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執筆者の写真岩波新書編集部

連載 私のコロナ史 第7回 COVID-19をめぐる「歴史学的ココロ」

飯島渉



コロナに翻弄された2020年


オミクロン株という感染力の強い変異株が出現し、世界はCOVID-19対策を「やり直す」危機に立たされています。変異株が最初に発見されたのは南アフリカで(2021年11月25日、南アフリカ国立伝染病研究所の発表、「南アで新たな変異株」『産経新聞』2021年11月27日、朝刊、2面)、その背景には、アフリカへのワクチン供給の遅れがあると思われます。重症化の可能性が低いとされるのが救いで、この変異はコロナウイルスの側の戦略からすれば、長期にわたって緩やかな感染を維持するスマートな対応といえるでしょう。2022年を迎え、パンデミックも3年目、感染の収束が見通せません。


この連載も2年目に入りました。COVID-19に翻弄された日々を記録し、記憶することが目的です。1年くらいの間にはいったんまとめることができると思って始めたのですが、それがいかに甘い見通しだったかを痛感しています。 


ワクチンの2回接種が進んだ欧米諸国でもオミクロン株の感染が広がっています。英国では、2021年12月22日、一日当たりの新規感染者が10万人を超えましたが、クリスマスを控え、政府は規制強化に消極的でした。一方、オランダは、同19日から再びロックダウンを選択しました。ルッテ首相は、「オランダ中からため息が聞こえる」としながら、スーパーや薬局などを除き大半の商店の店舗営業を禁止しました(「欧米 行動制限か容認か」『朝日新聞』2021年12月24日、朝刊、3面)。


韓国では、デルタ株による感染が急拡大し、12月21日の新規感染者は7,456人でした(外務省海外安全情報HP「【新型コロナウイルス関連】韓国国内感染者数等について(12月22日、韓国疾病管理庁発表)」)。韓国の人口は日本のほぼ半分なので、2021年8月ごろの日本の第五波の状況に近いと言えるでしょう。韓国政府はウィズコロナ戦略を転換し、再び厳しい規制に踏み切りました(「韓国 ウィズコロナ撤回」『朝日新聞』2021年12月16日、朝刊、8面)。


新規感染者が激減した日本は、出入国制限の緩和を進めていました。しかし、オミクロン株の出現で再び規制を強化し、航空会社に日本到着の国際線の新規予約を停止するよう求めました。10月4日に発足した岸田政権が、安倍・菅政権期の水際対策への批判を踏まえ対処しようとしたものでしたが、批判も多く、すぐに撤回されました(「日本便の予約停止撤回要請」『朝日新聞』2021年12月3日、朝刊、1面)。文部科学省も、オミクロン株感染者への濃厚接触者が大学入試を受験することを認めないとしていた指針を撤回しました。1月の共通テストも同様とのことです(「濃厚接触者も受験可に」『神奈川新聞』2021年12月28日、1面)。いずれも朝令暮改ですが、それだけオミクロン株に翻弄されているということでしょう。


今回は、2020年後半の様相を書いてみます。大きな出来事は、国際的には米国の大統領選挙、日本では「Go To キャンペーン」だったと言えるでしょう。



「米国の失敗」と大統領選挙


2020年の秋には、日本でも連日、米国大統領選挙がトップニュースでした。米国の動向は、世界のCOVID-19の行方をも左右すると考えられていたからです。私の米国経験は旅行だけ、それもごく短いものばかりで、米国のリアルを実感しにくいことをまず書いておきます。直接質問したことはないのですが、米国在住の友人たちはたぶん民主党支持者が多いと思います。


11月3日(米国時間)に投票が行われた大統領選挙の選挙人獲得数の結果は、バイデン306人、トランプ232人で、民主党のバイデンの勝利でした。COVID-19対策が最大の争点となり、「コロナの封じ込め」と「経済の再生」の二択の質問では、「コロナ」を選んだ人の79%がバイデンを、「経済」を選んだ人の78%がトランプを支持しました(「重要課題、票に直結」『毎日新聞』2020年11月16日、朝刊、6面)。トランプ大統領は選挙後も結果を認めず、12月5日開催のジョージア州の集会では、「民主党が選挙で不正を働いたことは、米国で最も大きな公然の秘密だ」などと演説していました(「大統領選後初集会」『毎日新聞』2020年12月7日、朝刊、7面)。


選挙戦を振り返ると、トランプ大統領自身がCOVID-19に感染したことが思い出されます。9月26日にホワイトハウスの中庭で行われた連邦最高裁判事の指名発表の出席者の大半はマスクなしで、10月初め、トランプ大統領の感染が確認されました。共和党議員や政権中枢の人物たちも感染しました(「感染リスク軽視のツケ」『毎日新聞』2020年10月4日、朝刊、3面)。


コロナ対策を成功させ、収束に向かわせた大統領というイメージを強調したいトランプ大統領は、米国のCOVID-19対策をリードしてきたファウチ国立アレルギー感染症研究所長を誹謗しました(「コロナ権威に「ばか者」」『毎日新聞』2020年10月21日、朝刊、7面)。テレビでその様子を見たとき、むしろファウチ所長のタフさが印象的でした。


投開票の日には長崎に滞在していました。私は、バイデンが勝つだろうと思っていました。開票速報ではトランプが健闘し、前回の大統領選挙に続きトランプの勝利を予測した評論家の木村太郎が出演していたテレビ番組で、「ほら、俺の言ったとおりだろう」という感じだったので、見続けるのが嫌になって寝てしまいました。翌朝目が覚めたらバイデンが勝っていて驚きました。もっとも、ロサンゼルスで生活している妹とリモートで話すと、「トランプはかなり強いと思う」という言葉に驚かされることが多かったのです。また、米国研究の友人たちと話すと、「米国の失敗」を簡単に言う私の理解への不満が表情に出ることも多かったのです。米国文化を専門としている鈴木透(慶應義塾大学教授)が、トランプ大統領は、倫理基準、歴史認識、愛国主義の土台の三つを大きく麻痺させてしまい、「アメリカ・グレート・アゲイン」というスローガンを聞かされ続けた人々は、偉大なものとそうでないものの境目がわからなくなって、催眠術にかかった状態になったと解説しているのに納得しました(「覚めぬトランプ催眠術」『毎日新聞』2020年11月25日、夕刊、2面)。


11月13日、日本の歴史を教えている、日本語もよくできて、日本文化への理解も深いドイツ人と米国人の友人とリモートで意見交換の機会をつくりました。時差があって2人には不便をかけましたが、青山学院大学の大学院生に手伝ってもらい、学内学会の雑誌でその内容を紹介しました(「〈特集〉疫病・感染症の記憶、記録、余波と影響、外国人研究者座談会(2020年11月13日)」、青山学院大学史学会『史友』第53号、2021年3月)。この時にも、米国人の友人がトランプ大統領の無策ぶりを痛烈に批判していたことが印象的でした。


12月中旬、米国でワクチン接種が開始されました(「アメリカで新型コロナウイルスのワクチン接種開始2020年12月15日)。米国のCOVID-19対策の難しさの一つは、黒人や中南米系の人々の根強いワクチンへの不信感でした。1930年代から70年代、梅毒の臨床研究のために感染者と非感染者の黒人男性600人が実験材料とされる事件がありました。米国でワクチン接種の第1号となったのはサンドラ・リンゼイというニューヨークの黒人看護師でした。「過去の歴史を理由に接種したがらないマイノリティー(人種的少数派)の人に言いたい。私は自分が(初の接種の)ターゲットにされたとも、利用されたとも思わない。世界中の私のような人にワクチンを受けることをお勧めします」というコメントが報道されたのはそのためでした。世論調査によれば、ワクチンを受けると答えた人が白人では53%だったのに対して、中南米系は34%、黒人では24%にとどまりました(「米人種差別の暗い記憶」『毎日新聞』2020年12月25日、朝刊、2面)。


それにしても、2021年1月6日の米国ワシントンでの連邦議会議事堂乱入事件には本当に驚きました。共和党と民主党のCOVID-19対策の違い、トランプ大統領支持者の中では政府による介入的な感染症対策に批判的な意見が強いことも承知していました。しかし、乱入事件にまで発展するとは、想像できないことでした。米国のリアルを十分にわかっていなかったということでしょう。



コロナ禍の下での日常


新聞に掲載される和歌や俳句、川柳の短い表現の中に込められた投稿者の感覚にますます敏感になりました。2020年の毎日歌壇賞の受賞作品の中で印象的だったのは、「コロナ禍の面会禁止三カ月 母の記憶にいるのか我は」(出水市、清水昌子さん)、「小学生3人よると三密で 8人寄ると蜂蜜と笑う」(横須賀市、細野恂さん)、「テレワークする娘(こ)はメイクし服装も整へ パソコン画面に向かふ」(越谷市、高橋京子さん)です。


仲畑貴志の万能川柳はもともと好きでした。「激動の2020」の80句をすべて紹介できないのが残念です。「ウイルスで世界はひとつ思い知る」(府中 火星人 2月29日)、「今年からマスクは冬の季語じゃない」(成田 離ラックス 6月10日)、「ウイルスと五輪とどっちが勝つだろう」(浦安 さやえんど 11月29日)が印象的でした(『毎日新聞』2020年12月25日、特集ワイド、2面)。私も挑戦したくなります。


2020年の手帳を開くと、11月初めは長崎大学熱帯医学研究所に滞在していて、尊厳研究会という哲学や倫理学などの専門家が集まる研究会で中国のロックダウンについて発表しました(11月1日)。もちろん、リモートです。1日から3日の第61回日本熱帯医学会大会(「グローバルヘルス合同大会2020大阪」として、日本国際保健医療学会学術大会、日本渡航医学会学術集会、国際臨床医学会学術集会と合同大会)でも発表(シンポジウム「感染症と人類の歴史」)とコメント、長崎大学の研究室からのリモート参加でした。


横浜にもどり、アジア政経学会(11月7日)や医学史を専門とする鈴木晃仁東京大学教授の研究会(11月14日)で、いずれもリモートで発表しました。11月8日には八王子市の市民団体主催の講演会でも喋っています。こちらは、ハイブリッドと呼ばれる対面とユーチューブを利用したライブ配信の併用でした。12月初めには、中国社会文化学会の研究会でも喋りました。需要もあったとはいえ、発表が重なって毎回新しい内容というわけにはいかなくなり、学会の特徴にあわせアクセントをつけながら発表しました。その一部は、文章化しました(飯島渉「武漢「封城」研究の課題」中国社会文化学会『中国―社会と文化』36号、2021年7月、67~72頁、飯島渉「中国のCOVID-19対策と「社区」」アジア政経学会『アジア研究』第67巻第4号、2021年10月、58~71頁)。ロックダウンと「社区」という中国の疑似コミュニティの役割については、後で言及するつもりです。



コロナ禍の中の大学


卒業論文の指導をリモートで行いました。2020年度の4年生は数が多く10人を超えていました。事前にドラフトを提出してもらい、リモートでコメントし、10月24日に「中間報告会」(リモート開催)を行いました。


文科省の国公立大学および短大、高専を対象とした調査によると、2020年7月段階での(一般的には前期)の授業方式は、全面対面173校、全面遠隔254校、対面・遠隔併用642校でした。後期の方針は、全面対面205校、全面遠隔1校、併用849校で、併用の割合は、ほとんど遠隔161校、3割が対面209校、半々212校、7割対面94校、ほとんど対面173校(8月末から9月初めの計画を調査したもの)でした。文科省の基本方針は、できるだけ対面授業を再開するというものでしたが、各大学は慎重でした。学生数も多く、行動半径も広いため感染リスクが大きいと考えられるからです。クラスターが発生した場合の批判も予想されます。対面授業の場合、受講者数を制限しなければなりませんが、教室のキャパシティーに限界があり、特に、私立大学の場合、それが深刻でした。国立大学には2020年度の補正予算で46億円の改修費用が計上されました。しかし、私立大学への支援はこの段階ではありませんでした(「コロナ下の大学」『毎日新聞』2020年10月1日、朝刊、13面)。


COVID-19の衝撃によって大学は翻弄され、それは現在も続いています。吉見俊哉『大学は何処へ――未来への設計』(岩波新書、2021年4月)から、大学院も含め10年以上学生生活を送り、その後30年ほどを教員として過ごしてきた者として、いろいろなことを学びました。大学はそもそも「知を求めて旅する人々によって創造された。旅人たちは都市に住み、生活を支え合いながら学知の空間を創造した。移動の自由と学問の自由は不即不離で、この二重の「自由」を可能にする場が都市だった」ため、コロナ危機の衝撃は、数百年の大学と都市の関係史の中に位置づけなければならない、とのこと(同書、148頁)。2020年に急速に進んだオンライン化によって、9月入学を含む学事歴の国際標準化の問題が再浮上するだろうという指摘はその通りだと思いました。2020年の3月頃、半年休んで9月入学に舵を切ったらどうかなどと同僚と話をしていたことを思い出しました。



『現代思想』(48—14、2020年10月)が「コロナ時代の大学――リモート授業・9月入学制議論・授業料問題」という特集を組みました。20人ほどの論者の説くところは多彩で、問題提起を十分に受け止めきれていませんが、大橋完太郎(神戸大学准教授)の「大学の「身体」は変容する」が印象的でした。「感染症の流行は、大学のキャンパスを、関係者以外が立ち入ることのできない場所へと変えてしまったのである。……キャンパスが実質的に廃墟となってしまったような印象を与えるに十分なものがある」のは、大学とは「「勉強してもしなくてもいい場所」として高い完成度を備える制度であった」からだったと指摘しています(同書、94頁)。COVID-19は、大学のあり方を大きく変えてしまったのです。



資料を残す=つくる


大学が提供できる情報や価値について、関西大学編『新型コロナで世の中がエラいことになったので関西大学がいろいろ考えた』(図書出版浪速社、2021年4月)も印象的でした。それぞれの専門領域からCOVID-19について論じた文章を集めたコンパクトな文献です。法律、心理、数理モデル、危機管理、国際関係や歴史と切り口はさまざまで、多様な知見の総合を通じてCOVID-19をめぐる頭の整理ができました。大学が担うべき学知のあり方とはそうしたものかもしれません。菊地信彦「コロナ禍の歴史を作るための「コロナアーカイブ@関西大学」」は歴史学からの接近です。デジタル・データ・アーカイブズの試みである「コロナアーカイブ@関西大学」は、過去を扱う歴史学が現在を記録するという野心的取り組みを紹介しています。諸外国ではより大規模な試みも進展していますが、日本の歴史学の活動は不十分です。COVID-19をめぐる資料を残すという課題はたいへん重要で、歴史学も参画すべきでしょう(菊地信彦ほか「コロナ禍におけるデジタルパブリックヒストリー――「コロナアーカイブ@関西大学」の現状と歴史学の上の可能性、あるいは課題について」『歴史学研究』第1006号、2021年3月)。


北海道浦幌町立博物館学芸員の持田誠は、日々生産され、同時にすぐなくなってしまうマスクをはじめ、さまざまな「ブツ」を集める試みをしています(持田誠「コロナ関係資料収集の意義と必要性」『博物館研究』第630号、第55巻11号、2020年11月)。資料を残す作業は、ある意味で、資料をつくる作業であり、記録と記憶への「介入」(医学用語です)という性格も持っています。より広い活動が継続的に行われる必要があると同時に、資料を収集すること自体が「史料批判」であることを踏まえた理論武装が求められています。



「Go To トラベル」


2020年後半のCOVID-19対策を象徴するのは、景気浮揚策として、旅行代金の35%を割り引き、旅先の土産物店や飲食店で利用可能なクーポンを15%分付与する「Go To トラベル」で、7月22日から始まりました。当初は東京を除外しましたが、10月1日から東京も加わりました。COVID-19のために傷んだ観光業界、特に地方へのテコ入れの趣旨は理解できます。しかし、制度設計にはいろいろな問題がありました。一例をあげれば、合宿形式の運転免許取得プランを対象とするかどうかをめぐって議論がありました。仮に、30万円のプランでは、10万5000円の割引に加え、4万5000円のクーポンを受け取れます。官公庁は当初「問題ない」との認識で、船舶免許やダイビングのライセンス取得プランなども登場しました。しかし、経済的なメリットの享受の公平性からの批判もありました(「Go Toで免許合宿賛否」『毎日新聞』2020年10月20日、朝刊、22面)。そのため、11月からは対象外となりました( Go To トラベル事務局HP「「合宿免許商品」の取扱いについて」2020年10月23日)。


「Go To トラベル」事業は延期であり、再開も企図されていますが、変異株の状況などに左右されると思います。経済学者の原田泰は、『コロナ政策の費用対効果』(ちくま新書、2021年12月)で、事業の性格や効果を検討し、日本政府のこれまでの不況対策が、無理やりにでも需要を付け仕事を作るやり方だったことを踏襲したものだったため、人との接触を増やすような需要の増やし方をしたとして、感染対策の基本はもともとウイルスとの接触の回避だったのだから、2020年後半には、「通算すればむしろ需要を減少させていたのではないか」(同書、235頁)と厳しい意見を述べています。この文献は、補正予算も含めれば2020年度には77兆円にふくらんだCOVID-19関係予算(ただし、20兆円は使い残しのため、実際には57兆円)の使い道とその効果を検証したもので、あらためて触れる機会もあると思います。


手帳を見ると、11月中旬に近くの温泉に行く計画を立てていました。しかし、感染の拡大が気になり、結局、中止にしました。菅首相は、12月11日に出演した動画サイトの番組で、Go To事業の停止は考えていないと明言しました。しかし、同日開催された新型コロナ対策分科会で、ステージ3(感染状況が「拡大」)相当の対策が必要な地域での一時停止が提言されます。内閣支持率の低下の中で、菅首相は政策を変更せざるを得なくなり、「Go To トラベル」は、12月28日から全国一斉に停止になりました(「Go Toトラベル全国停止」『毎日新聞』2020年12月15日、朝刊、1面、「政権批判に追い込まれ」同、3面)。


2020年12月になると、各地で感染が拡大しました。北海道旭川市では医療体制がひっ迫し、知事の「災害派遣」要請にもとづき陸上自衛隊の看護官ら10人が、12月8日からクラスターの発生した吉田病院や北海道療養園(障がい者施設)で支援を開始しました。9日の段階で、263病床を擁する吉田病院で197人が感染し、北海道療養園でも60人の陽性が確認される深刻な状況となりました。医療体制のひっ迫の中でやむを得ぬ措置とは言え、自衛隊の医療資源の活用には批判もあり、人員の転用は自衛隊にとって大きな負担でした(「陸自看護官旭川入り」『毎日新聞』2020年12月10日、朝刊、24面)。それだけ状況がひっ迫していたこと、指揮命令系統がはっきりしているため、人員の配置が容易である自衛隊の活用が選択されたと見ることができます。



COVID-19をめぐるいろいろな「ココロ」


COVID-19によって音楽会や芝居、舞台などの公演が中止に追い込まれました。緊急事態宣言(第1回)が解除されると、2020年後半にはさまざまな努力によって活動が再開されます。東京の浅草演芸ホールは、6月1日から寄席を再開しました。東京都の指針に従って、340席ある座席のうち100席にお客を入れるという制限の下での再開です。音楽公演では距離がとりわけ重要で、なかなか想像しにくいのですが、奏者の間隔次第で演奏できる演目も変わるとのことです。ウィーンフィルハーモニー管弦楽団は、フルートがエーロゾル(微粒子)を拡散するのは75センチの範囲で、呼気が80センチを超えるとは考えられないという見解を発表していました。東京の新日本フィルハーモニー交響楽団は、弦楽器は1.5メートル、管楽器は2メートルの距離を置き、奏者はゴーグルを装着する準備を進めました(「社会的距離と興行両立は」『信濃毎日新聞』2020年6月12日、朝刊、13面)。音楽会などへの支援はやはり(と書くのはたいへん残念ですが)欧米のほうが手厚かったと思います。「不要不急」ではないという理念も明確でした(Margaret Renkl, Keeping music (and one another), The New York Times, International Edition, July 8, 2020, p. 10)。


大相撲は、2020年3月の春場所は史上初の無観客、その後、両国の国技館で開催された7月場所は観客を入れたものの、升席に一人ずつ、マスク着用での観戦でした。濃厚接触者の追跡を目的として、入場券の14日間の保管を求め、力士は支度部屋でもマスクを着用し、横綱土俵入りも掛け声なしでした(「厳戒国技館ぴりぴり」『東京新聞』2020年7月20日、朝刊、21面)。東日本大震災の年にも開催された(事情が異なるとはいえ)、東北三大祭り(青森のねぶた祭、仙台の七夕祭り、秋田の竿燈まつり)が中止になりました。山形の花笠まつり、盛岡のさんさ踊り、福島わらじ祭りも同様に中止でした。地元の人々にとって心のよりどころであり、また、観光産業にとっては大打撃です(「人出望めず経済打撃」『東京新聞』2020年7月27日、朝刊、14面)。


身近な行事の中止や開催形式の変化も相次ぎました。その例は枚挙にいとまがありません。まず、オンラインマラソン。2015年から開催されている金沢マラソンは兼六園などの近くを通り、沿道の声援も熱心で、金沢カレーなどのエイド・ステーションの充実ぶりで人気でした。コロナ禍の中でスマホアプリを利用したオンライン大会となりました。GPSで走行距離を測り、10月10日から1か月のあいだに42.195キロを走れば完走です。この時期、こうしたオンライン開催はおよそ60大会にのぼりました(「オンラインマラソンが熱い」『毎日新聞』2020年10月3日、夕刊、7面)。


小学校の運動会も同様です。神奈川県の蛯名市立中新田小学校の児童は1、3、5年と2、4、6年に分かれ、一方が競技中にはもう一方は校舎で授業を受け、保護者の観覧は校庭の金網の外から、各家庭一人までという変則的な開催でした(10月13日)。小中学校では運動会、音楽会などの行事が大切です。これらは、コロナ禍の中でなんとか開催にこぎつけた姿でした(『毎日新聞』2020年10月24日、夕刊、1面)。


楽しませてもらったのが、玉川奈々福師匠の浪曲の動画配信です。『浪花節で生きてみる!』(さくら舎、2020年12月)も楽しく拝読しました。この本はアマゾンで買いました。私にとって大きな変化でした。まともな本屋が少なくなってしまうので出来れば避けたいと思っていたのですが……。この本を手にしたとき、はじめ『浪花節で生きてみろ!』だと誤解して思わずのけぞってしまいました。玉川師匠は、もともと書籍編集を生業としていた女性で、三味線が習えるという「甘言」に騙されて(?)浪曲師になってしまったのです。その顛末は、オフィシャルサイトにある10月23日配信開始の動画の後半で詳しく知ることができます(https://7729.jp/index.html)。ちなみに、同書は「小沢昭一の小沢昭一的ココロ」へのリスペクトとのこと。自粛期間中には、「小沢昭一的ココロ」のCDを聞き直し、放浪芸を記録したCDやDVDを何度も聞き直し、見直しました(シリーズはたくさんあります)。野暮なので書かないほうがいいのですが、今回の表題はそれに倣ったものです。



私にはお笑いや演芸が必要でした。しかし、それが必要だったかという質問に「はい」と答えた人は、「まだ余裕のある人で、本当にギリギリの生活をしていた人は、お笑い番組など不快で見られなかったと言うはずです」という春風亭小朝師匠の寄稿(戦地での兵士の慰問と笑いなども書かれていて、文脈を説明するのが難しいのですが)に襟を正しました(「笑いのチカラ今こそ」『東京新聞』2020年6月29日、朝刊、4面)。


コロナ禍の中でたくさんの動画が配信されました(されています)。私の授業も一部が動画配信です。しかし、観客がいない動画の配信だけでは、実演芸能の場合には芸が下手になるので(授業もそうなる危険性があります)、懸念も多かったとのこと。難しいものだと思いました。音楽配信が「生演奏の代用になるとの考え方だけはやめてほしい」というのは、音楽学の岡田暁生(京都大学人文科学研究所)の発言です。その理由は、ネット配信などのデジタル音源は情報処理を効率的に行うため、人間の耳には聞こえない音域を相当切っているためで、「耳には聞こえない体に響く不可聴音域が、音楽を感動的なものにする重要な役割をはたしています」との理由からです。問題山積の中で、「抱き合え、兄弟たちよ」という歌詞のベートーベンの第九は歌えないはずだという発言にも共感しました(「コロナ禍の音楽」『毎日新聞』2020年12月8日、朝刊、10面)。


コロナ禍の中で


東京商工リサーチの調査によれば、2020年9月中旬、「コロナ倒産」は500件に達しました。飲食業への打撃がもっとも大きく、家賃の支払いなどの「固定費」の負担に耐えられなくなったことがその要因でした。緊急経済対策の家計・企業支援策は、子育て世帯への給付金、国民健康保険料や介護保険料の減免、電気・ガス・水道料金の支払い猶予などの家計支援と持続化給付金(収入半減の中小企業に最大200万円、個人事業主に100万円を支給)、雇用調整助成金の特例措置(休業要請に応じた中小企業に休業手当を全額保証、上限日額1万5000円)、衛生環境激変対策特別貸付制度の拡充(売り上げが10%以上減少した旅館や飲食店などへの融資枠を最大3000万円追加)、法人税や消費税、自動車税の納税猶予などでした(『信濃毎日新聞』2020年6月18日、朝刊、28面)。教え子の一人が法人への給付金事務を仕事としていたのでインタビューしたところ、手続きの煩雑さと給付の遅れによって給付申請も問題含み、また、自分もてんてこ舞いだと言っていました(2020年12月23日)。コロナ関係の経済対策、各種の支援事業を網羅的に論じるのは手に余るのですが、対策がtoo little too lateだったこと、関係各省の縦割り行政とデジタル化の遅れが大きな問題でした。


私も行ったことのあるいくつかの老舗も閉店したことを知り、寂しい思いを禁じえません。神保町のギョーザの専門店「スヰートポーズ」にはお世話になりました。創業1936年、学部時代の恩師が教えて下さったことをきっかけに通うようになりました。次のネット上の記事に、紹介があります(吉川慧「神保町の有名餃子店「スヰートポーヅ」閉店を惜しむ声。消えゆく老舗で変わる街」BUSINESS INSIDER、2020年6月11日)。


はっとした記事だったのでぜひ書いておきたいのは、日常生活にいろいろな障がいのある「医療的ケア児」の外出の機会や療養施設への受け入れが大きく制限され、ご家族にも大きな負担がかかっていることです。2019年度の調査ですが、そうした方々は、全国で約2万人をこえるとされています(「医療的ケア児の家族」『毎日新聞』2020年9月10日、夕刊、6面)。



「新型コロナ災害緊急アクション」の活動


コロナ禍の中での困窮者対策は、制度としては従来からのものを活用・拡大したものでした。3つの柱があり、①生活費の貸付(緊急小口資金:一時金として最大20万円を借りることができる、総合支援資金:単身者は月最大15万円、2人以上の世帯は月最大20万円を3か月借りることができる、無利子)、②家賃補助(家賃相当額を9カ月まで受け取れる、返済不要)、③生活保護(自治体の福祉事務所で申請する、資産などの調査がある)があります(『信濃毎日新聞』2020年6月18日、朝刊、28面)。


2020年12月22日、厚生労働省が生活保護の利用を促す異例のメッセージ「生活保護を申請したい方へ」をHPに掲載しました。「生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください」という文言で、現在も掲載されています。掲載までにはいろいろな経緯があり、以下に紹介する方々の活動の結果でした。


稲葉剛『貧困パンデミック――寝ている『公助』を叩き起こす』(明石書店、2021年7月)は、朝日新聞の言論サイト「論座」に連載されていた文章をまとめたもので、2020年3月から2021年5月までのCOVID-19への「共助」の記録であると同時に、「公助」がいかに機能しなかったのかを伝える記録です(同書、7~8頁)。会社などが住居を提供していた場合、失職と同時に住む場所を失うことになり、自分で住居を手当てできない場合、実家にもどるとか、友人との同居となり、それが難しい場合にはネットカフェなどを利用することになります。そして、お金が無くなると路上で過ごすようになってしまいます。同書は、COVID-19対策としての休業によって、ネットカフェから追われる様子(2017年の調査によれば、ネットカフェで寝泊まりしている人は東京都だけで約4000人と推測されています)と、居住空間の確保のための支援の様子を詳しく紹介しています。新聞などの報道を通じた断片的知識しかなかったのですが、ようやく一つの像を結ぶようになりました。



路上生活に追い込まれた人が居住空間を確保しようとすると、相部屋の共同空間を紹介されることが多いのですが、そうした施設は、生活困窮者を支援するように見せかけて搾取する「貧困ビジネス」の温床となっている場合も少なくないのです。コロナ禍の中で感染の危険性が高いこと、また、生活保護を申請するためには、自治体の福祉事務所が申請者の親族に援助ができないかどうか確認する「扶養照会」があり、それが申請の大きなハードルとなっていることを知りました。著者の稲葉剛は、一般社団法人つくろい東京ファンド(https://tsukuroi.tokyo/ 稲葉の公式サイトは、http://inabatsuyoshi.net/)の代表理事として、パートナーの小林美穂子とともに寄付金や助成金をもとにアパートの借り上げを進め、個室シェルターとして運営しています。


雨宮処凛『コロナ禍、貧困の記録――2020年、この国の底がぬけた』(かもがわ出版、2021年4月)もコロナ禍の下での日本の現実を教えてくれます。印象的だったのは、「地域社会の空洞化」が指摘されることへの違和感が書かれていることです。「それは、「役所は何もしない」という宣言に等しいからだ。……そして私たちは、そんな「公助」のために税金を払っているのだ。だからこそ「地域社会」なんて、あるかどうかもわからないものに丸投げするなと言っているのだ」(同書、132頁)という言葉が強く印象に残りました。


たくさんの援助団体、NPOの尽力を知り、頭が下がります。関心をもつこと、事実を知ろうとすること、そして応分の支援をすることがせめてものあり方だと思っています。ホームレスの人々に収入の機会を提供する『ビックイシュー』(1991年英国のロンドンではじまる)をはじめて購入しました。販売者は、雑誌10冊を無料で受け取り、その売り上げ4500円を元手に、以後は1冊220円で仕入れ、450円で販売し、230円を自分の収入するシステムだということがわかりました(220円と230円の設定に配慮を感じました)。



第1回緊急事態宣言下の4月末、私がよく散歩に出かける公園にある神奈川県立武道館に生活困窮者のための収容施設ができました。武道館の環境は、暖房もなく寒い大部屋の雑魚寝で感染拡大の恐れもあり、食事の提供もないとの批判が、瀬戸大作(原作)、平山昇・土田修(企画・編集)『新型コロナ災害緊急アクション活動日誌 2020.4–2021.3』(社会評論社、2021年6月、16頁)にありました。同書は、日弁連会長だった宇都宮健児が2007年に設立した「反貧困ネットワーク」の事務局長として活動をリードしている瀬戸の一年間の活動記録をもとにしています。「原作者」となっているので自分で書いてないのかと残念に思ったのですが、活動に忙しく執筆できない、しかし、現在の状況を記録することに意味があるとの判断のようです(同書、平山昇による編集後記、203~204頁)。不明を恥じる次第です。瀬戸を中心に、所持金が数百円という路上生活者を救済する活動のために、2020年3月末、「新型コロナ災害緊急アクション」が設立され、活動を開始しました。


神奈川県立武道館の収容上限は80人、4月29日の時点で75人が滞在中でした。剣道場などを布で間仕切りして2メートル四方の個室をつくり、簡易ベッドと3枚の毛布が準備され、カプセルホテルなどが休業になって寝泊りの場所を失った日雇い労働者などが利用し、県営住宅の紹介などの生活支援相談も行われているとの報道がありましたが(「県立武道館上限迫る」『東京新聞』2020年4月30日、朝刊、16面)、それもこうした活動の成果だったのでしょう。


2020年11月16日の未明、衝撃的な事件が起きました。渋谷区幡ヶ谷のバス停のベンチで、路上生活者の女性(64歳)が近所の男性に頭を殴られ死亡したのです。コロナ禍によって失職し、4月ごろからベンチで夜を明かすようになっていたらしく、亡くなった時の所持金は8円でした。「お金をあげるからバス停からどいてほしいと頼んだが、断られて腹が立った」というのが動機とされています(「路上の女性死亡、容疑者「痛い思いさせればいなくなる」」朝日新聞デジタル、2020年11月21日)。亡くなった女性の実名も報道されましたし、ネット上では犯人の実名や顔写真も「さらされて」います。この文章では実名を書かないことにした理由です。



「自助・共助・公助」をめぐって


つくろい東京ファンドは、生活保護を簡便に申請できるための「フミダン」という申請支援のためのHPを作成しています。その内容を見るとかなりたいへんなことがわかります。稲葉剛は、自分たちが「共助」の活動をすすめているのは、目の前で困窮している人を支えるためであって、「公助」の防波堤になるためではないとしています(前掲書、148頁)。連載の第4回で、英国の感染症対策の中で、ジョンソン首相がサッチャー元首相の言葉を引き「社会はある」と述べたことの意味を考え、「COVID-19のパンデミックの中で、「自助・共助・公助」という表現が使われたことの意味を考えるのは、次回以降の課題とします」と書きました。言うまでもなく、菅首相の自民党総裁選挙への出馬の際の言葉、また、臨時国会での所信表明演説の言葉です。「自分でできることは、まず自分でやってみる。そして、家族、地域で互いに助け合う。その上で政府がセーフティーネットでお守りする。」という言葉によるものです。


一般論として考えれば、「自助・共助・公助」の順序も一つの論理です。また、21世紀初期の日本社会は、「公助」の制度を構築しています。コロナ禍の中で、それが機能した場合もあることを承知しています。COVID-19のパンデミックの中で、各国政府は財政出動を拡大し、「社会国家」としての性格を強化しました。菅首相の「自助・共助・公助」とその順序だては、持論を展開したものと見ることができます。しかし、奥田知志(北北九州市で困窮者支援を行う、認定NPO法人「抱撲」の理事長)は、「公助」の対象となる時にはすでに「自分」も「周り」もボロボロに傷ついているから、「困窮者支援の現場から見ると、これは机上の空論だ」と厳しく批判しました。


COVID-19の流行の中で顕在化した困窮者をめぐる問題はこれまでにもあったものでした。他方、感染を防ぐために人と人の「密」な関係を回避することが求められ、ネットカフェなども営業を停止するという、これまでには経験したことのなかった事態の中で生まれたものでもありました。ここは「自助」を強調する場面ではなかろうと私も思いました。奥田は、菅首相が「たたきあげ」を強調するのならば、「俺は周囲に助けられ、ここまで来た。だからこの国を助け合える国にしたい」となぜ言えないのかと述べています(奥田知志「「皆で助ける」なぜ言えぬ」『毎日新聞』2020年11月20日、朝刊、11面)。


特別定額給付金は全国民を対象として一律10万円の給付となりました。これは、人口との掛け算で計算できます、およそ13兆円のお金がかかりました。しかし、路上生活者などの住民登録のない人は対象外となったため、支援団体は制度の改善を求めました(「路上生活者、給付金もらえず」『東京新聞』2020年5月16日、朝刊、25面)。


フリーランス(個人事業主)の音楽講師などの人々に休業手当が支払われない事例も頻発しました。副業をしている人を加えた広義のフリーランスの人々は、2020年2月から3月の内閣官房の調査では約462万人、40代以上が7割を占め、4月から5月の1600人を対象とした調査では、5割が取引先の業務自粛による取引停止を経験し、7割以上が収入減と回答しました。政府も、一斉休校にともなう子供の世話のために休職した人への支援金を創設し、持続化給付金の対象をフリーランスに拡大する措置を取りました。しかし、依然として法的保護から漏れやすく、仕事がなくなると一気に生活が困窮するリスクが高いことが指摘されていました(「フリーランス「綱渡り」」『毎日新聞』2020年7月20日、朝刊、2面」)。


COVID-19のパンデミックによる経済的危機は、2008年のリーマン・ショックとは全く異なったものだと指摘しているのが上野泰成(みずほ証券チーフマーケットエコノミスト)です。コロナ禍の中でも、パソコンやIT機器は売れていて、製造業は比較的好調なのに対して、飲食や宿泊などの対面型のサービス産業が厳しく、つまり、産業ごとの二極化が鮮明なのです。上野による菅首相は9月まで持たないのではないかという予測は当たり、ワクチン接種はスムーズに進まないのではないかという予測は半分当たり、半分外れました(「異質な経済危機到来」『毎日新聞』2021年1月29日、夕刊、2面)。2020年の後半には50万人が職を失い、日本が直面する貧困や格差が顕在化しました(Hiroshi Hiyama, Pandemic highlights hidden poverty in wealthy Japan, , The Japan Times, January 28, 2021)。


感染症対策をめぐる政府の役割、介入の程度や規模、個人の生活を支える家族や地域社会の役割などを丁寧に明らかにすることが、私が掲げている「感染症の歴史学」の最も大きな課題の一つだということを痛感します。これには「正しい答え」というものはなく、歴史の中で蓄積されてきた現実が、個々人の境遇として尖鋭に示されることになります。


最終的には「自己責任」という日本の社会の冷たさを感じ、しばらく前に著者からもらった木下光生『貧困と自己責任の近世日本史』(人文書院、2017年10月)を思い出しました。同書は、近世日本の共同体が助け合いでなく、厳しい排除の論理を持っていたと主張しています。経済史家の松沢裕作の厳しい批判もありますし、私も、現代と歴史を直線的につなげすぎと感じます。しかし、COVID-19の中で、コミュニティの特徴が意味を持つことや21世紀の現代日本における地域の欠如も実感します。2020年後半の学会での発表の中で、中国・武漢のロックダウンと疑似コミュニティとしての「社区」の役割を論じた発表に対して、ちょうど参加していた松沢から伝統的共同体の日中比較のこれまでの定説を逆転させようとしているのかという質問を受けたことを思い出します(前掲、アジア政経学会での発表および論文を参照)。感染症をめぐる社会、国家、個人の関係のもっとも機微に触れる問題に触った気がします。そして、感染症が歴史を変えるのではなく、感染症をきっかけとして人々が社会や国家との関係を変化させるのだということ、それが感染症の衝撃なのだということを痛感しました。また、日本で生活する外国人についてほとんど書くことが出来ませんでした。西ヨーロッパでは、農業労働者などとして社会を支える東欧からの労働者が入国できずに様々な問題が発生していることが伝えられています。日本でもたくさんの外国人が生活しており、さまざまな役割を果たしています。コロナ禍の中でのそうした人々の暮らしについては、別の機会に論じることにします。



収束の見えないCOVID-19


2020年末、欧米諸国でワクチンの接種が開始されました。12月26日、ドイツ東部のハルバーシュタットの高齢者施設で101歳の女性入居者がまず接種を受け、ドイツの第1号接種者になりました。翌日の27日から巡回接種チームが各地の高齢者施設を訪れ、入居者や介護職員への接種を開始しました(「EUワクチン接種開始」『毎日新聞』2020年12月29日、朝刊、4面)。


この文章を書くために資料を読み返してみると、2020年末の新聞記事は日本も含め世界で感染が拡大し、日本では外国人の入国を停止したことを伝えていました。変異ウイルスの登場による水際検疫への強化で、2020年12月28日から原則として全ての地域からの新規入国を拒否し、日本国籍や在留資格を持つ者への待機期間(14日間)の緩和の停止、入国の際に検査を実施し、検査証明を提出できない者に対しては14日間の待機を求めることとしました(「新規入国全面停止」『毎日新聞』2020年12月27日、朝刊、1面)。2021年末の状況はデジャブ(既視感)のあるものだったのです。


2020年はCOVID-19のパンデミックによって翻弄された1年でした。この1年をどのように理解すべきなのか。あくまでも中間的なものですが、中国にはじまったCOVID-19のパンデミックへの対応では、1年間を通じて全てうまくいった国(地域)はなかったと思います。新興感染症として病気の性格も不明であり、適切な対策を模索した1年でした。ゲノム解析などの手法を駆使した調査研究の進展によって、ウイルスやその感染のメカニズムも非常に短い時間で解明が進みました。従来とは異なったワクチンの開発方法(RNAワクチン)も登場しました。接種にいたるまでのスピード感は従来の常識をはるかに凌駕するものでした。しかし、対策の原則は、ウイルスとの距離をどうするか、つまり、With COVIDとZero COVIDのどこかに位置するものであり、科学に一定の根拠をおきながらも、実際の場面では、対策の実効性を担保するために、社会や国家、総じていえば文化と取引をしなければなりませんでした。


日本でも再び感染の拡大が顕著となり、年がかわって2021年1月初め、ついに第2回目の緊急事態宣言が発出されました。その後、緊急事態宣言が解除される時間がほとんどないまま、1年延期となっていた東京オリンピックとパラリンピックが8月から開催されました。その時期の感染は深刻で、一部の地域では医療ひっ迫が起こり、多くの患者が入院できず、医療を受けられないまま亡くなる方もでました。2021年には、日本でもワクチンの接種が開始されましたが、紆余曲折をともなうものでした。


1年前の様相を現在から振り返るのがこの連載の目的です。歴史は、E. H. カーが言うように「過去と現在の対話」ですから、現在の状況をもとに過去を理解する試みが必要になります。収束が見えない中では、2021年の状況を振り返ることもまた難しいのですが、もうすこし連載を続けるつもりです。


この原稿は、2021年12月末から2022年の初めに書きました。本来は、12月中にアップロードする約束でしたが、授業と甲府や宇都宮への出張(感染がある程度抑制されていたため、しかし、外国でないのがこれまでとはだいぶ異なります)もあって、仕上げることが出来ませんでした。この文章は2022年の新年のアップロードです。冒頭に書いたように、オミクロン株の登場によって収束の展望も不透明になっていますが、2022年がCOVID-19の収束に近づく年となることを皆さんとともに切に願っています。


(つづく)



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飯島渉(いいじま わたる)

1960年生まれ。青山学院大学文学部教授。「感染症の歴史学」を専門とし、東アジアのペスト史やマラリア史を研究してきた。『感染症の中国史』(中公新書、2009年)、『高まる生活リスク――社会保障と医療』(共著、中国的問題群、岩波書店、2010年)、『感染症と私たちの歴史・これから』(清水書院、2018年)など。長崎大学熱帯医学研究所客員教授、獨協医科大学特任教授、目黒寄生虫館理事。感染症対策の資料を整理・保存する「感染症アーカイブズ」(https://aidh.jp/)の代表もつとめている。


次回の更新は2022年4月の予定です



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