継続中)。


──その「霊性」をはじめとして、「無教会」「死者」「祈り」など、本書では内村の思想の核となる言葉を丹念に読み解いています。無教会主義の「主義」という言葉も、当時と今とでは意味するところが違っていたと……


今回十分には展開できなかったのですが、山崎弁栄(やまざきべんねい)(1859-1920)と内村の共通性にも注目しています。山崎は浄土宗の僧侶で、「光明主義」を提唱しました。もうひとり重要な人物として、清沢満之(きよざわまんし)(1863-1903)がいます。浄土真宗大谷派の僧侶ですが、彼の場合は「精神主義」。清沢は、「精神主義」とはいろいろある主義主張の中のひとつという意味ではなくて、ひとすじの道なんだと、言っています。


内村が当初、「無教会主義」と言う場合も、同じだったはずです。しかし、無教会の運動が広がるにつれて、また、時代が変わるにつれて「主義」という言葉にも変化が出てくる。宗教を信仰し生きるということと、それを思想的に考えるということとのあいだに重なりというか、混同が見られるようになった。内村にとっては、それは自分の意図とは違うというおもいがあったと思います。そうしたところから、晩年に弟子たちとの訣別が生ずることになります。


──若松さんは本書で、内村の霊性の歩みを「樹木的変貌」という印象的な言葉で表現しています。たとえば「再臨」(※)という、一見私たちには理解しづらい激しい信仰運動も、そうした彼の生涯全体を見つめる眼をもつと、ちがって見えてきます。


※編集部注

再臨運動 1918年からおよそ1年間、内村が展開した霊性運動。「再臨」は、キリストが再びこの世に顕現すること。内村は、内的再臨、外的再臨の二つを説いた。


私たちは、「再臨」という特異な運動の現象面に関心を向けがちですが、もっと別の見方が必要だと思います。第一次世界大戦にさいして内村は、いのちを大切にするキリスト教、その教えを信奉しているはずのアメリカが参戦することを強く批判します。日記を読むと、全人類が直面するそうした問題が自分の肩にのしかかっている、という感覚を彼が強く抱いていたことがわかります。これは、一歩間違うと自意識過剰につながるわけですが、内村の場合は、そこに私心が介在しない。この点が重要だと思うんです。


深層心理学者のユングは内村のほぼ同時代人ですが、彼も、自分には使命があるという強いおもいを抱いていた。でも同時に二人には、それは自分を超えた「大いなるもの」から託されたことだ、という自覚があったわけです。自我と無私の相克というのは、宗教者が、みずからを深めていくうえで必ず直面しなければならない問題です。


「樹木的変貌」にからめてもうひとつ言うと、もし人間を植物の種にたとえるなら、種でいるうちの自分は、いずれ実を成して他者に何かを残していくなどという自覚はないはずですよね。内村の場合も、自分の意志で生きたいように生きたというより、今日的な表現をすれば、「生かされる」ように生きたのではないかと思います。「再臨」も、それを唱えざるを得ない、強い「うながし」があった。この本ではそれに眼を向けたかったのです。


──塚本虎二、藤井武、矢内原忠雄、斎藤宗次郎といった弟子はもちろん、小山内薫、正宗白鳥、有島武郎、徳富蘆花、幸徳秋水、あるいは韓国の金教臣(キムキョシン)といった人たちと内村との、さまざまな邂逅が描かれているのも本書の大きな特徴です。こうした視点は、どのようなきっかけで意識するようになったのでしょうか。


書くことにおいてはつねづね、人間だけが主役にならないようにしたいと考えています。つまりたとえば、人間が生きるためには大地が必要ですよね。私たちは大地からさまざまなものを与えられて生きている。時間や歴史といったものも同じです。


『新約聖書』に、「弟子たちを黙らせろ」と言うファリサイ派のユダヤ人に対してイエスが、弟子たちが黙っても、石が語るだろう、と答える場面があります。


人間は言葉を持たない存在によって生かされている、という感覚が私にはあるのです。つまり、人がある時代に生きたということを描くとき、どうやったら「時代の声」のようなものを本のなかに響かせることができるだろうかということです。そんなおもいから、内村が生きていた時空を書きたかった。


もうひとつは、内村の伝記的研究については、すでに鈴木範久先生(※)の偉大なお仕事があるわけです。僕は、鈴木先生は内村以上に内村を知っている方(!)だと思っています。先生は内村という、屹立する人間像をじつに豊かに書かれた。そのお仕事を受け継いでいくためにも、今度は僕らが、内村が立っていた「場」を描きたいという気持ちがありました。


※編集部注

鈴木範久 立教大学名誉教授。『内村鑑三全集』全40巻(岩波書店)の編集、『内村鑑三日録』全12巻(教文館)、『代表的日本人』『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』(岩波文庫)の翻訳など、長年にわたって内村研究を牽引してきた。近著に『内村鑑三の人と思想』(岩波書店)など。


──若松さんは2016年、NHK「100分de名著」で内村鑑三『代表的日本人』と、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を取り上げられました。どちらもほんとうに心揺さぶられる番組でした。『苦海浄土』における「杢太郎少年」(※)が象徴的ですが、若松さんは水俣病を考えるさい、「語りえないものをどう受け取り、後世に伝えるか」が大事だと言われます。そしてこの本でも、内村が残した膨大な著作を通じて、しかしそれでも語りえない何か、内村の魂の底を感じ取ろうとされているように思います。


※編集部注

『苦海浄土』第一部第四章「天の魚」では、胎児性水俣病によって生まれつき話す力を奪われてしまったこの少年と「じいやん」(祖父)との、魂の対話が描かれる。若松さんは番組で、石牟礼さんの言葉を紹介しつつ、「人が、生涯のあいだに一度も自分の言葉を語ることができないということが、どういうことか……」と強く訴えかけた。


内村は、彼自身のおもいを語ったというより、語りえない者たちのおもいを語った人ではないかと思うんです。そこが石牟礼さんと、とても近い。


『後世への最大遺物』には、内村の家で働いている土佐生まれのお手伝いさんのエピソードが出てきます。そのお手伝いさんは、キリスト者でもないし、学問も積んでいない。でも、「三日月様」だ「七夕様」だというと内村のためにお供えの豆腐やお団子を買ってきて、祈ってくれたそうです。そのお手伝いさんが、あるとき内村に手紙を書いた。文意が伝わらないところがあるけれど、その手紙にとても感動したと、彼は書いています。これこそが本当の、心情に訴える文学である、と。内村が生きた時代には、本を読めない、あるいは文字を書けない方もたくさんいたわけですが、自分はそうした人たちに託されて書いているのだという自覚が強かったと思います。石牟礼さんの作品もまったく同じですよね。


それともうひとつ、内村がもし、本当に自分の心情を語るのであれば、たとえば有島武郎や小山内薫のように、彼と訣別していった人たちに対しても語るべきおもいがあった。でも、無教会をあずかる人間としては、それを吐露することはできない。自分に与えられた使命に照らして、心情を語ることはできなかったということです。


内村のキリスト教は「武士道的キリスト教」だと表現されますが、たしかに彼が生きた時代には、そうした「忍ぶおもい」がまだ息づいていた。対してわれわれの時代は、いろいろな形で表現が可能になっていますので、そうした「忍ぶおもい」がかえって見えにくくなっているのではないかと思います。


──1月には竹中千春さんの『ガンディー 平和を紡ぐ人』も出ました。内村のいう非戦とガンディーの非暴力には、通ずるものを感じます。


ガンディーもとても好きな人物です。二人とも、語ることよりも、身をもって「体現」することを信条としたひとですね。まず闘うべき、立ち上がるべきなのは自分だ、という強い決意があった。


それともうひとつ、二人は、善と悪とが戦っても必ずしも善が勝つとは限らないということをよく知っていたと思います。だから、悪と対峙するためには、「聖なるもの」を人間のなかに甦らせることが必要だ、「聖なるもの」は悪と戦うのではなくて、むしろそれを「無化」するはたらきを持つのだ、と考えていたと思います。


ガンディーがさまざまな宗教を超えて訴えようとしたことと、そして内村が無教会で訴えたこととは、その点でつながっていると思います。


──この新書を読んでくださった読者に、次に薦める本を教えてください。


内村の著作でぜひ読んで欲しいのは『基督信徒のなぐさめ』。今回の本でもくわしく取り上げていますが、内村を考えるときに外すことのできない一冊です。岩波文庫に入っていて、ときおり復刊していると思いますが、原文が文語調ですから、今ではやや読み辛くなっている。ぜひあらたに訳文をつけて出し直していただきたいです。


それから、彼の弟子たちの著作もあらためて読み直しているのですが、注目しているのは何といっても藤井武ですね。彼は岩波文庫でミルトン『楽園喪失』(失楽園)の翻訳も出していました。


藤井はおそらく、内村といちばん多く訣別した人物です。たいへんなエリート官僚だったのですが、社会的地位を棄てて内村のもとに行く。そして内村が亡くなったのと同じ1930年、燃え尽きるようにこの世を去ります。


もし、藤井が生きながらえていたら、無教会は今とはまた違った形になっていたかもしれない。顕れざる無教会の霊性が、藤井のなかに眠っているような気がしています。内村のカリスマを、最もよく受け継いでいた人物だと思います。矢内原は、藤井の親友でもありましたが、自分が最も影響を受けたのは藤井であると公言していました。藤井と矢内原は、たとえるならペテロとパウロのような関係です。藤井は誰よりも内村の近くにいましたが、矢内原は内村とのあいだに、あえて距離を置いた。


もちろん矢内原が内村の没後、無教会を花開かせたわけですが、もう一方の藤井が担っていたものを甦らせる必要もあるのではないでしょうか。


藤井の影響を強く受けたのが神谷美恵子さんです。『生きがいについて』で神谷さんは、藤井にたびたびふれています。


──さいごに、若松さんは岩波新書とどう出会われたのでしょうか。


岩波新書はつねに、あたらしい地平をきりひらいてくれる存在でした。


1冊は白川静『漢字』。決定的な影響を与えてくれた新書です。研究ということを超えて、漢字をめぐる「大いなる物語」ですよね、あの本は。もうこれに比べたら、世にある小説なんて……。


次は井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』。人生を決定づけた本です。哲学は、べつに机の上で勉強することではないんだということを気づかせてくれた。


そしてもう1冊は矢内原の『余の尊敬する人物』。僕の親父は、矢内原をとても尊敬していました。僕が高校生の頃だったと思いますが、田舎から東京に出てくる用があった。そのとき父から、「東京に行くなら神保町でこの本を買ってこい」と言われたのが、『余の尊敬する人物』だったんですね。


父は僕に、東京にはこんな世界があるんだぞということを感じ取らせたかったんだと思います。それが私の最初の古本屋体験。今でも憶えていますが、当時の本ですから紙質も良くなくて、ざらざらでした。


それを買って帰ると、親父は「これはおまえが読むんだよ」と言って、それをそのままくれたんです。親父からの「うながし」だったんですね、今から思うと……。


『余の尊敬する人物』もとても良い本で、内村の『代表的日本人』を世界の人物に広げたような性格のものです。これにも『代表的日本人』と同じく日蓮が出てきます。キリスト者であっても仏教徒に敬意を表して良いんだということが、この本を読むことで納得できた。「キリスト者はキリスト者」というような、自分のなかの狭いとらえ方を若いうちに砕いてくれたことは、とても有り難かったです。



2018年1月31日 岩波書店にて


◆若松さんのツイッターはこちらです

https://twitter.com/yomutokaku


◆若松さんの公式ホームページはこちらです

http://yomutokaku.jp

B面の岩波新書

2018年1月19日 配信開始

発行人 永沼浩一

発行元 岩波新書編集部

〒101-8002 東京都千代田区一ツ橋2-5-5

製作 WixerDesign

  • 岩波新書(Facebook)
  • 岩波新書(Twitter)