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執筆者の写真岩波新書編集部

在野に学問あり 第5回 工藤郁子さん

更新日:2021年9月27日

記事執筆:山本ぽてと




◇はじめに


この連載は、在野で学問に関わる人びとを応援するものだ。


第5回の今回は、特別編である。


第1回にご登場いただいた荒木優太さんが編著『在野研究ビギナーズ』(明石書店)を刊行した。現役の在野研究者たちが、自身の研究のノウハウをつづった本で、2020年の紀伊国屋じんぶん大賞で3位にランクインするなど話題を呼んだ。


この人気にぜひともあやかりたいと、『在野研究ビギナーズ』と本連載「在野に学問あり」のコラボ企画としてYoutube動画「在野研究者に聞いてみた!」を作成した。ご登場いただいたのは、本の中でも人気の高いエッセイ「趣味と研究」(第2章)を書いた工藤郁子さんだ。荒木優太さんと、私が聞き手になりお話をうかがった。

(動画の様子。荒木優太さんのYouTubeチャンネル「新書よりも論文を読め」にて。荒木さんは岩波新書から『有島武郎――地人論の最果てへ』を絶賛発売中。2020年7月、岩波新書会議室にて撮影)



本記事はこの動画と、工藤さんの追加インビューをもとに作成している。動画の方では、研究のノウハウのみならず、『在野研究ビギナーズ』執筆の裏話や、おススメ法学本の紹介など、バラエティ豊かに展開しているので、両方楽しんでもらえたら嬉しい。


さて、工藤さんは「港区OL」をしながら、法学の研究をしている。働きながら研究をしたい人にとって、参考になる話が聞けるはずだ。


(工藤郁子(くどう・ふみこ)世界経済フォーラム第四次産業革命日本センタープロジェクト戦略責任者、東京大学未来ビジョン研究センター客員研究員、大阪大学社会技術共創研究センター招へい教員。1985 年生まれ。専門は情報法政策。共著に、『AIと憲法』(日本経済新聞出版社)、『ロボット・AIと法』有斐閣、『在野研究ビギナーズ』(明石書店)など。果物とカレーが好き。撮影:iPhone)




◇研究に時間が取れないなら


――どのような研究をしていますか。


情報法政策が専門です。少し前までは、オンライン・キャンペーンや、SNSと法について、最近はAI・ロボットと法の関係を研究しています。


関心があるのは、意思決定です。例えば、キャンペーンについて興味を持ったのも、意思決定者――マーケティングの場合は消費者、政策の場合は有権者、議員、官僚の方ですね――に働きかけ、どのような影響を与えるのかについて関心があったためです。


AIに興味を持ったのも、人間の判断をアシストしてくれるAIという存在が、人間の意思決定とどのように関係するのか知りたいからです。


――工藤さんの関心はかなり分野横断的ですよね。


そうかもしれません。法学は、自律できる近代的な個人が自由意思を持っていることを前提としています。それは、擬制や範型であり、ある種の「フィクション」です。でもそのフィクションがなぜ必要で、どういう機能を果たしてきたのか。これから、どのような部分が変化していくのだろうか。そういうことを考えるのが楽しいんですよ。


――分野横断的な関心がある工藤さんが、その中でも専門として法学を選んだのはなぜですか?


大学受験で進路選択をする際、哲学や文学も好きだったんですが、私はそもそもの前提に遡ってしまいがちで、歯止めがかかったほうがいいかなと思い、法学にしました。法学の場合は、条文や判例があるので、遡るのを止めてくれそうだなと。実際にやってみたら、全然そんなことなかったんですけど(笑)。


――もともと研究者になりたい気持ちはありましたか?


いえ、研究者志望ではなく、企業に就職するか弁護士になろうと思ってました。でも大学生の時にレポートを書いてみたら、研究も面白そうだなと思って。法学では、弁護士をしながら論文を発表される方もいるので、専業研究者でなくても研究ができるかなと。研究は続けるかもしれないけれど、研究者以外の仕事につきたいとは思っていましたね。


当時、法科大学院の立ち上げで先生たちが忙しくしているのを見ていたこともありました。大学で働いても思うように研究時間が取れないなら、教育や学務をするよりも他の業務をした方が私には向いてるなと。


――お仕事と研究が今の形になるまでには、試行錯誤があったようですね。


当初は、仕事と、趣味としての研究とをかなり明確に分けていたのですが、それでは限界があった。仕事も研究も一緒にした方が、シナジーが生じるなと思い、何度か転職をしました。


今の仕事では、研究者の先生方の意見を聞いて政策提言したり、研究会を構成したりしています。政策のもとになるような課題の発見もあり、私にとってはいい環境です。私の場合は、自分の関心分野にひきつけた職に就くほうが、いい仕事ができると思ってます。



◇「へぇ、こんな成分入っているんだ」


――資料はどのように集めていますか?


基本的に、カネで解決しています(笑)。ひたすら本を買っていますね。私は本を買ったり美味しいご飯を食べたりするために仕事をしているので。本を買うことは喜びです。置き場所は切迫していますけど。



なるべく、電子版で読んでます。私が専門としている情報法政策の分野は、新しい政策の文書を対象にすることが多いので、オンラインで完結しやすいです。特にAIや機械学習の分野は、デジタルアーカイブが発達しています。図書館からは若干、足が遠のいていますね。でも研究上で引用したい文献は、紙で読んでいます。


――基本的にはオンラインで完結しているんですね。狭い意味での「専門」とは関係ない本まで読んでいるのはなぜなのでしょうか。


私は本を買うことが喜びなので、むしろ目的が逆です。本を買って積んでおく、そしてたまに読むというのが、幸せなので。研究は、人から原稿を依頼されたり、自分で気がついてしまったことがあるので、仕方なくやっているところがあります。


もし主客の転倒のように見えるなら、もう少し視野を広げた方が幸せになれるかもしれません。この連載のはじめで示された問題意識からすると(在野に学問あり 第0回 「はじめに」に代えて父への手紙)、「トンデモ」と適度な距離を保ちつつ、学問とともに楽しく過ごす方法を探していらっしゃるのだと思います。そうした知的営為は多様であるはずで、研究活動のみを範型にすると、たぶんいろいろ見誤ります。


『在野研究ビギナーズ』共著者の一人である酒井泰斗さんも、研究活動や研究生産物との付き合い方は複数ありうると仰っていて、「学術書を生活の中で・仕事の傍らで読んでる人が『そういうのについて話せる友達がほしい』とか『もうちょっと深く読みたい』とかいった希望を持った場合には、それを『研究』によって実現する必要はぜんぜんないはずだ」と指摘されていますが(『在野研究ビギナーズ』から考える 公式読書会 第3回)、全く同感です。


――ちなみに、本が好きになったきっかけはあるんですか?


物心ついたら本が好きで、というか文字を追うのが好き。あまり文字がないと、ラベルに書いてある文字とか、読みだしちゃったりするんで。へぇ、こんな成分入っているんだって(笑)。


――生粋ですね(笑)。膨大な資料はどのように管理しているのでしょう。


前回の辻田さんの記事を拝読して、すばらしいな、やはり公文書管理をしていた人は違うなと思いました。感動しているところからわかるように、私は適当です。研究したり論文を読みなおしたりすると、最新の文献が物理的に一番手前にくるようにしていて。地層みたいになっていますね。なんとなくあの辺にあのテーマの本があるということは覚えている。その程度です。


デジタルでは、検索可能な形式にしています。日付、著者名、論文タイトル、収録されている書籍名など、タイトルはちゃんと付けます。


情報法政策の関連文書はとにかく大量です。たくさん集めて、その中で読むべきものをピックアップするのが重要。ですから本を買ったら、まずは目次だけ読むようにしています。そうすると、なにが書いてあるのか、面白そうかどうかはわかる。


――なるほど、目次だけは読む。


多めに買って、目次だけは読み、読めないなら積読していく。とはいえ、知らぬ間に読み込んでしまって、気づいたら3時間くらいたっちゃうこともあります(笑)。


――工藤さんは、SNS上の言説も分析対象とされていますが、そのようなネガティブな言説を読む中で拒否反応はありませんか。


まず分析対象は、「別物」なんですよね。少し距離があるのであまりそういう思いはありません。ただ、「在野研究ビギナーズ」に対する感想の分析など、自分に近いコンテンツを調べるときは、傷ついたりすることもあります。


でも、攻撃されると、よっしゃー来た! みたいな気持ちになって、わくわくしちゃうんですよね。逆に嬉しい。


――すごい。


否定的なコメントや的外れな反応も面白いですね。なぜ的外れなのか、どのような点がすれ違っているのか、分析するのも楽しいです。


例えば、在野研究ビギナーズ関連で「現代ビジネス」に寄稿したのですが(「推し研究者」「推し学者」をつくったら、人生がときめいた話)、その際にたくさんコメントや反応をいただきました。それらに応答し、分析した内容をまとめています(「「推し研究者」記事(2019年9月16日)について」)。


そこでわかったことは、「研究」や「学問」のイメージが多義的ということです。ときとして、研究者自身ですら、自分たちが実際にはどのように仕事を進めているのかについて、認識や理解をしていないようなコメントも見受けられました。


例えば、「研究成果を属人的に判断するのは良いことではない」というような規範的言明は、論文の査読では匿名性を担保するけれど掲載時には著者名を公表するとか、人事判断では研究業績が参照される、といった実践との関係を、あまり整理しないまま、コメントしているようでした。SNSの投稿だからかもしれませんが。


「研究をどういう営みとして捉えているか、または、何が死角に入っているか」という研究者の認識は、その成果物である論文や討議にかなり影響を与えているはずです。なので、とても面白いと感じました。


ちなみに、元になった「推し研究者」記事は、「在野研究」への注目が、公的な研究助成の縮小につながってしまわないように、あらかじめ論陣を張っておきたい気持ちが中核になっています。「なぜ研究費を税金で賄うのか」「資金の配分は適切か」という疑問が、納税者の間で膨らんできた時に、どう答えるのかという話でもあります。




◇音声認識の活用


――論文などを書く時間の確保はどうしていますか。


私の仕事は労働集約型で、時間をかければかけるほど、クオリティが上がります。稼業の時間が増えがちなので、基本的には論文を書く時間はないんです。ただ、『できる研究者の論文生産術』(ポール・J. シルヴィア、訳:高橋さきの)という本に書いてありますが、「時間がない」という言い訳はおかしいそうです。執筆時間はあらかじめ割り振っておくものだといいます。厳しいですが、金言ですね。


私の場合は執筆時間ではなく、研究の中間報告の日時を無理やりスケジュールに入れます。何もしていなければ報告できず、人に迷惑をかけてしまいます。強制力が働き、進められる。アウトプットの予定から先に決め、逆算してやっています。それとは別に本は好きなので暇があれば読みます。


――研究の進捗のための報告会をされている?


はい。もともとは学生時代に博論や修論が書けない人たちが集まって、つらいつらいと言いながら、ゼミというかグループセラピーをやってました。今はメンバーが地方の大学に就職するなど、場所と時間が制約されてきたので、ZOOMで互助会を開いたりする。


研究者にならなかった友達とも読書会をしたりしているので、研究仲間とは限らないコミュニティかもしれませんね。


――研究や執筆をするための場所のこだわりはありますか。


こだわりはすごい持ちたいですし、なるべく家でやりたいのですが、不如意なことも多いので、どこでもできる状態にするのを目標にしています。例えば、タクシーの中。Googleドライブを使い、iPhoneの音声認識で吹き込みます。音声認識なので、もちろんテキストに変な部分もありますが、あとでパソコンから文章を校正する。このように、どこでも、どんなデバイスからでも執筆できる状態にしています。


時間がないときは、音声認識で喋りながら、その場でキーボードを使い、直しています。もちろん思考が垂れ流しになるので、あまり整理がされていませんが、頭の中のことを全部ぶつける感じです。そのあとに、切り貼りや圧縮をする。おおむね制限文字数の3〜4倍くらいの量を書いてから、濃縮していきます。


(「在野研究者に聞いてみた」より。2020年には接触確認アプリのプライバシーやセキュリティのリスクについて「接触確認アプリとELSIに関する10の視点 Ver.1.0〜読み比べ編〜」を岸本充生氏とリリースした)



◇「在野」にはピンとこない?


――在野だから出来る、学問との関わり方はあると思いますか。


私はあまり所属にこだわっておらず、いい成果があればいいと思っています。所属によってどういう特徴づけがされるのか、一意には決まらないのではないでしょうか。あと、そもそも、法学の分野では、裁判官や検察官、永田町の議員や霞が関にいる政策立案者が、「在朝」です。


大学の人たちは「在野」に近い状態です。権威はあるかもしれないけれど権力があるわけではなく、直接的に条文や判例を変えられるわけでもない。アカデミアはそんなに影響力が大きいか? という感覚もあります。ですから、研究者の間で「在野」を強調する意味がわからないかもしれません。


――法学の特殊性かもしれませんね。


そうですね。「在野」に注目することに、意味のある領域や場面があるのかもしれない――例えば荒木優太さんは文学研究者であり、「大学と相性が悪い場合、外にいた方がやりたいことができる」とおっしゃっていましたが――と思いつつ、それが具体的にどんな意味や役割を持つのか、私にはまだつかみきれていません。


「在野」が、例えば、女性や外国籍や非正規雇用のような、不利益や差別を受けやすい傾向のある属性だという主張はわかります。実際に、研究機関に所属しない人が待遇や評価体系の改善を求めている側面もあると思います。ただ、どうもそれに尽きる話ではなさそうです。


『在野研究ビギナーズ』や同書のブックフェアは多くの反響をいただき、「勇気づけられた」「希望をもらった」という声も少なくありませんでした。でも、それは研究者やその志望者だけの声ではなかった。むしろ研究者ではない人々が多かったように思います。紀伊国屋じんぶん大賞で3位をいただいたのも、その証左でしょう。でも、それがどういう機序なのか、私を含む共著者たちもまだよくわかっていないのではないか。


「在野だから出来る、学問との関わり方」の話に戻ると、これが「女性だから」「外国籍だから」「非正規雇用だから」などと置き換えた時と、どれくらい同じで、どれくらい違うのか。


――置き換えてみると、かなり微妙な質問ですね。


私もよくわからないというのが、正直なところです。


――法学のそうした見取り図の中で、工藤さんの仕事はどういう特徴があると思いますか。


基本的にはアカデミアの本流の人がやらないことをしています。まっとうな憲法学者や情報法研究者ならやらない、「チャラい」仕事かもしれません。若手の人を見ていると、失敗できないという感じで、手堅い研究をしている人が多い。それは、環境に適応した結果です。


法学研究は、他の分野に比べて、人物に対する評価と、個々の研究成果物に対する評価が一緒になっているところがあると感じます。法学は査読文化が根付いておらず、研究の質を各自で判断するのが建前です。でも、公表される論文数はそれなりに多いので、論文単位ではなく執筆者個人を単位として選別が行われがちです。かわりに、プレ報告が活発で、書籍や誌面に論文を載せる前に、何回か口頭報告をして洗練させていきます。周囲の人と、磨いてから外に出すんです。それで、手堅くまとまる。


他方で、私としては、隙がいっぱいあっても、海の物とも山の物ともつかないものをとりあえず整理して、アジェンダ設定に繋げるものを目指しています。弁護士など法曹実務家の研究と似ているかもしれません。そうした論文は、問題意識が切実にあったり、実践の中で編まれた知見があったりするので、課題や解決案がすごくクリアなんです。これは良い悪いではなく、役割分担です。


もうひとつ、論文を書くだけではなくて、研究会を主催するようになりました。「ぼくのかんがえたさいきょうのけんきゅうかい」です。私は研究者としての自分の能力は高くないと思っています。自分の限界がある場合は、人に頼る。人に研究してもらう。この人だったら、この新しい問題に対してここまで言えるはずだとか。この先生とこの先生を一緒の場に置いたら面白そうだとか。


そこでは、自分の手を動かさないことを目標にしています。必要であれば、自分で論文も書きますが、基本的には、人により良い仕事をしてもらうための研究会ですね。

◇趣味の研究/地獄の研究


――お話を聞いていると、バイタリティが溢れていますよね。モチベーションの維持はどうしているのでしょうか。


いえ、外弁慶なだけで、「隠遁したい」が口癖です。だからこそ、とりあえず予定を入れています。困るくらい飽きっぽいので。ときめきを重視しています。


――ときめきは、どこからやってくるんでしょうか。


それがわかれば苦労しないのですが(笑)。でも、ときめかない状態ならよくわかります。新しい発見がなく、面白いという興奮がない状態のことです。


そういうときは、ときめきを探しに、他分野の勉強会に出ます。あとは、フィールドに出て、ヒアリングや現場視察をします。例えば成田空港で使っている顔認証技術の運用を教えてもらったり、自動運転車に試乗したり。実際に体験してみて、その時に生じた違和感や面白さを考える。


少し前には「AI美空ひばりワークショップ」を手伝いました。NHKとヤマハの開発者の方に企画の意図や技術的な面を解説していただいたあと、AIの研究者、哲学者、倫理学者、法学者などで、AI美空ひばりの何が面白くて、何が気持ち悪かったのか、議論をしたんです。


その時に再確認したのは、新しい問題に見えても、昔の理論研究で解明できる部分が多いことです。新しい感覚だと思っていたものが、古い理論で説明できる。過去の解決策も有効です。憲法学者の石川健治先生の表現を借りれば、「考え抜かれた『机上の空論』」こそが驚くような問題解決力をもっている。それを実感できる瞬間がときめく。


それに、過去の蓄積では解明できない、本当に新しい論点を見つけた時もときめく。そこは問題提起だけにして、あとは専門の方にお願いしています(笑)。


――いいですね。ときめく研究。楽しそうです。


いや、研究は地獄ですよ。楽しいだけじゃないし、つらい時もたくさんある。先ほど言った通り、合わない人は合わない活動です。第三者的な視点から見ると、なんでわざわざ苦労をしているのか、わからないかもしれない。


でも、例えばラグビーや登山でも、つらい瞬間がある。つらいけれど、汗だらけ泥だらけになったあとに仲間と飲むビールが美味しいとか、山のてっぺんにいくとすごく気持ち良かったりする。地獄ではあるけど、どこにいても、さまざまなやり方で、研究は楽しめるのだと思います。


(岩波書店前の路上にて。撮影:iPhone)



〈工藤郁子の研究術〉

  • 仕事と研究のテーマが重なるようにする。

  • 本を積読する前に、目次だけは読む。

  • 論文を書く場合は、研究報告の予定を先に入れる。

  • Googleドキュメントと音声入力を駆使して、どこでもできる環境をつくる。

  • フィールドワークに行く、他の分野の読書会に参加する、研究会を主催するなど、ときめきを探しに行く。



●記事執筆者

山本ぽてと(やまもと ぽてと)

1991年、沖縄県生まれ。早稲田大学卒業後、株式会社シノドスに入社。退社後、フリーライターとして活動中。構成を担当した本に『経済学講義』(飯田泰之・ちくま新書)、『憲法問答』(橋下徹、木村草太・徳間書店)、『16歳のデモクラシー』(佐藤優・晶文社)など。「STUDIO VOICE」 vol.415「We all have Art. 次代のアジアへ――明滅する芸術(アーツ)」では韓国文学の特集を担当。B面の岩波新書で「在野に学問あり」、BLOGOSにて「スポーツぎらい」を連載中。



*連載「在野に学問あり」

第1回 荒木優太

第3回 逆卷しとね

第4回 辻田真佐憲

第6回 読書猿

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