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  • 執筆者の写真岩波新書編集部

連載 私のコロナ史 第6回 感染症対策は科学的知見とともに、むしろそれ以上に社会や文化によって規定されている

飯島渉



コロナ禍の社会を感じる


2021年9月末をもって、日本のいくつかの地域に出されていた緊急事態宣言やいわゆる「まん防」(まん延防止等重点措置)が一斉に解除されました。4月25日に、東京・京都・大阪・兵庫を対象として発令された第3回目の緊急事態宣言は、対象地域がもっとも広がった8月27日からの段階では、21都道府県を対象としていました。9月末をもって全面的解除となったのは、たしかに感染状況が改善したこともあるでしょうが、政権交代を前提として、菅政権の成果を誇示し、岸田政権のための環境を整えるという意味もあったのでしょう。東京オリンピックやパラリンピックの開催を控え、期間延長や対象地域の調整が頻繁に行われたため、その経緯はかなり複雑です。政府関係の報告書として、「新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言の実施状況に関する報告」(平成3年10月)が公表されていますが、正直なところ読みにくいです(内閣官房HP、 https://corona.go.jp/news/pdf/houkoku_r031008.pdf)。


この原稿を書いている10月初めのCOVID-19の感染状況は、1日の新規感染者1126人、死者26人(10月6日、累計では感染者約171万人、死者1万7822人)で、全人口に占めるワクチンの接種実績は、1回目接種済み65.8%、2回目接種済み56.5%です(『朝日新聞』2021年10月7日、朝刊、29面)。


緊急事態宣言にどれほどの効果があったのかという疑問が投げかけられながらも、新規感染者数やコロナ専用病床の使用状況などの指標は改善しました。日本の場合、PCR検査に代表される検査はあまり増えていないため、状況を正確に測ることは依然として難しいように思います。しかし、テレビ報道などで、日本地図が黄色で埋め尽くされている状況から、ポツポツとではあるものの、新規感染者がいない県も出る状況となっています。もっとも、感染が急速に減少した理由はよくわからないとのことです(「コロナ第5波感染急減の謎 5つの仮説決め手乏しく」『東京新聞』2021年10月4日、朝刊、2面)。


自分が暮らしている神奈川県の状況をまず確認し、その後、知り合いが住んでいたり、用事があって出かけたいと考えている地域の状況が好転しているのを見ると、大学のある東京都の緊急事態宣言も解除されたことだし、慎重にと思いつつも、そろそろ活動してみようかと思ってしまいます。皆さん同じ気持ちのようで、外出するのによい季節だということも手伝って、行楽地などへの人出も増加しているという報道が目立ちます。一方、医療関係者は、状況は依然として厳しく、第6波に備えて医療体制を整備しておくことが大切だと繰り返しています。


この連載は、1年前の状況を振り返り、何が起きていたのか、自分はどんな生活を送っていたのかを記録し、私なりのコロナ史をまとめる試みです。トボトボとではありますが、1年遅れで歩みについていくことが目的です。心がけているのは、新規感染者や死者、病床利用率などの数字だけではなく、コロナ禍の状況をどのように感じ、どのような言葉にできるのか、ということです。新聞などに投稿される投書、短歌や俳句などに注目しています。


昨年夏のある大学生の投書を紹介します。スーパーでアルバイトしている時に、心無い買物客のさまざまな言動に深く傷ついたとのこと。「消毒用アルコールのボトルが一つでも空になれば、それをレジ台にたたきつけて大声でどなる男性」と書いてありました。投稿者のお名前からは性別が予想しにくいのですが、女性かもしれません(『毎日新聞』2020年8月31日、朝刊、5面、奈良県の大学生、22歳)。男性は男性にそうした態度をとることが少ないように思うからです。私もかなりの年齢になってきたので注意しないといけません。


手塚マキと歌舞伎町ホスト75人の詠み手による『ホスト万葉集』(俵万智・野口あや子・小佐野彈編、講談社、2020年7月)を手にしました。「歌舞伎町 東洋一の繁華街 不要不急に殺される街」(江川冬依、122頁)は、もっともストレートに当時の状況を詠んだものでしょう。手塚は、1977年生まれ、ナンバーワンホストを経て、歌舞伎町でホストクラブやバーなどを経営していて、歌舞伎町商店街振興組合の常任理事でもあります。専門家の記録よりも、市井の声が大事だと思ったから出版したとのことです(「コロナ禍「夜の街」の本音」『毎日新聞』2020年8月25日、夕刊、2面)。歌舞伎町の様子については、「夜の街の500日」という副題を持つ、羽田翔『歌舞伎町コロナ戦記』(飛鳥新書、2021年6月)もあります。いわゆる「夜の街」叩きの様子が、歌舞伎町でさまざまな営業にたずさわる人々の目線で紹介されています。2021年1月末の記録では、「率直に言って街自体は青息吐息、住人たちは終わりの見えない戦いに疲れを隠せない」(2021年1月27日の記述、165頁)とのことです。しかし、ホストクラブやパチンコは粘り強く営業を維持し、負け組は、圧倒的に居酒屋などの酒類を提供する飲食店だとのこと。こうした業種を含むサービス業が日本の国内経済の約3割程度を占めるのだから、状況はたいへん困難だと書かれています(166頁)。



「一筆啓上都知事殿アラートやウィズコロナには漢字のルビを」とは、『読売新聞』に掲載された短歌、うまいなあ(『読売新聞』2020年8月3日、朝刊、13面、東京都の唐木よし子さん)。犬養楓の『前線』(書肆侃侃房、2021年2月)は、1986年愛知県生まれ、18歳から短歌を始めた医師の歌集です。表題は、救命救急センターという医療の最前線に位置する者としてという意味でしょう。犬養は、時間の推移に従って、時々の想いを短い言葉によって巧みに表現しています。「第一波」に収められた「ア行から感染棟に派遣され自分の姓を少し憎めり」(44頁)には、医療者としての使命感と一人の人間としての率直な気持ちとの葛藤が込められています。同書の帯でも紹介されている「咽頭をぐいと拭った綿棒に百万人の死の炎(ほむら)見ゆ」(63頁)は、「第二波」に収められています。確かに、この歌集や詠み手の感覚をよく示していると思いました。


こうした一人一人の感覚をできるだけ記録しておきたい、と強く思います。同時に、歴史を書くという意味では、全体の状況の中にそうした感覚を位置づけることが必要になるのでしょう。岩岡中正(熊本大学名誉教授)は、『俳壇』10月号(本阿弥書店、2020年9月)に掲載された栗林浩「パンデミックと俳句」をとりあげ、俳句文学が「感動共有」の力を持ちうると指摘しながら、句会が休会になったり、オンラインになったことによる喪失も指摘します(岩岡中正「パンデミックの中で」『毎日新聞』2020年10月26日、朝刊、11面)。



感染の推移をどう理解するか


次のグラフは、WHOが公表している数字から、20か月間の日本を含む7か国における人口10万人あたりの新規感染者の推移を示したものです。医療の提供状況なども勘案して、COVID-19のパンデミックの状況を判断する必要があることは理解しています。しかし、新規感染者の推移が基本的な動向を示していることも間違いのないところで、国際比較も容易だと言えるでしょう。ただし、各国の統計の取り方、条件が異なることも理解しておく必要があります。


7か国の感染状況(週ごとの人口10万人あたりの新規感染者数、単位=人)

WHOの公表している数値にもとづく。3(週):2020年2月2~8日、50(週):12月27日~2021年1月2日、87(週):2021年9月12~18日、を示す



20か月を一つのグラフで示しているため、日本における感染の波がわかりにくいのですが、2021年夏の直近の波(いわゆる、第5波)がそれまでよりもかなり大きな規模だったことがわかります。日本の感染状況を「さざ波」と考えるかどうかは措くとしても、諸外国と比較して、確かに感染の規模はマイルドでしたが、20か月間で、その規模は拡大傾向にあり、新規感染の抑制という意味では、残念ながら日本はあまり成功してこなかったと言えるでしょう。


ちなみに、2020年7月末における世界の状況は、感染者は約1650万人、死者は約65万人で(7月29日)、米国は、感染者約426万人(死者約15万人、以下同)、ブラジル約244万人(約9万人)、英国約30万人(約4万人)、日本約3万人(約1000人)という状況でした(『東京新聞』2020年7月31日、朝刊、7面)。こうした状況の中で、COVID-19の感染拡大と関係した飢餓による子供の死亡が、世界で毎月1万人にのぼっているという報道もされていたことを忘れるわけにはいきません(Virus-tied child hunger causes 10,000 deaths per month, The Japan Times, July 3, 2020, p. 7)。


2020年の後半、仏国、英国、米国における感染はきわめて大きな規模でした。ドイツもかなりの規模でしたが、英米仏に比べれば抑制されていました。そのため、こうした国では、ロックダウンによって厳格な外出規制を実施しました。それとは異なった対策を選択したのがスウェーデンとブラジルでした。 


2020年の初期から、日本の在外公館が発信する海外安全情報を全て受信して、COVID-19の状況を把握する努力を続けてきました。この試みは現在でも続けています。情報をたくさん発信してくれる在外公館もあれば、そうでないところもあります。残念ながら、在スウェーデンの日本大使館は後者で、スウェーデンの状況に関心を持つ者としてはたいへん残念です。各在外公館の発信の内容は、外務省海外安全ホームページでも確認できます。しかし、旧いものから段階的に削除されるため、既にCOVID-19のパンデミックの状況をその初期から振り返ることが難しくなっています(https://www.anzen.mofa.go.jp/od/ryojiMail.html?countryCd=0046)。


スウェーデンが選択した、ロックダウンを行わず、ある程度の感染を受忍する対策は大きな関心を呼びました。懐疑的な声も大きかったのです(Peter Goodman, A warning to others in Scandinavia divergence, The New York Times, International Edition, July 9, 2020, pp. 1, 4)。こうした中で、宮川絢子(カロリンスカ大学病院泌尿器外科シニアコンサルタント)「スウェーデンの対新型コロナウイルス政策」(2020年10月23日)は、スウェーデンが選択した対策についてまとまった知見を提供しています。


宮川によれば、ロックダウンを長期間にわたって行うことは不可能であり、また、有効性の証拠がないため、スウェーデンは、これを対策として選択しなかったとのことです。その対策は「集団免疫の獲得を目指した」と理解されることが多かったのですが、国民はさまざまな対策に従って行動していたので、部分的なロックダウンを選択したと見ることができると指摘しています。また、スウェーデンの感染の規模はかなり大きく(前掲のグラフを見てもそれがわかります)、死者数も少なくなかったのは、介護システムが脆弱だったからだとしています。パーソナルナンバーが浸透しているため、統計数値はたいへん正確だが、PCR検査で陽性と判定されると、30日以内に死亡した患者はCOVID-19が死因だとカウントされたため、COVID-19による死亡が過大にカウントされているのではないかとも指摘しています。一般に「高負担高福祉」がスウェーデンのイメージであるため、介護システムが脆弱だという指摘は意外でした。上田ピーター「スウェーデン「集団免疫作戦」のウソ」(『文藝春秋』2020年8月号)も、スウェーデンが公的に「集団免疫論」を表明したことはないとして、「政府の要請と国民の自発的な自粛で対応した日本とは、かなり近いのではないでしょうか」(341頁)と発言していることにも気づきました。日本との違いは、70%近くの国民が、スウェーデンの公衆衛生庁が計画立案し実行に移した対策を支持していたことでした。


あまり知られていないのですが、宮川の文章を掲載しているのは、「武見基金COVID-19有識者会議」のHPで、有益な情報源の一つです。座長は永井良三自治医科大学学長、医療や公衆衛生の専門家が多数寄稿していて、宮川のように海外で活躍している方々も情報を発信しています。日本語の報告なのでたいへん有難く、それゆえ、日本との比較という視点を含んでいることも、私が注目している理由です。一つ要望を書くと、COVID-19への対策を支える医療や公衆衛生をめぐる社会的な基盤や文化についてもっと関心が向けられるといいと思います。感染症対策を規定しているのは、科学的な知見と同時に、その社会や文化だからです。「武見基金COVID-19有識者会議」を支えているは、公益信託武見記念生存科学研究基金で、この武見とは、銀座で開業し、日本医師会の会長を長くつとめ、戦後政治にも深く関わった武見太郎(1904–1983)のことです。COVID-19のパンデミックの中で、医療をめぐる政治や日本医師会の役割がクローズアップされました。そんな中で、もし、武見太郎が日本医師会の会長だったら、その対応はどうだったのだろうかと時々思うことがあります。


COVID-19を季節性インフルエンザと同様の感染症だとするブラジル大統領のジャイール・ボルソナーロの言動が注目を集めました。アマゾン川の流域に生活している先住民も感染を免れなかったことを知り、ブラジルの状況にも関心を持っていました。対策はかなりの放任でしたが、感染者数だけを見ると、初期には感染の規模の大きさが目立つものの、英米仏に比べると、そのカーブは大きくありません。しかし、こうした感染規模の確認では、人々は往々にして単なる感染者として匿名でカウントされ、個々人にさまざまな人生があることが見えません。自戒を込めて。



「米国の失敗」


2020年の5月頃には、米国での感染拡大が深刻になりました。中国から韓国や日本、そして、ヨーロッパ諸国で感染が拡大する中で、トランプ政権が初動を誤ったことがその理由として指摘されています。「武見基金COVID-19有識者会議」のHPに掲載されている相川眞範(ハーバード大学医学大学院ブリガム・アンド・ウィメンズ病院の学際的心血管病研究センター所長)の「COVID-19のパンデミック:米国の失敗と成功から学ぶ」(2020年6月2日)は、2020年前半における米国の状況を、マサチューセッツ州を中心に状況を整理しています。以下の記述は、特に断らない限り、相川の文章にもとづくものです。


連邦政府の機関であるNIH(National Institutes of Health アメリカ国立衛生研究所)やCDC(Centers for Disease Control and Prevention アメリカ疾病予防管理センター)の初動的対応はそれほど遅れたわけではありません。中国の武漢でCOVID-19の発生が確認された直後の2020年1月1日、CDCからHHS(Department of Health & Human Services 保健福祉省)への報告が行われています。1月6日には、専門の対策チーム(Coronavirus Task Force)が結成され、後にホワイトハウス内のコロナウイルス対策班となりました(結成は、1月29日)。1月21日、シアトルで米国最初の患者が確認されました。武漢への渡航経験がありました。しかし、トランプ大統領の危機感は薄かったとされています。


1月30日、WHOが「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」を宣言すると、翌31日から、米国は中国からの渡航制限を開始しました。しかし、この段階で約30万人が中国から米国へ渡航していました。コロナウイルス対策班は、イタリアなどからの米国への渡航を止めることを提案しました。しかし、これも実施されず、2月中には約180万人が米国に入国しました。医療現場でのPPE(個人用防護具)や人工呼吸器などの不足が懸念され、マスクもほとんどが中国からの輸入に依存していたため、その不足が懸念されました。この段階でもトランプ大統領の危機感は薄かったとされています。


2月29日、米国最初のCOVID-19による死亡が確認されました。3月10日、患者の急増を受け、東海岸のマサチューセッツ州は緊急事態を宣言し、同日、ハーバード大学もキャンパスの閉鎖を宣言しました。3月12日、マサチューセッツ州では公立学校の閉鎖が行われました。患者が急増し、医療機器が不足しただけではなく、「医療崩壊」が起き、3月13日、連邦政府はようやく「国家緊急事態」を宣言しました。


3月末、事態が深刻となる中で、コロナウィルス対策班のメンバーであるアメリカ国立アレルギー・感染症研究所所長のアンソニー・ファウチ(Anthony Fauci, Director, NIAID: National Institute of Allergy and Infectious Diseases)とトランプ大統領との対立が表面化しました。ファウチは、レーガン政権以来、長年にわたってホワイトハウスに政策提言を行ってきた実績があり、議会では民主党からも信頼が厚く、また、世論調査でも圧倒的な支持を集めていたので、トランプ大統領も更迭できませんでした(「国民支持、更迭できず」『東京新聞』2020年7月17日、朝刊、9面)。4月2日、トランプ大統領は抗マラリア薬のヒドロキシクロロキンを「奇跡の薬」として推奨しました。しかし、ファウチなどは否定的でした。このことも、この間の関係をよく示しています。


トランプ大統領は国民に対しマスク着用を推奨しながら、自身は従わないと発言していました。マスクをするか否かは、現在に至るまでCOVID-19対策をめぐる大きな問題の一つです。もっとも、2020年前半には、それは科学的な論争の対象であり、2月末の段階では、WHOでさえも、「せきやくしゃみといった症状がない人は予防目的で学校や駅、商業施設など公共の場でマスクを着用する必要はない」としていました。記者会見で、「マスクをしていないからといって、感染の可能性が必ずしも上がるわけではない」としていたのは、WHOで緊急事態対応を行っていたマイク・ライアン(Mike Ryan)でした(『東京新聞』2020年3月2日、朝刊、22面)。マスク着用をめぐる混乱は米国でもたいへん深刻でしたが、7月後半には、公共の場での着用を義務づける州が増加し、28州に上りました。感染拡大の中で、テキサス州やアラバマ州も方針を転換し義務化に転じました。しかし、フロリダ州などは義務化に慎重で、総じて共和党知事の州は義務化に否定的でした(「全米マスク論争沸騰」『東京新聞』2020年7月20日、朝刊、6面)。マスクの着用は、個人の自由を象徴する問題として議論されると同時に、キリスト教における息の宗教的意味が論点の一つとなりました。これに比べると、日本をはじめ、中国や台湾、香港、また韓国でも、マスクへの抵抗感が低かったのはなぜでしょうか。この問題は、あらためて丁寧に考えてみたい問題の一つです。


米国では、COVID-19の感染状況が深刻になると、WHOの対応にその責任を転嫁する意味もあって、4月13日、WHOへの財政負担を中止することを宣言しました。4月末の段階で、米国における感染者は100万人を超え、亡くなった方も6万人を数えました。しかし、PCR検査は一日あたり約14万5000件を数え、はやくも5月半ばには、モデルナ社のワクチン(mRNA-1273)が初期的な臨床試験で良好な成績を収めたことが報道されました。実際のところ、COVID-19へのワクチンの開発は急速に進みました。各国での接種が本格化するのは2021年になってからのことで、米国はその開発供給が可能だったこともあり、最も早くその接種を開始します。それが、「米国の失敗」を挽回するものだったのかどうかは別の機会にまとめてみたいと思っています。


実を言うと、「米国の失敗」という表現を使うかどうかを迷っていました。しかし、この文章を書くためにいろいろ調べる中で、Trump’s failureと明確にして指摘している文献を参照できたので、使うことにしました(Phillip M. Singer, Charley E. Willison, N’dea Moore-Petinak and Scott L. Greer, ANATOMY OF A FAILURE: COVID-19 in the United States, Scott L. Greer et al., Coronavirus Politics: The Comparative Politics and Policy of COVID-19, University of Michigan Press, 2021)。もっとも、「米国の失敗」なのか、「トランプの失敗」なのかは大きな論点だと思います。


トランプ政権が科学的根拠にもとづく対策を行わなかったという批判が行われてきました(Jason Dearen, 200,000 dead in U.S. as Trump puts politics over science, The Japan Times, September 24, 2020, p. 4)。その背景には、安全保障に関する最高の意識決定機関である国家安全保障会議(National Security Council)に設置されていた感染症を専門に扱うチーム(Pandemic Unit)を2018年に解散させていたことなどもあったのです。結局のところ、2020年の米国におけるCOVID-19対策を根底において規定していたのは大統領選挙でした。トランプ大統領の共和党政権と野党の民主党との間で、COVID-19対策をめぐって政策的対立が表面化しました。トランプ嫌いで知られるノーベル経済学賞学者のP・クルーグマンは、米国のCOVID-19対策の失敗を、大統領のリーダーシップの欠如に求めています(Paul Krugman, How America lost the war on Covid-19, The New York Times, International Edition, July 8, 2020, p. 10)。


選挙戦の中で、なんとトランプ大統領自身がCOVID-19に感染してしまいました。2020年10月初め、入院していたウォルター・リード陸軍病院(ウォルター・リードは、黄熱病やマラリアを抑制してパナマ運河の開削を成功させたことで知られる感染症の専門家です)から退院し、ホワイトハウスにもどったという新聞記事を読んだとき(『毎日新聞』2020年10月7日、朝刊、1面)、日本の首相が感染した場合には、どこに入院するのだろうか、などと不謹慎な疑問を抱いてしまいました。


米国の状況について、もう一つだけ。在米日本人の記録です(コスギアツシ「ニューヨークは70年代に戻るのか?」下川裕治責任編集『日本の外からコロナを語る──海外で暮らす日本人が見たコロナと共存する世界各国の今』メディアパル、2020年12月)。コスギは、1986年に渡米以来、長いあいだ在米生活を続けている音楽プロデューサーです。ニューヨークは地下鉄や郊外列車が発達しているため、米国の中で例外的に車に頼らなくてもよい都市とのこと。しかし、コロナ禍によって在宅勤務が急速に進んだため、ニューヨークはもう以前と同じ状態には戻らないのではないかと指摘しています。もし週1〜2回の出勤でいいのならば、時間がかかっても環境のよい郊外に住むという選択肢が現実的になってきます。これは、東京も同様でしょう。ところで、コスギの高齢の母親は日本で一人暮らしとのことです。年に数回は帰国していたのだが、それができなくなってしまいました。すでに、米国籍を取得した、元日本国籍者だからでしょうか。もし、近親者(つまり、実の母親)が重病の場合には、帰国申請自体は可能だとのこと。しかし、そのためには、市役所から戸籍謄本や親子関係を示す証明書類、日本側からの帰国を求める理由書、医師の診断書などが必要で、それを在外公館から申請し、日本の外務省が審議するために2週間から1か月の時間を要するとのこと。私も妹の家族がカリフォルニア在住で、もう2年近く会っていません。それにしても、「日本人」とはいったい何なのか。この文章を書いているときに、米国国籍を取得した科学者がノーベル賞に選ばれたときの過熱した報道がとても気になったので、この話題を書いておくことにしました。



長崎への出張


緊急事態宣言(第1回)の解除ののち、様子をうかがっていたのですが、2020年7月1日から長崎大学に出かけました。実は、2020年4月から一年間、勤務校から国内研修の機会を獲得しており、長崎大学熱帯医学研究所を拠点として、長年の宿題をかたづける計画を立てていました。研究室も提供していただき、この機会を利用して、長崎の各地でかつて流行していたリンパ系フィラリア症という地方病(風土病)の調査を行う予定だったのです。


この感染症は、日本列島に広く分布していて、特に、鹿児島、長崎、愛媛、高知などで流行していました。琉球諸島では宮古群島での流行が有名でした。20世紀後半、日本各地で対策が進みます。長崎での対策をリードしたのが、長崎大学風土病研究所(当時)の教授だった片峰大助で、片峰教授は、長崎の各地で対策研究に従事し、DEC(ジエチルカルバマジン)という駆虫薬を投薬することにとってその根絶を進めました。長崎での経験は、同様にリンパ系フィラリア症が流行していた韓国の済州島に導入され、1970年から開始されたソウル大学校の徐丙窩(ソビョンソル)教授との共同研究によって根絶されます。中国も、手法は異なりますがやはり根絶に成功しています。こうした地方病の制圧の経験を歴史化するため、ソウル大学校や寄生虫博物館(ソウル)の先生方と済州島でのフィールドワークを計画していたのですが、残念ながら、COVID-19のパンデミックのために延期になったままです。


長崎行きの様子については、すでに文章を書きました(「コロナ禍の中で─―長崎への旅」『中国史が亡びるとき』研文出版、2020年10月)。印象的だったのは長崎へのフライトで、その張り詰めた雰囲気は今も忘れ難いものがあります。長崎の方には申し訳ないのですが、長崎につくとほっとしたことを覚えています。しかし、ほとんど感染者がいないにもかかわらず、有名なチンチン電車の中でみなさん律儀にマスクをしているのに、何か申し訳ない気持ちになったことをよく覚えています。


長崎行きの飛行機に搭乗する際に配布された要請と、飛行機で配布されていたアルコールシート




2020年夏、COVID-19をめぐるあれこれ


2020年の夏にはいろいろなことがありました。7月26日、大阪大学が主催している歴史教育をめぐる高大連携のシンポジウム(リモート開催)で、「大学教養課程での「感染症と社会」の授業──資料を踏まえた思考力の育成」という発表をしました。これは、2022年度からはじまる高等学校の「地理歴史」の「歴史総合」という新設科目で、20世紀の感染症をとりあげることが求められていることに関連して、「感染症の歴史学」の立場から発言したものです。この問題は、別の機会にまとめて書いてみたいと思います。8月10日には、中国研究所のシンポジウム(リモート開催)に参加し、中国・武漢のロックダウンについて発表しました(飯島渉「感染症対策における「中国方式」の行方──COVID-19のパンデミックとロックダウン」『中国研究月報』2020年12月号、Vol. 74 No.12(No.874))。8月28日、東京大学医学部の特別授業で、リンパ系フィラリア症の制圧過程を医学部の学生さんにレクチャーしました。その際強調したのは、皆さんが医学部の教授になった時には、必ず医学史の博物館をつくってください、ということでした。


お盆(旧盆)には実家に戻り、8月13日に住職による棚経、お盆の行事諸々、そして、16日の施餓鬼会を迎えました。感染対策のため、棚経の住職もマスク着用です。また、墓参の方々もみなマスク着用でした。父母を見送って以来、お寺との付き合いが多くなりました。そんな中で気づいたことの一つが、檀家となっている寺に太平洋戦争で亡くなった方々の慰霊碑が建立されていることです。十数名の亡くなった方々の場所はさまざまとはいえ、昭和19年と20年に集中しています。私の故郷は、聯隊区としては第一師団の管轄下でした。ある時期から、8月16日には戦没者の慰霊碑にも塔婆を供えてもらうことにしました。全国戦没者追悼式も規模を縮小して開催、多くの関係の式典も中止になりました(『毎日新聞』2020年8月15日、朝刊、1面)。そんな状況の中で、「墓参りの代行」ビジネスも話題になりました。法要のオンライン配信もあるようです。それでも、やはり墓参りにこだわる方も多いようで、「滝野隆浩の掃苔記」という記事には、リアルにこだわるそんな思いが書かれていました(『毎日新聞』2020年8月23日、朝刊、5面)。感染がある程度収まっていた2020年にはお盆の行事もできたのですが、今年のお盆は、ちょうど感染が拡大した時期で、実家に行くことを控え、行事も中止としました。「墓参りもできないのは失政では」と思ったことを覚えています。


9月17日、半年に一回の検診のため病院に行き、CTを撮りました。待っている間もマスク着用です。撮影の際には深呼吸をするため、さすがにマスクを外すように指示されました。当たり前なはずなのに、「マスクを外す」ことに驚くという自分の感覚にびっくりしたことを手帳にメモしています。幸いにして、結果良好で一安心。ちなみに、病院の混み方は以前と同様、とも記しています。


9月25日には、韓国の慶熙大学校主催の会議にリモート参加しました。セッションでは、韓国、中国、英国および日本(つまり私)が、今回のコロナ禍についてのコメントをして、討論しました。主に3つの内容を喋りました。①パンデミックの「起承転結」のどこにいるのか、②COVID-19は、世界を変えた(変える)のか、③日本の「自粛」という対策について。この自粛をどう説明するかに悩んだわけです。



感染症と考古学


この時期、COVID-19をきっかけとして、考古学の文章を読みました。人類史の1万年の軌跡の中でどんな感染症が、どんな影響を及ぼしたのかには以前から関心がありました。春成秀爾編「感染症と考古学」(『考古学研究』67-1(265)、2020年夏号、67-2(266)、2020年秋号)は、国立歴史民俗博物館教授などをつとめた春成が、『南日本新聞』「南点」(2020年5月1日)に掲載した、「今回のパンデミックに対して考古学の研究者は何ができるか」という記事への関係者の返信メールを編集し2回に分けて掲載したものです。


意外だったのは、日本の考古学の世界では感染症への関心はかならずしも高くなかったとされていたことです。例外は弥生時代の結核で、発症の痕跡が人骨に残るため、感染の証拠を指摘しやすいからだとのこと。特集の中で、馬場悠男(国立科学博物館名誉教授・人類学)は、弥生時代の青谷上寺地遺跡(日本海に面した鳥取市にあります)で発見された骨に脊椎カリエスの症状が見られることから、結核は弥生時代に日本列島に持ち込まれ、水田の普及にともなって徐々に拡大したと指摘しています(『考古学研究』67-1(265)、2020年夏号、5頁)。そうしてみると、同じ時期にマラリア、リンパ系フィラリア症や日本住血吸虫症などの寄生虫症も伝播した可能性があります。もっとも、感染症の伝播には一定の人口規模が必要なので、もっと後の古代国家の時期の使節の交流、中世における僧侶や倭寇などの中国大陸や朝鮮半島との関係を想定したほうがいいのかもしれません。こうした中で、下垣仁志(京都大学)は、感染症は外から持ち込まれ、被害を受けたという考え方になりがちなので、「考古学者や歴史学者が疫病研究の成果を一般に還元する場合、一般読者に被害者意識と排外意識をもたらしかねないことは十分に意識しておくべき」(『考古学研究』67-1(265)、2020年夏号、4頁)と指摘していることにとても共感しました。


考古学にこだわるのは、その後、中世ヨーロッパの黒死病の起源をめぐって、考古学的な研究、とくにDNAに含まれるゲノム情報の解析を通じて、黒死病の起源やヨーロッパへの伝播の調査研究が盛んに行われていることを知ったからです。天然痘やハンセン病なども同様で、「感染症の歴史学」をめぐる状況も大きく変化しています。黒死病の起源をめぐっては、W. H. マクニールが名著『疫病と世界史』(佐々木昭夫訳、新潮社、1985年、後に、中公文庫、上・下、2007年。原著はWilliam Hardy McNeill, Plagues and peoples, N.Y.: Anchor Press, 1976)の中で、東アジアの雲南起源の腺ペストがモンゴル帝国の軍事行動や商業ルートを通じて西漸し、それが中世ヨーロッパの黒死病の大流行となったのだ、というダイナミックな学説を提起しました。高等学校の世界史においても、マクニール説がとりあげられてきました。私自身も、高校生を対象とした『感染症と私たちの歴史・これから』(清水書院、2018年8月)の中でマクニール説を採用していました(35~37頁)。


ところが、COVID-19のパンデミックの中で依頼された原稿を準備する中で、黒死病の起源や日本を含む東アジアでの流行の有無を論じることが必要になり、ここ10年ほどの考古学的な発掘(つまり、遺骨の分析です)にもとづく調査研究やゲノム解析の研究成果を応用したモニカ・グリーンやブルース・キャンベルなどの新しい研究成果に触れ、黒死病の雲南起源説を修正しないといけないと強く感じるようになりました。この辺りの事情は、最近、公刊された「「感染症の歴史学」と世界史──パンデミックとエンデミック」(『岩波講座世界歴史』1、小川幸司編、2021年10月)の中で説明しました。発掘の進展によって新たなゲノム情報が提供されることが、感染症の起源や伝播をめぐる研究の基礎となっています。よく知られているように、琉球諸島を例外として、日本では、土壌の違いから遺骨が残りにくく、研究の進展の隘路となっています。



COVID-19のパンデミック、その対策の評価


話を戻しましょう。現在に至るまで、諸外国がどのようなCOVID-19対策を選択し、その成果と課題は何であったかを丁寧に理解したいと思っています。しかし、「過去と現在の対話」によって知見を示す歴史学は、「起承転結」がある程度はっきりした段階でないと、事実関係の軽重を判断することができません。そのため、この文章でも慎重に言葉を選ぶようにしているつもりです。


WHOが対策の評価を行うために「パンデミックへの準備と対応の独立パネル(The Independent Panel for Pandemic Preparedness and Response)」を組織しました。このパネルは、「現在のパンデミックは重大な警告で、世界は目を覚ます必要がある」(The current pandemic has been a “terrible wake-up call,” it says. “Now the world needs to wake up.”)」(https://theindependentpanel.org/mainreport/)という印象的な表現を使っています。


事務局メンバーの一人が馬渕俊介で、赫々たるキャリアの持ち主です。東京大学卒業後、JICA(独立行政法人国際協力機構)に入り、2007年にハーバード大学ケネディスクール公共政策修士号を取得、マッキンゼー・アンド・カンパニーの日本オフィス、南アフリカオフィスなどを経て、ジョンズ・ホプキンス大学の公衆衛生修士号、世界銀行在職中に同博士号を取得しました。世界銀行では、2014~2016年に西アフリカで大流行したエボラ出血熱の緊急対策にあたるなど、サブサハラアフリカ地域の保健医療システム改善のチームリーダーを務め、2018年9月からビル&メリンダ・ゲイツ財団で戦略担当副ディレクター、シニアアドバイザーとして勤務し、2020年10月から2021年4月末まで、ゲイツ財団を休職して、「独立パネル」の事務局の中心メンバーとして参画したのです。


このパネルの報告書の内容については、別の機会に触れることにします。馬渕は、その経験を要約して、「死者数の少ない「成功国」と死者数の多く出た「失敗国」の最初の1年間を比べると、上記の対コロナ戦略の違いに加えて、リーダーシップのスタンスやアプローチの違いがはっきりと見えてきた」(馬渕俊介「先進国が軒並み失敗、各国のコロナ対応の成否を分けたもの」『日経ビジネス』2021年6月23日)と指摘しています。


馬渕の指摘を私なりに解釈してみましょう。COVID-19のパンデミックは、地球規模の対策を必要とする課題です。しかし、現実の感染症対策の主要なアクターとなったのは、20世紀的な国家でした。現実にはワクチンの取り合いが表面化し、その開発が可能だったいくつかの国や経済力のある国ではワクチンの接種が進み、2021年になるとCOVID-19のパンデミックの局面も変化し、「起承転結」の「転」の段階に入ったかに見えました。しかし、COVID-19はそうした状況をあざ笑うかのように変異株を出現させました。こうした中で、アフリカへのワクチンの供給は決定的に遅れており、それが国際的な対策を停滞させ、新たな変異株の出現の場を提供することになることが懸念されています。確かに、ワクチンの役割は大きいのですが、私たちは依然として「起承転結」のどこにいるのかをはっきり言うことができないように思います。


COVID-19への対策が従来の感染症対策とは全く異なった手法によって進められていることも重要です。ICTやAIの本格的な活用、コンタクト・トレーシング、監視などの問題が登場しました。それは、グローバル化を背景とする都市化の急速な進展の中で、コミュニティ・ベースでの人と人の関係性が希薄化し、それをデジタル・ベースでの情報技術によって代替しようとしているからだと考えられます。


そうした中で、日本の対策は、行動の「自粛」を「同調圧力」という規範意識=文化によって実現しようとした(する)対策でした。これは、国際的にはきわめて少数派の対策でした。今後の日本の感染対策においてロックダウンが法制化されるかどうかは、政治的状況の推移にかかっていると思われます。しかし、それを議論する際には、感染症対策を規定する要因としての文化や社会を論じる必要があることをぜひ指摘しておきたいのです。


2020年の米国におけるCOVID-19対策を制約したのは大統領選挙でした。そして、日本の場合もオリンピックとパラリンピックが大きな意味を持ちました。感染症対策には科学的知見がその基盤を提供しています。しかし、それと同時に、あるいはそれ以上に、対策を支える社会の特徴や文化、規範意識が対策の内実を規定してきた(いる)ことも明らかです。それは、歴史の中で蓄積されてきたものなのです。「感染症の歴史学」は、それを問う学問なのだということがあらためてよくわかった、というのが現在の率直な想いです。


次回は、国際的な状況の推移にも目を配りながら、再び、対策の推移とその影響、COVID-19をめぐる「小さな歴史」に目を向けることにします。

(つづく)



 * * *



飯島渉(いいじま わたる)

1960年生まれ。青山学院大学文学部教授。「感染症の歴史学」を専門とし、東アジアのペスト史やマラリア史を研究してきた。『感染症の中国史』(中公新書、2009年)、『高まる生活リスク――社会保障と医療』(共著、中国的問題群、岩波書店、2010年)、『感染症と私たちの歴史・これから』(清水書院、2018年)など。長崎大学熱帯医学研究所客員教授、獨協医科大学特任教授、目黒寄生虫館理事。感染症対策の資料を整理・保存する「感染症アーカイブズ」(https://aidh.jp/)の代表もつとめている。


本連載は偶数月に更新します。次回は2021年12月中旬の予定です。


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