• 岩波新書編集部

在野に学問あり 第4回 辻田真佐憲さん


記事執筆:山本ぽてと



この連載は、在野で学問に関わる人びとを応援するものだ。


第1回は荒木優太さん、第2回は吉川浩満さん・山本貴光さん、第3回は逆卷しとねさんにお話をうかがった。第3回の更新が2019年の5月、おおよそ10か月ほど間が空いてしまった。


その間に荒木優太さんの編著『在野研究ビギナーズ』(明石書店)が刊行され、大ヒット。関連するイベントに何度か足を運んだが、質疑応答の時間も活発で、在野研究への注目度の高さがうかがえた。


まさに「在野に学問あり」を更新する、千載一遇のチャンスであったが、ぼんやりしている間に時間が経ってしまった。その間、韓国に行ったりしていました(特別寄稿:韓国第三の都市、大邱でふれる文学)。


第4回は、歴史と在野をテーマに、辻田真佐憲さんにお話を聞く。辻田さんは『天皇のお言葉』『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)など、近現代史を中心とした著作を多く出している。


父が平家の残党を調べる在野研究者になろうとしている私にとって、在野で歴史をどのように研究するのかは、最も気になるテーマである。


取材は、東陽町の喫茶店で行った。


「東陽町は全体的に道が広いですね」


と私が間抜けな感想を言うと、


「この辺りは、関東大震災や東京大空襲後に整理されましたから」


と教えてもらった。辻田さんはグレーのスーツをピシッと着こなしている。


辻田真佐憲 1984年、大阪府生まれ。作家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員

◇時流と関わりのある仕事


――今度、新刊を出されるんですよね。どんな本なのでしょうか?


3月末から始まるNHKの連続テレビ小説「エール」主人公のモデル、作曲家の古関裕而に関する本です。福島の古関裕而記念館に行ったり、日本コロムビアのアーカイブで資料を見たり、ご令息にインタビューをしたりして、評伝を書きました。


――朝ドラの主人公ですね。古関さんはどういうパーソナリティの方なんですか?


音楽家は尖っている人が多いですが、穏やかな性格の人だったようです。ただ、オタク気質と言いますか、自分のやりたいことは譲らない人で、実家の稼業が傾いた時も、ぜんぜん家の手伝いをせずに音楽活動を続けた。好きなことに一直線な人ですね。


――古関さんは軍歌をつくっていたんですよね。


本人は無思想で、頼まれたらなんでもやっていました。軍歌もつくっているし、戦後に「ひめゆりの塔」という歌もつくっている。映画も舞台も、会社の社歌もなんでもありで、労働組合の歌も、宗教団体の歌もつくっている。阪神の「六甲おろし」も、巨人の「闘魂こめて」もつくっています。


新刊『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』

――辻田さんは、軍歌や大本営発表、プロパガンダ、天皇の言葉など、様々なテーマで本を書かれていますが、研究のご専門はなんでしょうか?


研究……というより、私はジャーナリズム系の書き手だと考えています。歴史へのアプローチには、昔からジャーナリズムとアカデミズムのふたつがありました。そして今は歴史の著作が多いですが、別に歴史に限定する気もない。そのことは逆に強みだと思っています。アカデミズムの中にいる人は、自分の専門から出るのが難しいですから。今は歴史に興味があるし、需要もあるので、その意味では「歴史」ということになるかもしれません。


――大学では歴史を研究されていたのですか?


いえ、文学部出身ですが、哲学専攻でした。大学院にも進みましたが、経済的に厳しそうですし、ひとつのことを追求するのは合わないと思って辞めました。次に公務員になりますが、経済的には安定しましたけれども、大きな組織で働くのも合わないと思って、その時に最初の本が出て、貯えがあったこともあり辞めました。ですから、アカデミズムの世界にも多少いましたし、社会人もやっている。色々やってみた結果、今の生活が一番合っていると思います。


――1冊目の本のテーマはなんですか?


2011年に『世界軍歌全集: 歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代』を出しました。もともとホームページで軍歌のサイト(「西洋軍歌蒐集館」)をやっており、趣味と外国語の勉強をかねて、様々な国の軍歌を翻訳していたんです。


そのサイトを見た編集者から依頼が来て、本になりました。もともと、本を書きたい欲求はあったのですが、たまたま最初に出した本が軍歌だったことが今を規定していると思います。その後、日本の軍歌や「君が代」の本を書き、プロパガンダの本を書きました。


これも偶然ですが、安倍政権の時代に重なったのも大きいでしょう。世界的にも、政治と音楽の関係が話題になっていたときでした。時代の状況と自分の興味関心が合致した結果、このようなテーマに流れついた。私の仕事は、時流と深い関わりがあると思っています。


――かなり幅広いテーマなのは、時代によって変化してきたからだと。


今の時代とどう結びついているのかを考えると、ジャーナリスティックなものを書くことになります。テーマが幅広いのは、自分が様々なジャンルの本を読んできた経験が生きているのもあるでしょう。読書の方法が雑食的なんです。例えば、私は学生時代、全集の後ろの方の巻をよく読んでいました。


――後ろの方の巻ですか?


はい。例えば、北原白秋の全集があったら、最初の巻の方は有名な詩が載っていますよね。でも後ろの方を読むと、軍歌ばかり載っている巻があったりします。私は詩や小説が好きなのですが、特に戦時中にその内容が変化することにも面白さを感じていました。学校では白秋のきれいな詩は教えてもらえるけれども、彼が戦時中になにを書いたのかを読むと、教科書的な知識とは違う世界が広がっている。


そうした蓄積がうまく時代とマッチしたと思っています。時代が違ったら本を書いていないかもしれないし、別の時代だったらもっと別の本を書いていたかもしれません。


辻田さんの著作。左から『世界軍歌全集』(社会評論社)、『ふしぎな君が代』(幻冬舎新書)、『たのしいプロパガンダ』(イーストプレス)

◇徹底した管理


――歴史を扱う場合、資料は膨大だと思うのですが、どのような方法で管理されていますか。


段ボールなどに山積みにする人もいるようですが、私は全部ファイリングし、ラベルをつけてすぐ引き出せるようにしています。公務員をしていた時の経験が役に立っていているかもしれませんね。文書管理の仕事も少ししていましたし。


公文書を扱っていると、「3年前の資料を探してこい」などと言われることがあります。それでも探し出せるのは文書を規則的に保存しているからです。ファイルにはすべて名前とタグがついており、文書には数字が振ってある。


翻って古関裕而の資料を集める場合、国会図書館や福島の資料館などでコピーを取るのですが、数百、数千ページの資料をそのまま置いていたら、どこかに行ってしまうかもしれない。だからパンチで全部穴をあけて、ラベルをつけて整理しています。


使っているのは、PLUSというメーカーのA4サイズのファイルです。150から200枚くらい入ります。500枚ほど入るものもありますが、あまり大きいと重いですし、細かく管理できなくなります。今回は、1章に使った資料、2章に使った資料と、章ごとにファイルを分けて管理しました。


国会図書館の資料については、遠隔複写も利用しています。1週間ほどかかるので、仕事の依頼が来たらすぐに頼んでおくなど、締め切りと調整する必要がありますが。とはいえ、実際に行かなくて済み時間の節約になるのは大助かりです。


・遠隔複写サービス(国立国会図書館HP)

https://www.ndl.go.jp/jp/copy/remote/index.html


――本も膨大だと思うのですが、どうやって管理していますか。


基本的には、本棚ごとに管理しています。この棚は軍歌の棚、プロパガンダの棚と分けている。原稿を書く机に一番近いところに、現在書いている本の棚を置いています。そのテーマが終わったら、別の本棚にうつします。そうしないと、管理できなくなってしまうので。


適当に床に積むと探しづらくなって非効率です。本棚に本を二重に置くこともしていません。奥行きのない薄い本棚にしています。とにかく、すぐ出せるようにしておく。紙の管理でも徹底しています。


――きちんと管理されているんですね。


歴史系の書き手だからか、公文書管理の仕事をしていたからなのかはわかりませんが、ちゃんと管理をしなければいけない意識が強いです。


――電子との付き合い方はどうでしょうか。


短い文章の校正などはiPadとApple Pencilを使っています。


資料の管理はクラウドサービスを利用しています。今回の古関裕而の本の場合だと、レコードの資料が膨大にありました。全部印刷してられないので、写真を撮り、Googleドライブのフォルダーを利用して名前ごとに保存しています。資料なども撮影して、同じように入れて管理しています。

Googleドライブはきちんと分類されている

そうすると、校閲の時に楽なんです。校閲する方に、このファイルをそのまま共有したらいい。マニアックな資料の場合、国会図書館などにも所蔵していないので校閲の方も確認できませんが、このファイルを共有しておくと全部チェックしてもらえます。


Googleマップも活用しています。Googleマップには、マイマップという機能があり、取材に行くときは、あらかじめ目的地をマッピングしています。現地で迷いません。夜に飲む場所なんかも入れておきますね(笑)。


この機能は、古関裕而の本でも活躍しました。彼は戦中、ビルマへ慰問に行っているのですが、自伝に基づいてマッピングすると、別の資料と合わないことがある。晩年の著作なので、本人の記憶が時々間違っているんです。ビルマの聞いたことのない地名だからこれまでスルーされていたけれど、実際の地図を使うと、こうした間違いに気づくやすくなるというわけです。


Googleマップで古関の足取りをマッピング

――Googleマップにそんな活用法があるんですね。電子書籍などは使っていますか?


資料は並べて見たいので、紙と電子があれば、紙を買います。紙の資料には付箋やドッグイヤーをつけて、何ページにどんなことがあったのが裏側に書くようにしています。中学生からの習慣です。そうしたものがどんどん溜まっていき、それ自体が自分専用の資料集になっていく。洋書などは電子で買うこともあります。検索出来るのが便利なので。


最近はCiNiiでかなりの論文がダウンロードできるので、PDFでダウンロードして、Googleドライブ、あるいはiCloudに入れて読んだりもします。電子でも書き込みがしたいので、Apple Pencilを利用して線を引きます。昔は全部印刷していたのですが、iPadが便利なので、全部が全部コピーをする必要はなくなってきました。何回も参照するものだけ印刷しています。


また、本を書く時にはExcelも使っています。例えば、何月何日に生まれて、何年にどんな曲をだしたのか、その根拠はどの資料なのか、それぞれ記します。これも校閲の時点で役に立ちます。


――勉強になります。


他の人がどう書いているのかはわかりませんけれど……。


――検索機能はどのように使っていますか。


Googleは仕事中には、基本的に使いません。ジャパンナレッジを利用します。


ネットで使うならコトバンクですね。オーソライズされたものを使います。Wikipediaは使いません。プライベートでお寿司とか食べるときに魚を検索したりはしますよ。Wikipediaにはちゃんとした記事もあるのかもしれませんが、たまたま見たときにイタズラされて書き換えられているかもしれないので、仕事では使いません。私が関心のあるテーマの記事は特に内容が古く、間違っていることも多いですし。


ただ最近の出来事だと、辞書は時間がかかって反映されていないこともあります。その場合は複数の新聞社のサイトをみます。G-Searchという様々な新聞を検索できるサイトも利用しています。



◇アウトプットが100ならインプットは500


――どのように一日を過ごしていますか? 仕事をする日や時間や場所などは決めていますか?


朝の4時くらいに寝て、昼ごろ起きます。普通の人とはずれていますが、ある意味では規則正しいです。作業は基本的に家でしています。喫茶店で書く人もいるようですが、私の場合、資料を見ないと書けないので自宅です。


もちろん、ずっと家にいると疲れるので、何日かに一回は外出日をつくっています。その日に、美術館にいって、映画館にいって……と全部やる。


――詰め込むんですね。


そうですね。まとめたほうが時間を節約できる。上野に行ったら、美術館・博物館は一通り回る的な。本屋もいろいろ周る。そして外出日は、あまり近くのものを見ないようにして目を休める。そんな日を2週間に1、2回つくっています。


仕事をするとアウトプットが増えます。よく言われることですが、アウトプットが100ならインプットは500くらいしないとネタ切れになる。忙しくてもいろんな物を吸収するようにしています。自分に関係が無いと思っても、いつ何の役に立つのかわからないので。


――以前、山本貴光さんがこのインタビューで「家にいる日でも、外出するのと同じように着替えて仕事をする」とおっしゃっていましたが、そうしたルーティンはありますか?


服は適当です。仕事で人と会うときはジャケットですが、部屋で着るものは防寒できればいいので穴とか空いていたりします。あとは、コンビニなどに珈琲を買いに行くくらいかな。


あとSNSをあまり見ないようにすること。これは大切です。時間が溶けるので。だから最近はすぐクリックできないところにアイコンを置いています。宣伝などのためには必要ですが、「使われ」ないようにしないといけない。つまり、反応が気になって、ずっと貼り付いているようではいけない。われわれフリーは時間が自由な分、SNSとの距離の取り方は思案のしどころだと思います。


――では、最近は自分の宣伝しか呟かないんですか?


宣伝ばかりだと白けるので、合間にどうでもいい話もしますが、原則としてはそうです。告知する時間は、社会人の昼休みと退勤時間にしています。本当は朝の出勤中の時間がアクセス的には良いようですが、その時間は起きていないので。


仕事は眠くなるまでやっています。趣味みたいなものですしね。やらないと仕事が溜っていくだけなので、つまったら別のものをやるなど、常になにかに取り組みようにしています。


辻田真佐憲公式サイトでは、講演会チラシ用のプロフィール画像も用意されている。無駄がない。

◇「トンデモ」から距離をとるためには


――この連載は「在野に学問あり」というタイトルなのですが、「在野」という言葉について辻田さんはどう捉えていますか。


ひと昔前までは、ジャーナリズムの観点で歴史に取り組んでいる人はいま以上に沢山いましたし、そういった方を在野だと言うこともできる。私もその系譜に乗っています。


非アカデミズムとしての「在野」がフォーカスされるようになってきている背景には、時代の状況もあると考えています。90年代に大学院が拡大し、ゼロ年代に雑誌が衰退し、これまでのアカデミズムとジャーナリズムの関係性が変わり、大学院を出ても就職できない人が溢れる一方で、雑誌がなくなることにより書き手もあぶれてしまった。結果、パイの取り合いのようになっている。これは日本社会のあらゆるところで起こっていることと似ています。「あいつらがいるから、こっちの生活が厳しい」的な……。それはともかく、研究者の就職難により、「在野」が逆に注目されている面もある。


私個人としては、アカデミズムとジャーナリズムを対立するように捉えるのは良くないと思っています。両者が適切なコミュニケーションを取っている状況が健全です。


地域で活動する郷土史家の方は非常に大切でしょう。古関裕而だって、朝ドラが始まる今だから注目をされていますが、それまではあまり調べられてこなかった。地元福島の高校教諭が様々な証言や資料を集めてくださっていたからこそ、若い頃の古関の歩みが分かっているわけです。


――在野だと軍歌のようなテーマが書きやすいことはあるのでしょうか?


というよりも、近代日本音楽史は正直ポストが少ない。思い切って、ジャーナリズム系の仕事をやってもいいと思います。一般向けの本を書くなんて研究を捨てた、なんて陰口を叩く人もいるかもしれませんが。


ポストを取りにくいマニアックな分野だからこそ、ジャーナリズム系の仕事に打って出るような相互の交流があってもいいのではないか。音楽史は比較的そういうところがありますね。また、薄給な非常勤講師のコマを無理して増やすより、原稿料を稼いだほうが研究時間を確保できるところもある。


――これが一番お聞きしたいことなのですが、在野で歴史研究をするうえで、どうやったら「トンデモ」から距離を取れると思いますか。例えば、アカデミズムの世界にいたら学会などでそれなりに議論があるので、トンデモには行きづらいと思うのですが。


学会は在野でも入れますし、私も入っています。たしかに、そういう場所でコミュニケーションを取るのは重要です。それに加え、意外と飲み会というか、雑談が重要なんですよね。「最近あの人どうなの」って情報がヒントになったりする。


表面で論争しているように見えても、人間関係が悪いだけのこともあります。これは何もアカデミズムだけの話ではなくて、どこにでもある話です。内情を知らないと真に受けてしまうので、そういう情報を得るのは重要です。


あとは、論文を読む。特に最近の本を読むこと。読んでおくとそんなにトンデモにはならないと思うんですけどね。またいろんな古典を読むことも大切です。


本を書くなら、関係書籍を100冊くらいは最低でも読まないといけないと思いますよ。それでも全然少ないですが、それだけあればデタラメな本だけで埋めることはできないので、まともな情報にも接することができる。明治維新に興味があるなら、明治維新の本を1日1冊読んでいれば、ある程度のところにたどり着くと思いますけどね。


これは冗談めいた話ですが、本を開いた瞬間にわかることもある。トンデモ本は文字が異様に大きく、明らかに異質。要は高齢者向けに特化しているわけです。右翼ビジネス系だと、版元でわかったりもする。色々と読んでみることに、尽きるのではないでしょうか。


ただ、一番重要なのは、「これ」という指標をつくらないこと。詐欺師はそこを狙ってくる。結局は、日々判断をして、感性を研ぎ澄ましていくしかない。読んだり考えたり、コミュニケーションを取る中で、自分なりの判断基準を養っていくこと。これしかないんじゃないでしょうか。


――人間関係と、本をたくさん読むことが重要だと。地道な方法ですね。


まぁ、でも基本的には何を書いても言っても自由だとは思っています。人間は自由ですから。自分自身を振り返ったとき、デタラメな部分もあるし、ちゃんとしている部分もある。それも込みで人間です。誰にも寿命があるわけで、デタラメを完全に除去するのは無理だと思います。あまり神経質になるのもどうでしょうか。


極論ですが、デタラメな本を書いている人がいてもいいんじゃないですか。もちろんヘイトは困りますけれど、それが社会の中心に迫り出してこなければいい。道徳の教科書みたいなものだけ出版されても仕方ないですし。その中間くらいのモヤモヤしたものが、人間の文化でしょう。完璧を追求するよりも、いい加減さとうまく付き合っていくことのほうがいい。言い換えれば、「だいたいこんなものだろう」のクオリティを上げていくのが大事だと思います。


――「だいたいこんなものだろう」のクオリティを上げる?


選挙だってそうですよね。あらゆる問題を完璧にわかって投票している人は誰もいない。でも「だいたいこんなものだろう」と思って投票しているわけです。かといって、すごくデタラメな人が出たらマズい。「だいたい」にもクオリティが必要です。最近評判がよくないようですが、評論家の任務はまさにそこにあると思います。


例えば、あるジャーナリストがテレビで解説したことが間違っていたとする。専門家は、それを批判するわけですよね。それはいいとして、じゃあ、その人を降ろしたとして、解説者のポジションはなくならないでしょう。単に叩き潰すだけでは、「だいたい」の席に座るのはデタラメでヘイトなことを言う人に乗っ取られるリスクがある。


「だいたい」の席に座る人は、不完全なわれわれの世界に必要なのです。テーマごとにそれぞれの専門家を配置すればすべてバラ色なんていうのは、共産主義並の理想論ですよ。優良な評論家を持つことも、われわれの社会にとって必要です。


間違いを指摘することは大切ですが、間違えているからといってジャーナリストや評論家をSNSでクソミソに叩けばいいわけじゃない。専門家の指摘が、「だいたいこんなものだろう」のクオリティを上げるために使われる、そんな正のフィードバックがあればいいんじゃないでしょうか。歴史でいえば、アカデミズムとジャーナリズムの協働ですね。




◇実証と物語のあいだに


――辻田さんの立場だからこそ、書けるものはあると思いますか。


アカデミズムとジャーナリズム、別の言い方をすれば、実証と物語の中間を模索することではないでしょうか。今日では、対立的に捉えられていますが。


――実証と物語の中間ですか。


はい。こんな数字があります。平成30年度の「国語に関する世論調査」を見ると、約85%の人が1か月に本を0~2冊しか読んでいない。良く見積もっても、1年間に24冊。その中で、近代史の本を読むなんて、せいぜい1、2冊でしょう。


そんななかで、テーマごとに分かれている本をあれもこれも読めといっても現実的ではありません。そういうマッチョイズムは、かえってデタラメな本の需要を高めかねない。

私は時々シンポジウムや座談会に呼ばれます。そこで、歴史修正主義やヘイトスピーチとどう対峙するのかが問題になる。アカデミズムの人は「学知が大切」だという。それはまったくそのとおりだと思います。


とはいえ、それで歴史修正主義は全然改善されていないという問題がある。ではどうしたらいいのか。私は「在野枠」として、「物語をもっと活用しては」と最近言うようにしています。学知と一般読者をなめらかに接続すること。優良な物語を歴史修正主義への防波堤、安全装置として用いること。これは在野の、ジャーナリズム系の書き手が得意とするところです。


古関裕而の像 辻田さんTwitterより(https://twitter.com/reichsneet/status/1229967296770134016)

◇日本の「黄金時代」を知る


――最後に、最近のお仕事である古関裕而の本について、詳しく教えてください。


彼は明治に生まれ、大正で育ち、昭和のほぼ全般で活躍し、平成元年に亡くなりました。つまり、昭和のほぼ全般にわたって仕事をしている人です。


昭和は、日本においてある意味で「黄金時代」だと思います。経済的にも軍事的にも、あれだけ世界に影響を与えた時代はほかにないし、たぶん今後もない。スペインにおける無敵艦隊が活躍した時代、イギリスにおけるビクトリア朝の時代のようなものです。どこの国にもある「特別な時代」。昭和はこれからも日本が一番良かった時代、あるいは一番悪さをした時代として参照され続ける。


だからこそ、「これ一冊」みたいな本が必要なのですが、研究が深化したので、なかなか難しい現実がある。そこで古関裕而の出番です。古関は時代の鏡のような人です。ですから古関を通じて、昭和史を知ることができる。そして良いも悪いも昭和史を知ることが、結果的に浅薄な「日本スゴイ」の抑制につながる。そんな問題意識をもって書きました。


これは、評伝をないがしろにしたということではありません。新発見資料を用いるなど調査にも自信があります。ただ、評伝や音楽史にはこういう裏テーマを設定できるほどまだ余裕があるということです。つまり、実証と物語の中間。言うは易く行うは難しですが、これは私なりの実践だと言ってもいいでしょう。


愛用するiPadと

〈辻田真佐憲の研究術〉

  • 資料はファイリングしラベルをつけ、本はテーマ別に並べ、すぐに取り出せるように管理する。

  • クラウドサービスや、Googleマップなどのテクノロジーを活用する。

  • アウトプットが100ならインプットは500! 自分に関係がないと思っても、なんでも観たり聞いたり読んだりする。

  • アカデミズムの知と物語を結びつけるようなものを目指す。



◇追記


きちんとした辻田さんの仕事との向き合い方に感銘を受け、私もきちんとした仕事をしようと心に誓ってインタビューを終えた。挨拶をして帰ろうとしたら、財布を忘れたことに気づいた。コーヒー代2人分である1000円を辻田さんに立て替えていただいた。あまりの情けなさに、落ち込んで帰った。本当にすみませんでした。ありがとうございます。必ずお返しします。



●記事執筆者

山本ぽてと(やまもと ぽてと)

1991年、沖縄県生まれ。早稲田大学卒業後、株式会社シノドスに入社。退社後、フリーライターとして活動中。構成を担当した本に『経済学講義』(飯田泰之・ちくま新書)、『憲法問答』(橋下徹、木村草太・徳間書店)、『16歳のデモクラシー』(佐藤優・晶文社)など。「STUDIO VOICE」 vol.415「We all have Art. 次代のアジアへ――明滅する芸術(アーツ)」では韓国文学の特集を担当。B面の岩波新書で「在野に学問あり」、BLOGOSにて「スポーツぎらい」を連載中。


*連載「在野に学問あり」

第0回 「はじめに」に代えて父への手紙

第1回 荒木優太

第2回 山本貴光・吉川浩満

第3回 逆卷しとね

B面の岩波新書

2018年1月19日 配信開始

発行人 永沼浩一

発行元 岩波新書編集部

〒101-8002 東京都千代田区一ツ橋2-5-5

製作 WixerDesign

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